昭和と平成の境目を過ごした工藤公康監督は「名選手ほど名監督になる」の申し子

kantoku

かつて、日本球界には「名選手必ずしも名監督にならず」という説が蔓延っていた。“ミスタープロ野球”長嶋茂雄氏は70年代、“世界のホームラン王”王貞治氏は80年代、巨人の監督として一度も日本一になれず、成功したとは言い難かった。

昭和や平成初期には、南海の杉浦忠氏やロッテの有藤通世氏、阪神の藤田平氏、近鉄の鈴木啓示氏といった名球会入りした名選手たちも、チームの低迷期と重なったとはいえ、結果を残せなかった。

逆に、大毎、阪急、近鉄と3球団を優勝に導いた西本幸雄氏、阪急でパ・リーグ4連覇を達成した上田利治氏といった現役時代は目立たなかったものの、監督として大成した人物もいた。

だが、その傾向は近年変わりつつある。2年連続日本一に輝いたソフトバンクは昨年の秋山幸二監督、今年の工藤公康監督ともに80年代から90年代前半にかけて西武の黄金期を支えた名選手だった。過去10年の日本一監督を振り返っても、現役時代に個人タイトルを獲得していないのは06年のヒルマン監督(日本ハム)だけ。「名選手ほど名監督になる」という説が出来上がっている。

どうして、「名選手必ずしも名監督にならず」から「名選手ほど名監督になる」という傾向の変化が生まれているのだろうか。

昭和時代までスポーツ界には「練習中に水を飲むな」というような、旧世代の根性主義が根強く残っていた。だが、平成時代に入ると、徐々に選手に科学的トレーニングの有効性が浸透していった。

つまり、昭和と平成の境目は、旧世代の指導者と新人類の選手という組み合わせが噛み合なかった。象徴的なのは、近鉄の鈴木啓示監督と野茂英雄投手の対立だろう。投げ込み重視の監督と肩を消耗品と考える選手の意見は平行線を辿った。工藤公康・現ソフトバンク監督も、西武時代に登板間隔の問題で首脳陣と対立したことがあった。

名選手が首脳陣になり、自分の時代のやり方を押し付けたため選手は疑問に思ってしまったのだろう。それよりも、押し付けがましくなく、選手を尊重する仰木彬監督(近鉄→オリックス)や藤田元司監督(巨人)のような指導者が当時、成功を収めていた。

工藤監督をはじめ、最近の日本一監督たちは、昭和後半から平成初期に活躍していた選手が目立つ。つまり、科学的トレーニングを球界で実践し始めた世代が今、指導者になっている。そして、科学的トレーニングは当時以上に進化し、いまやどの球団も取り入れるのが当たり前だ。工藤監督は、その先駆者の一人だった。

昭和と平成の境目に大きな分岐点があり、それ以降は根本的なところは変わっていない。だから、首脳陣と選手のあいだに考え方やトレーニング方法についての大きな対立は生まれにくくなっている。そうなれば、圧倒的な実績を残した、言葉に説得力のある名選手ほど名監督になりやすい。

監督として中日を4度のリーグ優勝に導いた落合博満氏は、選手に『能書きを垂れる暇があったら練習しろ。俺の成績を超えたら、いくらでも能書きを聞いてやる』と口酸っぱく言っていた。3度の三冠王という前人未到の記録を持っているからこその言葉だ。

工藤監督も、秋季キャンプで練習メニューを終えて帰ろうとした選手に『もう帰るの? 俺はこの後、1時間シャドーピッチングをしていた。(他の選手に)抜かれちゃうよ』と諭したという。47歳までプロ野球で投げ続けた人にそう言われたら、練習するしかない。
プロ野球界には、圧倒的な実績を残した「名選手ほど名監督になる」という時代が訪れている。

(文:シエ藤)

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