ー3カ月前、童貞を捨てた。思ったほど、世界は変わらなかったー
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是枝監督の早稲田diaryに密着 大学生の映画制作に助言も 

「是枝裕和監督が、早稲田大学教授に」

第66回カンヌ映画祭審査員特別賞をとった『そして父になる』が2013年の秋に公開され、ヒットの波が収まらない2014年の初頭。そんなニュースが流れた。これは、静かな大ニュースである。国際的にも評価の高い現役の監督が、毎週教壇に立つというだけですごいことだが、是枝さんの教授就任によって見える希望はそれだけではない。

是枝さんといえば、自らも創作者である一方で、実は、西川美和さん(『ゆれる』)、砂田麻美さん(『エンディングノート』)、伊勢谷友介さん(『カクト』)といった、若手監督をプロデュースし、デビューさせた人でもある。そう、“育てる”ことにも長けた人なのだ。

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そんな是枝さんが、多くの映画人を輩出し、また2004年以降、より意識的に映画人材を育てることを続けてきた早稲田大学にやって来るとは、なにか素晴らしいことが起こっているに違いない……。ということで、それを見届けるため、2015年4月から、授業に潜入した。以下はその春学期の授業の潜入レポートである。

4月「こんなことを黒板に書くなんて……」

4月。教壇に立った是枝さんは、映画史の解説のため、黒板に『デ・シーカ』『ヌーヴェルヴァーグ』『トリュフォー』といった名前を書いていく。そして「こんなことを黒板に書いて説明する人になるなんて思ってもみなかったなあ」と少し照れながら笑った。

別の日の授業では『萩元晴彦』『村木良彦』『今野勉』といったTVディレクターの名前を書いていく。こちらは、テレビの授業だ。是枝さんが、学生時代に自分がテレビ業界に入るきっかけを与えてくれた先輩の名前を、母校の黒板に書いていく。これだけで是枝ファンとしては、感慨深い場面である。

そう、最近では映画監督のイメージが強い是枝監督だが、早稲田大学卒業後、参加したのは『テレビマンユニオン』という日本で初めてのテレビ制作会社。以降、ドキュメンタリー番組を作り続けてきた人なのである。

担当する授業も映画だけではなく、テレビに関するものも担当し、数が多い。「映画から学ぶ映像表現」という映画の授業、「テレビ論」というテレビの授業、さらに学生が実際に映画を制作する「映像制作実習」に、「マスターズ・オブ・シネマ 映画のすべて」という監督や俳優などのゲストを招く授業(一部は元村直樹先生らと共同で担当)だ。授業が多い曜日には2限から5限(10時から18時)まで、教壇に立ちっぱなしである。

5月「この後、カンヌ行ってきます」

5月。監督作品『海街diary』の公開が翌月に迫り、おそらくプロモーション活動なども忙しい中、授業をしている是枝さん。「この後、空港に直行してカンヌに行ってきます」なんていう日まであった。

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学生の側はといえば“是枝裕和”という大物が教室にいることに、まだ、若干の緊張をしている様子。長澤まさみさん、綾瀬はるかさん、夏帆さん、広瀬すずさんらと5人で並んだりする様子が、盛んに報道されている時期だから無理もないのかもしれない。
もちろん、本人は大物感を出すわけでは全くなく、静かにそこにいる。いや、これだけ世界に評価をされている大物監督なのに、むしろ違和感なく溶け込んでいるといってもいいかもしれない。

是枝さんは、自分が話をしながらも、学生の側をじっくりと眺めている。そういえば、是枝さんの初期作品に『もう一つの教育〜伊那小学校春組の記録〜』という小学校の中に3年間潜入したドキュメンタリーがあったことを思い出す。
“学校に是枝さん”という状況に違和感をもたないのは、もともとのディレクターとしての是枝さんが“学校で周囲を観察する”ところから始まっているからなのかもしれない、とふと思った。

6月「仕事に“選ばれた”ことは幸せ?」

6月。中旬に『海街diary』の公開が控えた月だ。

授業ではゲストに夏帆さんも登場。幼い時から女優という仕事を続けている夏帆さんに、是枝さんが「多くの人が仕事を“選ぶ”と思うんだけど、仕事に“選ばれた”ことは幸せだと思う? 不幸だと思う?」と、鋭くも優しい質問をぶつけていた。

『海街diary』が公開された頃には、是枝さんと学生との距離はグッと縮まっていた。縮まった、と言っても、学生側のノリが軽くなることはなく、むしろ『海街diary』を見て、あらためてすごい人に教わっているんだと尊敬の念が増して、より前のめりになった、という感じだ。

「桜のシーンで涙が止まりませんでした」という男子生徒に、是枝さんは、カメラの位置を黒板で図解しながら説明。そんな風に、一般的に見ても貴重だし、その男子にとっては一生残るであろう、かけがえのない時間が続く。

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もちろん、是枝さんが自分の作品に関して語ってくれるのは、映画作品には限定されない。『しかし… 福祉切り捨ての時代に』という、是枝さんの処女作といっていいドキュメンタリー番組がある。
『雲は答えなかった 高級官僚 その生と死』として書籍化)

自死を遂げた厚生省の官僚の死に迫る作品だ。取材の際、残された奥さんが家で亡き夫の話をしてくれている時に、自分は手帳を出してメモをとっていいのか悩み、トイレに行き、走り書きでメモをした、という話をしてくれた。

是枝さんが教えてくれるのは、技術ではなく、人としての向きあい方や「逡巡して当然なんだ」と感じさせてくれるような、取材者としての優しい先輩の後ろ姿のような気がした。
それはもしかして、学生にとって、すぐに役立つようなものではないが、仕事についたあとに、ふと思い出したり、いや仕事につかなかったとしても、ふっと人生を豊かにしてくれるもののはずだ。

7月「“感応”を共有できる場に」

7月。4年生は、8月の面接解禁を控えた就職活動への熱気が高まってくる頃で、授業後にテレビ業界への就職活動の相談をする学生も。業界に“入ること”で頭がいっぱいになってしまっている学生に「“入って終わり”にならないようにね」という、業界の中で戦い続けてきた是枝さんならではの一言が突き刺さる。

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総じて、授業は一方的に“教える”というよりも“語り合う”という感じだった。特に、「映画から学ぶ映像表現」の授業はまるまる1本を一緒に見てディスカッションという形式なので、講義よりも学生との対話、といったほうがしっくりくるかもしれない。

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「僕は学者でも批評家でもない。だから批評が担う“分析”ではなく、“感応”を共有できる場にしたかった。同じ作品を見て、“自分と違う言葉”で語られるという経験は貴重だから、ホントはもっと日常的にできればいいんだけどね」と是枝さんは語ってくれた。

前期の最後の授業の後は、なんと是枝さんと「映像制作実習」に参加している学生との飲み会まで開催された。「お金がなくて行けない」という学生がいると「お金がないという理由で来れない人どれくらいいるの? そういう人は僕が出すから全員来なさい!」という男気ある発言で、学生たちは、その寛大さにさらに感銘を受けた様子。

そして、大学は夏休みに入った。
“彼のいない8月が”来てしまうかと思えばそうではない。7月までに学生がプレゼンをし、是枝さんの助言をもとに、絞られた企画で、学生たちは映画を撮り始めるのである。

学生たち作品の上映会が開催

そして、さらにそこから半年。1月19日に「映像制作実習」に参加した学生たちが“是枝プロデュース”のもとに、ついに完成させた映画の上映会が、早稲田大学にてひらかれる。サイトには是枝さんによる「いやあ、大変な授業だった。でも、楽しかった」というコメントが。レポートできなかった後半の半年間の、是枝さんと学生たちの爪あとは作品の中で見届けられるハズ。“人生は、いつもちょっとだけ間に合わない”人も、なんとか間に合わせられるチャンスである。

(文:霜田明寛)

■関連リンク
早稲田大学 映像制作実習 作品上映会
日時:2016年1月19日(火)
場所:早稲田大学 大隈記念講堂 大講堂
開場:14時15分
開演:14時45分
当日は映画本編の上映のほかに、是枝さんと学生によるトークセッションも予定されている。

(文:霜田明寛)

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