ー3カ月前、童貞を捨てた。思ったほど、世界は変わらなかったー
チェリーについて

Vol.3 派遣生活、映画化される

AV現場にいるけれど、見てません

連載3回目っす。AVメーカー「ハマジム」に所属し、ドキュメンタリー映画を作ってます岩淵弘樹です。AVの会社にいるんだから女の子の裸は見放題なのか?セックスいっぱいしてんのか?と読者の方は思われるかもしれませんが、自分は撮影現場に行かずデスクワークが多いので生乳も見てませんよ! 会社には日々、AV女優さんが面接にいらっしゃるのですが、こんな普通の女の子がカメラの前で脱ぐのか~と中学生の社会科見学のように鼻水垂らしながら女優さんにお茶を出しています。

さて、この連載のタイトルにもなっている『遭難フリーター』が出来たのは2007年なので、もう9年前になります。今回はその頃の話を書きたいと思います。

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平日派遣、休日も派遣

2006年、大学を卒業しそのまま実家の仙台でフリーターを続けていた俺は、パチスロで作った200万の借金と東京への憧れを抱え、コンビニの就職情報誌で見つけた派遣作業員の仕事に就いた。23歳の頃だ。

埼玉県本庄市にあるキヤノンの工場でプリンターのインクタンクにフタをくっつける仕事。時給制で給料が安定しない(お盆や正月の大型連休は工場が休みなのでガクンと給料が減る)ので、週末は別の派遣アルバイトに登録し、東京で引っ越しや事務所移転や印刷工場や宅配便の梱包などの仕事をしていた。将来の目標は何も見つけられず、恋人も出来ず、東京への漠然とした憧れとクソみたいな現実とを抱え、あての無い毎日を過ごした。

そして1年経った。大学時代から使っていた小さなハンディカムで自分のことを撮影していたので、この映像をまとめ、『遭難フリーター』という映画を編集した。2007年。山形国際ドキュメンタリー映画祭に応募したところ、日本の現在を伝えるプログラムに入選した。

母「みすぼらしくて悲しくなった」

派遣の仕事をはじめた頃、ちょうど朝日新聞の一面で偽装請負が取り上げられ、非正規雇用が社会問題として取り沙汰されるようになった。マスコミは現場の労働者の声を拾いたがった。俺は知り合いの雨宮処凛さんが労働問題を訴えるデモに参加している縁もあり、そうした取材を受けられないか何度か相談を受けた。顔を隠す必要もなかったので、マスコミの取材に応じた。関西テレビの夕方のニュースや、『NHKのクローズアップ現代』。

「なんでこの仕事を選んだんですか?」ディレクターはカメラの横で尋ねる。「やりたい仕事がみつからず、でも東京への憧れはあって…」しどろもどろで俺は答える。テレビを見た母親から「みすぼらしくて悲しくなった」と言われた。『遭難フリーター』はマスコミが伝える労働問題のただ中にいる自分が、それでもゴキブリみたいな生命力で生きているんだよ、ということを言いたくて、やぶれかぶれで非力で声にならない声を映像に込めたかった。

仙台でも派遣生活

映画祭での上映は決まったが、それだけでは一円にもならない。仙台の実家で暮らしながら、新しいバイトをはじめた。また派遣の契約で、インターネットの光ケーブルの契約を取る営業職。パソコンは持っているがネットのことはよく知らない家庭を探し(外の電線を見ればその家庭に光ケーブルが入っているかどうか判断できる)、直接訪問して話を聞いてもらう。深夜は居酒屋「和民」のバイトをはじめた。相変わらず消費者金融からの借金を抱えており、少しでも金を稼いで借金の返済にあてた。

山形国際ドキュメンタリー映画祭

2007年10月。山形国際ドキュメンタリー映画祭で『遭難フリーター』は上映された。映画館に満員のお客さんが入り、共感したとかつまらなかったとか思い思いの感想を聞いた。映画を多くのお客さんに見てもらう、ということの快感や目的が自分にはまだよくわかっていなくて、ずっとぼんやりしていた。だが状況は少しづつ変わってきた。東京の配給会社の人が映画館でも上映できるように配給したいと話をしてくれた。地方の映画祭の人がうちでも上映をと声をかけてくれた。え? どういうこと? 想像していなかったことがはじまりだした。

これが映画を上映するってことか

一番驚いたのは香港国際映画祭でも上映が決まったことだ。山形で見てくれたコーディネーターが海外の映画祭の人にも作品を紹介してくれたようで、あれよあれよという間に香港行きが決まった。交通費も宿泊費も負担してもらえることになった。浮かれていたのだと思う。ユニクロで買った安い白スーツを着て香港に向かった。

案内のあったホテルまで自力で辿り着き、連絡を取り合っていたスタッフに会えた。すると『遭難フリーター』の上映会場に時間になったら来てください、とだけ案内された。あとは自由行動。映画でも見て過ごそうと映画祭で上映されている日本映画の列に並んでいると、インド人の男に声をかけられた。「この映画の列はここかい?」「そうですよ」。男は首から関係者パスを下げており、俺は「明日自分の映画が上映されるので見に来てください」とたどたどしい英語で言った。すると男は「OK。私は新聞社に勤めているので君の映画を紹介するよ」と、とても好意的に話してくれた。

翌日、『遭難フリーター』の上映があった。観客は学生が多かった。上映後の質問では「日本はリッチな国だと思っていたが、こんなに貧富の差が拡大しているんだ」と感想をもらった。自分の意図を越え、映像に映っている社会の有り様が驚きを持って受け入れられたことは自分でも新鮮だった。映画のもたらす新しい発見。上映する度に与えられる視点。これが映画を上映するってことかと、ゆっくり体に染みていくようだった。

上映が終わると、昨日、声をかけられたインド人の男が近付いてきた。「映画を見せてもらったよ、ぜひ君の映画を紹介したい。明日、私の部屋に来てインタビューをさせてくれないか?」初めての海外の映画祭、すべてが奇跡に思えた。「よろしくお願いします! 明日、お部屋に行きます!」

インド人と

さて翌日、もらった名刺を頼りに男の部屋に向かった。男はとんでもない高級ホテルに宿泊していた。部屋に入ると、男は三つの提案をはじめた。「まず、君の映画を紹介したい。そして、君が次作を作るのであればお金を出したい。あと、君にモデルをやってもらいたい」え?「私はカルバンクラインのアジア人の下着モデルを探している。君にモデルをやってもらいたいんだ」は? 俺がモデル? 窓の外にはビルの壁面にカルバンクラインの下着を着けたモデルの肖像が大きく描かれていた。俺がこれをやるの?

よくわからないまま男の指示に従い、ホテルの部屋の壁の前で写真を撮られた。「さあ、じゃあ服を脱いでもらえるかい? 下着モデルの撮影だからね」俺はあまりの急展開に頭がついていかなかった。言われるがまま服を脱ぎ、トランクス一丁になった。男はデジカメで撮影しながら「very good, very nice」と呟いている。「次はこの下着を着けてもらえるかい?」男は床に投げ捨ててあったブーメランパンツを俺に渡した。俺はアホだった。

その場でパンツを脱ぎ、ブーメランパンツに履き替えた。男の吐息は激しくなる。「oh yes!」バンバン写真を撮っている。「さあさあ! 次はシャワールームへ行くんだ」。男に促され、風呂場へと手を引かれる。股間や尻に自分でシャワーを当てるよう言われ、従い続けた。「beautiful leg, beautiful hip」男は舐めるように俺の尻や足を眺め、写真を撮っている。だんだん怖くなってきた。もしもパンツを脱がされたら、こいつの顔面を蹴って外に逃げよう。それだけを心に誓い、震えながら写真を撮られ続けていた。

「よし、次はベッドに入ってくれ」男は俺の手を引き、濡れたままの体でベッドに寝かされた。「oh!! very beautiful!」男は鼻息が止まらない。俺は怖くて仕方がない。なぜ香港に来てパンツ一丁にさせられ、わけのわからないインド人に写真を撮られているのか。ギリギリの一線まで来ていたと思う。「さあ尻を突き上げろ。キレイだ、いいぞ」男は写真を撮り続ける。どんどん距離が近くなる。「ちっ、バッテリーが切れた!」男は英語でそう言った。その瞬間、俺はバッと立ち上がって大急ぎで着替え、逃げるように部屋を抜け出した。心臓が飛び出しそうだった。怖くて仕方がなかった。

ゆっくり流れる香港の川

ホテルの近くの公園に座り、呼吸を整える。一体なんだったんだ! あの変態野郎にカマ掘られるとこだった! 落ち着きを取り戻し、バッグから映画祭期間中に配られている日報を取り出して読みはじめた。すると同じ年齢の石井裕也監督がこの映画祭で「エドワード・ヤン記念」アジア新人監督大賞を受賞していた。この異国の地で石井監督は新人監督賞、俺はホモに犯されそうになった(日本に帰国後、男からもらった名刺の名前を検索するとホモサイトに男の顔写真が載っていた)。なんなんだ、この落差は!ゆっくり流れる香港の川を眺めながら大きくため息をついた。

(続く)
(文:岩淵弘樹)

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