ー3カ月前、童貞を捨てた。思ったほど、世界は変わらなかったー
チェリーについて

第八回 「一票とヤリマンの話」

世の中には取り返しがつかないこと、やり直せないことがある。と言われても、若い人には実感が湧かないかもしれない。若者の多くは漠然とした希望を抱いているものだし、将来を悲観しがちな中二病の面々ですら、「こんな鬱屈した俺だってみにくいアヒルの子のように、いつか羽ばたける日が来るだろう」とか考えている、「ドブネズミみたいに美しくなりたい症候群」であり、おじさんから見ればそこにはやはり希望の匂いがするのである。

それは悪いことじゃない。
ただ、ちょっと聞いて欲しい話がある。

18年前、取り戻せない夜

あれは18年くらい前だろうか。新井薬師の駅前の居酒屋で大人数で飲んでいた。場は盛り上がり終電をなくした。みんな一緒だったし、そこに猥褻な空気はなかった。健全な終電逃しだった。次の店への移動中、一人の女の子が「もう飲めない」、「誰か泊めて欲しい」と言った。「福原の家が一番近いんじゃないか?」と誰かが言った。私が人を家に呼ぶのが苦手なことを知っている友人の軽いいやがらせ発言であって、やはり猥褻な空気はなかった。みんなに見送られその子と自転車を二人乗りして帰った。家に着いた。布団を貸した。私はコタツで寝ることにして電気を消した。すると、その子が急に言った。

「私ってヤリマン気質なんだよね」

……私はどう返事をすればいいのかわからなかった。なにせ奥手な青年だったので、「へぇ、で、実際のところはどうなの?」なんて聞けなかった。ましてや「だったら俺にもやらせてよ」なんて言う度胸はなかった。その時私がしたことは「聞こえないふり」だった。その子もそれ以上、なにも言わなかった。朝起きたらいなかった。いないと気付いたら猛烈にしたくなったが、後の祭りである。しかしまぁ泊まりに来るくらいの仲になったので次のチャンスもあるだろう、と思っていたが、結局次の夜はこなかった。
取り戻せない夜がある。
私はあの時、はっきりと意志表示するべきだったと思う。「断固たる決意を持って、私はあなたとしたいのです!」と。そんな欲情の拳を突き上げるべきだったと思う。

15年前、キャバクラ嬢

もうひとつ話そう。
15年くらい前だろうか。ある夜、私は自部屋でキャバクラ嬢と飲んでいた。その子は東京に出てきてまだ一週間と言っていた。どうしてそんなキャバクラ嬢と知り合ったのかここでは詳しく書かないが、まぁ知り合うべくして知り合った(要はキャバクラに行ったんだけどさ)。

夜の7時頃から飲んで2時間位経った頃、「今日はこの後、友達とも飲む約束をしている」と言い出した。私がガッカリする暇もなく、続けて「でもキャンセルするわ」とどこかへ電話をかけて予定をキャンセルした。淫靡な空気が流れた。そのまま淫靡に終電を逃した。その時点ですでに私の部屋で5時間近く飲んでいるのだ。もう後はすることは一つであった。つまり二人一つになるだけであった。そんな折、その子が言った。「私、男の人に頼まれると断れないんだよね」私は急にびびってしまった。

「なんか百戦錬磨っぽい!そんな人を悦ばせる自信がない……!」ついさっきまでのやる気は消え失せてしまい、そのままさらに深夜3時頃までウダウダ飲んで、いい加減覚悟を決めて布団に誘ったら、「え、眠くないし」と言われて、そのまま何もなかった。奥手な私にとっくに呆れていたのだろう。
取り戻せない夜がある。
私は勇気を出して「あなたとしたいに一票!」と意志表示するべきだった。

欲情の一票

もう少し話を続けてみよう。
それから長い年月をかけ、奥手な青年も人並みに据え膳を食う度胸がついた。スケベな中年になっただけかもしれない。どっちにしろ、その頃にはもう下半身の緩めな女の子は周りにいなくなっていた。大人になって落ち着いた子もいるだろうし、近場の人とばかり寝るタイプの子は、ある時点で近しい人間関係が崩壊するので居場所がなくなり消えていく。

そう、今では私の欲情の一票は入れたくても入れる相手がいないのだ。
そんな日が来るとは思っていなかった。いつまでも自分の周りには下半身緩子ちゃんがいて、ちょっとしたタイミングや、ちょっとした度胸さえ持っていれば、それは叶うと思っていた。
だが、知らない間に世界は変わる。もうやり直せない。自分の無力を思い知り、「まぁ世の中こんなもんさ」と悟り顔をすることでしか対処できなくなってしまう。そのために相当なシニカルエネルギーや諦観力を使うことになる。逃したヤリマンのことを思うたびに、日々へとへとになるのである。

おじさんになってそんなことに力を使わないで済むように、若い時にもう少しあらがった方がいいんじゃないかと私は思うのよ。精一杯の悟り顔で。

(文:福原充則)

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