ー3カ月前、童貞を捨てた。思ったほど、世界は変わらなかったー
チェリーについて

vol.2.5 ホーム・アローンでジョー・ペシを知った 〜 映画監督を志すまで 〜 

恋愛映画の名手・今泉力哉監督が12人の女性との告白の記録を綴る新連載『赤い実、告白、桃の花。』。vol.2まで来たところで、
今回は番外篇。「映画監督を志すまで」の中高時代を綴ります。

もうどこにも、ヒーロー、はいなかった。
中学時代、卓球と勉強しかしていなかった私は、高校時代、卓球しかしなくなっていた。いや、卓球もさほど真剣にはしていなかった。高校の3年間で、国語・数学・理科・社会・英語みたいな、いわゆる勉強が好きではなくなっていき、ぜんぜんその道のセンスがないのに、体育・音楽・美術みたいな授業が好きになった。特に美術が好きだった。アクリル絵の具で絵を描くのが好きだった。石膏を彫って何かつくるのが好きだった。みんなそうだと思う。よほど頭のできがよい人以外は勉強がつまらなくなっていく。テストでも、もう一番なんてとれない。一番がとれないのに頑張れなかった。まあまあ頑張ればいいや、という感じになっていった。

高校3年。進路について。
まったく絵が描けないのに芸術系の大学に進みたいと漠然と考えていた。映画が好きだった。この時には、映画監督になりたいと思っていた。同級生は笑った。
「りきやが芸術系の大学?」
自分でもそう思う。そのくらい、絵も描けないし、美的なセンスというものが欠けていた。でも絵を描くのも、歌を歌うのも、体育も好きだった。どうして映画監督を志すほど、映画が好きになったのだろう。今でもわからない。でも、私の中ではすごく自然なことだった。よくよく考えたらじいちゃんもお父さんも映画が好きだった。その影響は確実にあるだろう。お父さんに至っては、若い頃、もの書きを目指していた時期もあったらしい。しかし、時代も時代だったし、本家の長男だったため、好きなことをするのが許されなかったらしい。だから、私がそういう大学に行きたいと言った時、反対せずにものすごく理解してくれた。なんなら、わかっていた、くらいの態度で応援してくれた。

ちなみに、うちのじいちゃんはペンキ屋をしていた。
うちのお父さんはめちゃくちゃ絵がうまい。
私は驚くほど、絵が描けない。
少し振り返ってみる。
自分が触れてきた音楽や映画について。

中学から高校に進むくらいの時期。まわりの人に比べたら遅いかも知れないけど、映画や音楽は、勉強よりもずっと惹かれるものがあった。特定のアーティストの名前で、映画を見たり、音楽を聴いたりしだした。アーティスト名みたいなものを最初に意識したのは、姉や従兄弟の影響だった。姉はスピッツが好きだった。当時、スピッツとMr.Childrenがよきライバル関係みたいになっていて、同じ時期に新しいCDを出しては、いつもミスチルがランキングで上位につけていて、その少し下にスピッツがいた。どこか応援する気持ちもあって、シングルの『チェリー』を買ったのを憶えている。中学生のときだった。カップリングの『バニーガール』がすごくいい曲だったのを憶えている。童貞なのに。あと、たしか切手みたいなジャケットがシール仕様になっていた。シール仕様になっていたCDはこの『チェリー』とスーパーカーの『マイガール』を憶えている。車のシール。
高校時代、どはまりして、発売されているすべてのCDを買って集めたりしたのがTHEE MICHELLE GUN ELEPHANT。そのまえに、エレカシやブリグリ、さらにまえにウルフルズを好きになったりもしたが、CDを全て揃える、などしたのは、ミッシェルが最初だった。というか現在に至るまで、ミッシェルだけだ。受験勉強などの時期、また大学受験に向かう新幹線の中などで何度も『ギヤ・ブルーズ』を聴いていた。

また、何と言っても時代は広末涼子である。私は松坂・広末世代だ。広末涼子のファーストアルバムを買ったことがどこか恥ずかしくて、誰にも堂々と買ったと言えない自分がいた。クラスのヤンキーっぽいやつが、教室で堂々と「広末のCDを買った」と言えていることが羨ましかった。広末のアップのジャケットがあまり可愛くなくて(どこか島崎和歌子に似てて)、そこもなんだか最高だった。人生ではじめて意識してラジオを聴いたのも広末のラジオだった。「NTT docomo」と、ただ提供を発する声すら可愛すぎた。御多分に漏れず、椎名林檎のアルバムも買った。なんというアルバムか忘れたが10曲めの最後に息を吸う音が入っていて、その息の音でオナニーできるくらいには好きだった。MDで曲を編集してその吐息部分だけを7秒とかのデータにして、繰り返し聴いた記憶がある。高校生って凄い。

はじめて見た映画かどうかはわからないが、映画館で映画を見たことを憶えている一番初期の記憶は『ホーム・アローン』と『シザーハンズ』の二本立てで、じいちゃんに連れていってもらった。『ホーム・アローン』の黄色い布製のペンケースを買ってもらって、小学校時代、使っていた。俳句か短歌をつくる授業で、ジョー・ペシの銀歯についての句を詠んだりもした。映画監督の名前ではじめて意識したのはタランティーノだったと思う。高校時代、創夢館(レンタルビデオ店。vol.2を参照)はまだあった。最初は『パルプ・フィクション』そこから『レザボア・ドッグス』を見て、あの時間のいじり方や映像のかっこよさに惹かれた。この頃は内容についてはそれほどわかっていなかったと思う。でも、かっこよかった。いまだに群像や時制いじりをしてしまうのは、完全にタランティーノの影響である。

あと、そうだ。忘れていたけど、ずっとテレビっ子だった。これは小学校の頃からずっと。テレビが大好きで、「その時間テレビが見れない」という理由でお風呂がきらいだった。カラスの行水(ものすごくはやい、の意)と言われるようなお風呂の入り方をしていた。だから「その日、お風呂に入らなくていい」という理由で予防注射が好きだった。クイズ番組やお笑い番組、バラエティーといわれる全般。また、スポーツを見るのも好きだった。じいちゃんばあちゃんと一緒に住んでいたから相撲もよく見ていたし(北勝海が大好きだった!)、じいちゃんばあちゃんと住んでいたのとは関係なしに、テレビで早朝に放送していたゲートボールの番組を見るのも好きだった。クイズ番組は特に好きで、『ヒントでピント』、『マジカル頭脳パワー!!』、『平成教育委員会』、『SHOW by ショーバイ!!』、『なるほど!ザ・ワールド』、『アタック25』、『クイズ 日本人の質問』、あとなんだろ。とにかく好きだった。はじめて見た連ドラは『あすなろ白書』。キャストに惹かれて、全部VHSに録画した唯一の連ドラは『まだ恋は始まらない』。最高だった。だって、小泉今日子、中井貴一、坂井真紀、常磐貴子、竹野内豊、草彅剛だよ。もう、坂井真紀が大好きすぎて、大好きすぎて、大好きだった。グビグビックル!広末ブームがやってくる前だ。のちに、人生で一度だけ、坂井真紀に出会うのだが、それはまた書く。

こういう下地があって(どういう下地だ!)、私は映画監督を志すこととなった。
高校3年の夏休みに、母の兄であるけいじおじちゃんに連れられて、いくつかの大学を学校見学した。私の実家は貧しい家ではなかったが、基本的に私立の大学はNGと言われていたので国公立の中から興味のある大学を見に行った。あちこちの大学を、すべりどめ、みたいな形で受けることに自分自身も疑問があったし、入らないのに合格した際にいくらか納めるのは無駄でしかないと思っていたから、これは自分にとってはいいことだった。結局、大学は1校しか受けていない。

東京や千葉、神奈川のいくつかの大学をまわったあと、少し遠かったが、ひとつだけ気になっていた名古屋市立大学も見に行った。そこはまだ「芸術工学部」という学部ができたばかりの大学で、学部内に、学科が2つ、それぞれの定員が30名、つまり1年に60名しかとらない学校だった。しかも自分が入学するとしたら4期生。やっと4年生までが揃うといった時期で、つまりそれは同時にその学部のOBがこの世にまだ1人もいないということを表していた。もちろん大学内の他の学部(経済学部、医学部、看護学部など)はもっと歴史もあって人数もとる。OBもいる。この学部に限っての話だ。この少数精鋭感、よくわからなさ感、なんでもできそう感に惹かれた。だって学部生全員あわせても240名ですよ。楽しそうじゃないですか。全員知り合いになれるかもしれない。それに名古屋という距離も絶妙だった。うまれが東北の福島だから、きっと長い人生、東京や関東にはいずれ住むだろうと思っていた。だったら、遠くに住んでみたいと思ったし、でも大阪まで行くとなると、東京でよくないか、っていうのもわかる。いろいろなことがかみ合って、私は名古屋市立大学芸術工学部に入学した。受験時にもいろいろあったにはあったのだが、それはまたの機会に。こうして私は大学生になった。はじめての一人暮らし。そんな中、また誰かを好きになっていく。

次回はちゃんとvol.3。大学1年の私が19歳の誕生日に告白した話である。
はじめての彼女の話でもあり、やらはた、についての話でもある。      (つづく)

(文:今泉力哉)

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