何者にもなれなかった大人に贈る 『蜜蜂と遠雷』は今を生きる勇気をくれる一冊

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「この道のプロになりたい」「自分にしかできないことがしたい」
夢を持ったことがある人ならば一度はこんな風に野心や希望を持ったことがあるはずだし、きっと多くの人が「頑張れば叶うはず」、そう思っていたのではないでしょうか。

でも、現実は? 歳を重ねるにつれて、たくさんの才能を目にし、自信をなくし、結局、“あの頃思い描いていた自分”にはなれていないことに、ふと絶望にも近い不安を抱くことだってあります。

私の背中を押してくれた、等身大の青春ストーリー

そんな弱気になっていた自分の背中を押してくれたのが、先日、直木賞を受賞した恩田陸の『蜜蜂と遠雷』でした。
4人の男女によって繰り広げられる国際ピアノコンクールを舞台にした群像劇。
若手文芸作家の朝井リョウをはじめとした多くの文化人から、絶賛のコメントが寄せられている作品です。
「青春群像小説」と書かれたこの作品を見たとき、正直最初は、「いまさらキラキラの青春ストーリーを読んだところで、共感なんて出来ないだろうな……」と感じていました。

ですが読み進めていくうちに、いつの間にかページをめくる手が止められなくなり、時に胸が苦しくなったり、時に気持ちが晴れやかになったりと、たとえ音楽関係者ではなくても、夢を抱いたことのある人ならばグッと引き込まれてしまう、普遍的な煌めきが宿った一冊でした。
また、光や音といった、文章では描けないような感覚的な情景を見事に伝えてくれる技巧的な文章にも驚かされます。

それぞれが見つける「自分が目指すべき姿」

物語の主人公は、「天才」と呼ばれながらも、表舞台から姿を消してしまったかつての天才少女
音楽の神に愛されながらも、天才の自覚を持たない自由な少年
聴く者全てを魅了し、自身の才能の中でさらに高みを目指す青年
そして、一度は音楽家の道を諦めながらも、再び“夢の舞台”を目指すサラリーマンの4人です。

自分の才能を自覚し、その全てをかけて高みを目指す者もいれば、自分よりもはるかに優れた才能を前に立ち尽くしてしまう者もいる。
この物語は、「自分の音楽」とは何か、「自分が目指すべき姿」は何かを追い掛ける主人公たちの姿が、とてもリアルに、そしてみずみずしく描かれています。
「もしもこれが自分だったら……」と、かつて抱いていた夢と、それを追い求める自分の姿を4人の内の誰かに重ねてしまう。本を読みながらもう一度、「何かに向かって頑張ることのつらさと楽しさ」を感じました。

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年齢を重ねると、「何かにチャレンジすること」が段々と難しくなるような気がします。
時間だってお金だって、学生の頃よりも自由に使えるようになり、自分を縛る親からも離れ、厳しく校則を説く先生ももういないはずなのに。
それは、「守るべきもの」や、「積み重ねてきたもの」が、もちろんいい意味でも、そして時として悪い意味でも、自分を守り、抑えてしまうから。
そう、リスクを負ってまで“追い求める夢”に本当に価値があるのか、と。

“あの頃の未来”は自分の手で作っていける

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作品の中にこんなワンフレーズがあります。「二十歳過ぎたら、ただの人」。
かつての天才少女にかけられた言葉です。
少女もまた、「若かりし頃の自分の姿」と「今の自分」とのギャップに苦しみます。
「あの頃のような成果はもう出せないのではないか」と。

ですが、再びコンクールの舞台に戻ってきた彼女は、共に苦しみ、もがき、そして自分の目指す「音楽」のためにがむしゃらに進む若者たちを前に、自分を取り戻していくのです。
未来は「若者の手」にしかない、ついついそんな風に考えてしまうこともありますが、いくつになっても、未来は自分の手で掴んで、そして変えて、作っていけるものだと気付かされます。

「今自分が目指したいもの」、「もう一度やるべきこと」を、考え、そして見つめ直す。
“あの頃思い描いていた自分”は、自分で作っていくものだと、あらためて思わせてくれる作品です。

(文:ソーシャルトレンドニュース編集部)

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蜜蜂と遠雷

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