ー3カ月前、童貞を捨てた。思ったほど、世界は変わらなかったー
チェリーについて

vol.5 「ゆ」or「よ」さん 〜先輩と花火の恋〜

恋愛映画の名手・今泉力哉監督が12人の女性との告白の記録を綴る連載『赤い実、告白、桃の花。』。
故郷の福島を離れ、名古屋の大学に入学。名古屋篇が始まります。

大学2年の時、好きだった人がいた。1つ上の先輩だった。
人生で同級生以外を好きになったのはこの時がはじめてだったと思う。
そして彼女の名前を憶えていない。本当に憶えていないのだ。でも顔は憶えている。すごく好きな顔だった。たぶんみんな好きになる顔だと思う。あと声が好きだった。笑顔が少し不細工だった。不思議な暗さがあった。その人は、彼氏と別れたばかりだった。その彼氏は彼女の同級生だった。大柄でほがらかな人だった。自分とは真逆のタイプの人だった。

大学に入る時にはじめて携帯を手にした自分が、人生で初めて、
「(メール送ったのに)返事来ねえ!」などともんどりを打った相手がこの先輩だった。
また、つきあっていないのに意中の人とデートをしたのもはじめてだった。デートだと思っていたのは自分だけだったのかもしれないが。

出会いも憶えていない。先輩だから自然と大学のどこぞで出会っていたんだと思う。はじめて話したのがいつだったかも憶えていない。ただ、距離が近づいた日のことを憶えている。それは先輩の代のなにか大きな課題の発表が終わった後の打ち上げだった。当時、私が通っていた大学は今よりとてもゆるくて、大学敷地内や校舎内での喫煙や飲酒が許されていた。また学生は1人1枚カードキーを持たされていて、基本的に朝7時から夜11時まで校舎内にも自由に出入りが出来た。また課題などで徹夜せざるを得ない時は申請さえすれば、学校で徹夜することも許されていた。

その日は夏だった。先輩たちは課題の発表を終えて、屋上の共有スペースで飲んでいた。屋上はそういう場だった。カフェの外に置かれているようなテーブルやイス、簡易的な水道場もあった。なぜその場に後輩だった自分が混ざれたのかは憶えていない。仲のいい先輩もいたので、その人に誘われたのかもしれない。全部で20人くらいの人がいたと思う。私と同期だったものはいなかった気がする。ビールに混じって、大五郎的なでかい焼酎や日本酒なども飲んでいた。紙コップを8個ずらり並べて、そのコップにまあまあの量の焼酎をつぎ、それを「ド〜はドーナツのド〜」「レ〜はレモンのレ〜」に合わせて、一杯ずつ飲みきっていくという、いかにも大学生らしいバカな飲み方などが行われていた。なぜかそこに混じってしまっていた後輩の私が、そういう場でそういう飲み方をふられずにいられるわけがない。あ、先輩方のメンツにかけて言うが強制ではなく、ただお調子者の自分は手を挙げて、何番目かの飲み主として参加させてもらった。そして「さあ歌いましょ〜」で8杯飲みきった。それ以降の記憶がない。こればかりは時が経ったからではなく、お酒で記憶がなくなった。こういう学生のせいで、現在、母校が構内で飲酒喫煙禁止になっているのだろう。大変申し訳なく思う。ほとんど憶えていない飲み会の中で、でもたしかに憧れだった、その、好きだった「ゆ」or「よ」先輩と話している記憶はあった。でもあまり憶えていなかった。

翌日。自宅でとんでもない二日酔いで目覚めた私の携帯にはその先輩のアドレスがはいっていた。アドレスどころか、メールでのやりとりがあった。そして、記憶のない時の自分に感謝した。なんとその先輩と花火大会に行く約束をとりつけていたのである。しかし、先輩も泥酔していた可能性が高い。その後、メールでやりとりし、本当に行くことを確認、その日を迎えることとなった。

先輩がどんな格好をしていたかも憶えていない。浴衣は着ていなかった。浴衣だったらさすがに今でも憶えていたと思う。とにかく、とてつもない数の人がいたことを憶えている。あまりの人ゴミで全然目的地まで進めずにいた。目的地はどこかの川原だった。そこから花火が綺麗に見えるのだろう。ただ、その道すがら人ごみのせいで先輩と距離が離れそうになった時に、手をつなぎたい、という、もうその想いで頭がいっぱいだったことは鮮明に憶えている。そして、道が細くなっているところかなにかで、一瞬だけ、手をつないだことを憶えている。

手をつなぐ、ということは、今や、アイドルの握手会しかりいろんな場で行われていることだと思うが、キスと何が違うと言うのか。触れる。口か手かの違いだけで、それはもう、キスだ。いや違う。でも、すごいことだと思う。のちに上京後、映画館のアルバイトをしていた時、一番憧れていた女優の坂井真紀(あえて敬称なしで。好きな芸能人に敬称をつけて呼ばないでしょ?)が『パッチギ!』を見に来て、パンフレットを買う際、私が坂井真紀を好きだということを知っていたバイト仲間が接客を私に譲ってくれて、私が坂井真紀にパンフレットを売った。その際、少し手が触れた。坂井真紀の手は、思いのほか、湿っていて、それはすごく意外で、でも、よくよく考えれば、ものすごく彼女らしかった。Miu Miuの財布だった、とアルバイトの女子が教えてくれた。私の中でMiu Miu=坂井真紀である。今は結婚してしまった。しかも結婚相手は私と同い年の写真家だった。

話は戻って。
目的の場所につき、座り、花火が始まるまでの間、私はものすごくどきどきしていた。好きな人と花火大会である。しかもつきあっていないのに。これ以上に素晴らしい状況はあるだろうか。ウディ・アレンじゃないけれど、私も〈片想い最強説〉を支持している。つきあってしまったら、好きという気持ちは長続きしない。片想いだけがずっと続く。相手の嫌いな部分が見えないから。頭の中での彼女はずっと理想像だから。それに、つきあってしまうと相手が自分なんかとつきあうところ、つまり地上、まで降りてきてしまっている気がして。好きな人には、常に上空にいてほしいのだ。地上に降りてきてほしくない。そういう意味で、つきあえていない状態での好きな人とのデート。これは至高の時だ。今まで生きてきて、そういう経験って本当にしていないと思う。それこそ、結婚してから、(仕事関係などで)気になる女性とお茶をする際、緊張したりということはあるが、それはもう、つきあったりとかその後の発展がない状況。ぜんぜん話が違う。既婚者であることを隠して会ったことなどもないわけだから。そういう意味ではこの時が最初で最後だったのかもしれない。

彼女はもちろん私の好意に気づいていたはずだ。でも、彼女は別に私を好きでもなんでもなかったと思う。暇だったからつきあってくれたのだ。別に彼女にとっては自分を好いてくれるたくさんの男性のひとりだったのだろう。そんなことはどうでもいい。私はチャンスを得たのだ。もしかしたら、よく知らない後輩君がとんでもなく面白い人であるかもしれない、と期待してくれていたのかもしれない。しかし、その与えられたチャンスに反して、私は彼女についてほぼ何も知らなかった。知っていることはといえば、最近、彼氏と別れたということのみ。そして、こういう時にどういう風に振る舞えばいいかも、もちろん知らなかった。圧倒的に経験が足りなかった。なにせ女性とつきあったことが一度しかなく、しかもその彼女ともろくにデートせず、男友達と麻雀する方が楽しい、みたいな過ごし方をしてきた人間である。今ならもう少しはわかる。でも当時の自分にはどうすることもできなかった。がちがちに緊張していたこの時の私は、たぶん、この状況下で一番してはいけない行動をとった。

「◯◯さんとつきあってたんですよね?」
「◯◯さん、たしかに、面白いし、かっこいいですよね」
「◯◯さんとはどれくらいつきあってたんですか?」

ひたすら、彼女が最近、別れた元カレの話をしつづけたのだ。それしか彼女について知っている話題がなかったのだ。ばかすぎる。まだ、黙っている方がましだ。本当に最悪である。

「どうして、ふったんですか?」と聞くと「ふられたの」と彼女は言った。

そのあとの空気や花火について、また彼女の表情などについては、あまり語りたくない。お察しの通りだ。今さらだけど、私は夜景とか花火とか動物園とか、そういうものがこれといって得意ではない。10分も見れば、飽きてきてしまう。どうせなら夜景を見たり、花火を見たりしているひとの顔を見ていたい。それが恋人でも。群衆でも。

このときの状況とはちょっと違うかもしれないけれど、どうして本当に好きな人の前でだけは、面白い話もつまらなくなってしまうのだろう。鉄板で笑いが取れる話も、好きな人に話すと途端にうまく話せない。それこそが、その人を好きかどうかを測る精密な測定器になり得るんじゃないかと思うほどに。

その後もメールでのやりとりなどはしたし、好きということも伝えた。告白はメールでだったかもしれない。曖昧だ。この頃から、私はまともに面と向かって告白することをしなくなっていった気がする。かっこ悪く、ださくなっていった。びびっていたのかもしれない。好きな気持ちが弱いから、メールで告白したんじゃない。勇気もないし、つきあえるとも思っていなかったんだと思う。次第に、彼女からのメールの返信もなくなっていった。私のメールも、特に意味などなくなっていた。ただ、つながっていたくて送っていた。返事がこないから続けて2回、3回と送ることもあった。つきあってもいないのに、毎日のように、意味のないメールが来たら、そりゃ返さなくなっていくのがふつうだと思う。返信が欲しいから、無駄に「?」で終わるメールを打ったりしていた。「?」のメールが返ってこなくなったら、みんな気づこう。避けられていると。

今、彼女がどこで何をしているのかわからない。なんとなく、結婚していないんじゃないかな、なんて漠然と思う。きっと、あの少し不細工な笑顔で、誰かを惑わせているんだと思う。久々に会ってみたくなった。知り合いを3人くらいたどれば会えてしまうだろう。そういうのがなんだか逆にこわいな、って思う。携帯なんか、メールなんか、SNSなんかなければいいのに、ってよく思う。ちなみに私はLINEをつかったことがないし、Facebookもやってない。Twitterだけはやったりやめたり。映画の公開時の宣伝のために始めたのだが、依存的に使用している。両親がチェックしているらしく、先日、誕生日に母から届いた手紙には「あんまりネガティブなこととか文句ばかり言わないこと。日々の出会いに感謝していきなさい」みたいな文言が書かれていた。反省しかない。

1年の時からはいっていた部活の夏合宿の休憩中、「メール来ねえ!」と言って、のたうち回っていたのを同級生だった男友達が冷たい目線で見ていたのを憶えている。入っていた部活は、“サークル”ではなく“部活”で、厳しかった。縦社会で同期は男4人女4人。先輩後輩を合わせると全員で40人くらいはいる運動系の部活だった。そんな体育会系の部活の合宿中に片想いでのたうち回っていたら、そりゃ白い目で見られるだろう。現在、そんな同期の男子4人が4人とも結婚した。最後のひとりは今年の3月に結婚した。先日、結婚式の招待状が届いた時、すこし感慨深かった。いまだにつきあいがある部活動の連中。次の相手「こ」さんは、そんな部活をともにしていた後輩である。3月に結婚した彼が私たちのキューピッドだった。つまり、私が2番目につきあった女性との話である。20歳の恋。本当に好きだった。そればっかりだ。

(つづく)

(文:今泉力哉)

今泉監督の『退屈な日々にさようならを』が渋谷アップリンクで上映中!
また5/9〜5/14開催の映画太郎vol.3にて最新作『about a girl』も上映決定!

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