ー3カ月前、童貞を捨てた。思ったほど、世界は変わらなかったー
チェリーについて

vol.8「る」さん 〜あなたに会えてよかった。ある種の恩人。〜 前編

恋愛映画の名手・今泉力哉監督が12人の女性との告白の記録を綴る連載『赤い実、告白、桃の花。』。
名古屋の大学を卒業後、映画監督を目指して上京。東京篇が始まります。

8-0 冷静にこの連載について考える。

創作ならばともかく、実際に存在する、また存在した人について、文章を書いていることがいいことなのかどうかと言えば、とてもいいこととは言えないと思う。それに一方通行の恋だった人についてはまだよい。それはただの片想いで、ただ私が惨めな思いをした記録でしかないから。ではつきあった人についてはどうだろう。やっぱりよくない気がする。今までに出てきたふたりの彼女とはそういう行為もなかったわけだが、8の「る」さんとはそういうこともあった。はじめての相手であり、それを面白おかしく(まあ、たいして可笑しくもない)書くことに何の意味があるのか私には全くわからない。でも書きます。

8-1 大学で一度映画を諦める。

2003年3月。
私は一度、映画監督を目指すことを諦めた。大学の卒業制作でつくった映画があまりうまくいかなかったのだ。どううまくいかなかったのかと言えば、先輩や後輩がつくっている映画と自分の映画を見比べた時に、自分の映画だけがホームビデオみたいな感じがしたのだ。出来があまりに違った。今思うと、それは撮影機材、照明機材などをきちんと使っていたかどうかという、別にどうということではなかったのだが、私には映画がつくれないんだな、ということはとてもショックであった。それでも物語を書いたり、お話をつくったり、ということがしたくて、でもシナリオセンターみたいなお堅いイメージのところには行く気にならず、また、元来が、出たがり、目立ちたがり屋の性分でもあるので、お笑い芸人の養成学校に通うことにした。また、実家が東北の福島県であるから、きっといつかは東京に住むだろうと考え、あえて名古屋から東京ではなく、大阪の吉本の芸人学校(NSC)に入学した。ひたすらネタをつくらなければいけないということは、ある種、物語をつくり続けなければいけない場だと思ったし、在学中にお笑い芸人として一切芽が出なければ1年でやめると決めて通っていた。ネタみせをするうちに何度か講師の方々から同じダメ出しをされるようになっていった。
「小劇場ならいいかもしれないけど」
その時、初めて「小劇場」という言葉を聞いた私はその言葉の意味がわからなかった。上京後、その意味を知るのだが、つまりは、笑い数(笑わせるポイント)が少ない、という指摘だった。そのダメ出しをもらう度に「ああ、やっぱり俺は話を、物語をつくりたいんだな」と思い、芸人学校を卒業する頃には、映画の方に戻ろうと考えていた。

8-2 上京。そして出会い。

2004年4月。
上京。東京にあるニューシネマワークショップという学校に入学した。
早稲田にある学校だったので、早稲田に住んだ。今までの人生で一番安い、風呂なし四畳半、共同トイレのアパート。駅から2分。家賃3万。冷蔵庫もエアコンもない。毎日ではないが銭湯通い。夏には箱のアイスを買って帰っては全部一気に食べたりしていた。この時期、自分の股間に蜘蛛の巣が張る、という経験もして、将来は公園で寝ることもあるだろうな、と思った。この部屋には『ジョゼと虎と魚たち』や『青い春』(松本大洋が描いた変形横長のもの)、また『ストレンジャー・ザン・パラダイス』そして『はなればなれに』などのポスターを貼っていた。
いかにも、ですね。

30人強の同級生とともに入学して映画をあらためて学び始めた。その同級生に「る」さんがいた。彼女は新潟出身でとても映画に詳しかった。いつも古着を着ていて新宿武蔵野館でアルバイトをしていた。スクリーンとかそういった感じの映画雑誌を読み、邦画にも洋画にも、海外の俳優や女優にも詳しかった。つきあってから知ったのだが、彼女はナイナイの岡村さんと結婚するために上京したと言っていた。また、山本剛史さんのファンで、舞台挨拶やトークイベント時には会いに出かけていた。

彼女は映画をたくさん見ているだけあって、映画をつくる才能もあった。
私が通っていた当時、その映画学校にはまだ16mmで短編映画を撮る実習が残っていて、ただ予算や色々な面で、全生徒から4名だけが脚本やプレゼンで選考されて、映画を撮らせてもらえる、という仕組みになっていた。半年だけ通うことも可能だけど、基本的には1年通う感じで、最初の半年がその選抜ありの16mmで映画をつくるコース(監督に選ばれなかった人はどこかの班にまわってスタッフをする)。残りの半年が受講生全員がひとり1本、デジタルで短編映画を撮るコースである。
脚本についての授業や、様々な基礎実習をしながら、それぞれが想い想いの短編を書いていった。6月頃には16mm映画を監督できる4人が決まった。その4人に私も彼女も選ばれた。私たちが通っていた時の専任講師は古厩智之監督だった。いまだに古厩さんとは交流があり、先日も『退屈な日々にさようならを』のトークゲストで来ていただいた。とは言っても、2、3年に1度会うかどうかぐらいの距離ではあるが、本当に数年ぶりに来るメールのタイミングが絶妙で、そのメールにとても救われたりしている。ちなみに私の妻がENBUゼミナールの監督コースに通っていた時の専任講師もたまたま古厩さんで、だから古厩さんには元彼女も妻も知られている。

古厩さんは授業の際に以下のようなことを言った。
「映画学校に通うたった1年間で技術とかそういうものが身につくはずがない。じゃあ何で映画学校に通っているのか。映画学校に通う意味とは。それは、お金を払って『1年間』という時間を買ったんだよ。学生でいられる時間を。だからいっぱい迷いなさい。考えなさい。楽しみなさい。あとはそういう同じ志を持った人と出会うこと。この2つが学校に通う意味」

のちに私はENBUゼミナールという映画学校のスタッフ(事務員)をすることになるのだが、これはものすごく腑に落ちる言葉である。古厩さんの監督コースの授業はひたすら脚本になる前の「何についての話を撮ろうとするのか」をしつこくしつこく詰めていく授業で、その教え子からはたくさんのプロの映画監督が輩出されている。例えば、安易に思いついたであろう「目が見えない主人公が〜」みたいな物語は絶対的に否定される。そういう映画っぽいもの、映画になりそうなもの、本人以外にも描けそうなもの、を全否定する。その人が本当に考えていること、困っていること、が出てくるまで、許してはくれないのだ。講師のスタンスとしては、どこかゆるく、突然休校になったりもするのだが、その実はとても魅力的な授業をしてくださる方だと思う。

映画学校に通い始めて、最初の方に受けた授業で、大谷健太郎監督の授業があった。『avec mon mari アベック モン マリ』や『とらばいゆ』が大好きだった私は、その授業後の打ち上げで大谷さんと色々とお話をさせてもらった。話の流れで、私が童貞であることを告げると「映画つくる前に恋愛しろ」と言われた。それも今となっては腑に落ちる。別に恋愛なんてしなくても映画は撮れると思うけど。

8-3 山下敦弘監督

話は戻って「る」さんである。
授業後の飲み会などで「る」さんと何度か話をするような仲にはなっていった。「る」さんから山下敦弘監督の映画がとても面白く、またその監督の映画によく出ている山本剛史さんのファンだということを聞いた。ちょうどその時、渋谷シネマソサエティという渋谷のミニシアターで山下監督の新作『リアリズムの宿』という映画がやっていたので、見に行った。当時はまだ上京したてで、渋谷の東も西もわからず、マークシティ裏の坂をまあまあ登ったあたりにあるその映画館にたどり着くまでにとんでもなく迷い(今思うとそれこそセンター街、タワレコ、東急ハンズ、現アップリンク、109のあたりなどをうろうろしまくっていた気がする)、予定していた上映時間までに映画館を見つけられず、その次の回で見た。その衝撃と言ったらなかった。「あ。俺がつくりたい映画がもう存在してる」と思った。また、そのロビーに掲示されていた山下敦弘監督の過去作のポスターを見て、なんかどこかで見覚えがあるな、と思った。大学時代、名古屋のシネマテークという映画館でそのポスターを目にしていたのだ。大阪芸術大学の卒業制作として撮られた『どんてん生活』とその次の作品『ばかのハコ船』。当時、大学生だった私がシネマテークでそのポスターを見た時に抱いた感情は、「所詮、大学生の卒業制作だろ?なんで一般公開されてちやほやされてんだよ。絶対つまんない。絶対見ない」といったものだった。その気持ちを思い出していた。

5月か6月。ニューシネマワークショップの掲示板に、映画のエキストラ募集の情報が貼ってあった。それは山下敦弘監督の新作『くりいむレモン』という映画のエキストラで、「る」さんと共にそのエキストラに参加することになった。ほぼ初めて商業映画の現場に参加した。土手を歩く高校生役。主人公の女子高生とすれ違うだけの役だった。タバコは吸えないから、タバコの代わりにチュッパチャップスを舐めながら下校している、という助監督さんの演出のもと、飴をくわえながら、何度か土手をただただ歩いた。映画の冒頭シーン、タイトルバックのカットで主人公の女子高生とすれ違っている猫背が私だ。「る」さんはどこに出ていたのだろうか。撮影は別のシーンだった。ちなみにエンドロールの私のクレジットは「今泉力也」になっている。誤字だ。

そんな感じで時間を共にすることも多くなり、選考される前の脚本についてお互いに相談しあったり、色々な話をしたりした。彼女は選考前に悩みすぎて、泣いたりしていた。真剣に映画と向き合っているんだな、と思った。なんとなくだけど、お互いに惹かれあっている気がした。少なくとも私は「る」さんのことがだんだん好きになっていっていた。

8-4 きっかけ

つきあったのは何かの授業後だった。彼女のことを好きな同級生の男がいた。その夜は彼女を含め、同期の何人かで飲んでいたらしい。私の家付近の居酒屋・つぼ八で。そこでどんな会話がなされたのかはわからない。どうやら、「る」さんが力哉を好いている、そして力哉も「る」さんを好いているはずなのに、なぜ力哉ははっきりしないのか、みたいな話があったらしい。酔っぱらった同期のうち、彼女を好きな男を含む2人の男が、私の住む風呂なしアパートの一階にやってきて、外からなにやら叫びだした。
「りきやー!でてこーい!」
勘弁してほしいと思った。ほかの住人もいる。
「でてこーい!」
しかたなく、降りていくと、あろうことか、そのうちのひとりは家の前で立ち小便をしていた。呼び出されて出ていったのに、「ちょっと待って。小便」と言われた。ちょっと待ってほしいのはこちらである。私は軽く説教をした。酔っぱらっているとはいえ、さすがにしていいこととして悪いことがある。大声を出して呼びつけたことも人の家の前で小便をしていることも、冷静に叱った。「すみません」その2人はたしか高校を出たばかりくらい、いや20くらいだったろうか。
「でも、どう思ってるんスか?」
「今泉さんは『る』さんのこと、どう思ってるんスか?」
「『る』さんの気持ち知ってるんでしょ?」
「いま、そこの、つぼ八で飲んでるんスよ。ちゃんと気持ち伝えてくださいよ」
本人じゃない人からの告白のようなものを受けたのは初めてだった。
「わかった、わかった。行くよ。行って返事すればいいんだろ」
私はその2人に引き連れられて、つぼ八に向かった。10人はいただろうか。同期の飲みの場で、ひとり、居場所がなさそうにうつむいて隅っこに座っていた「る」さんの元に行き、隣に座った。そして、よかったらつきあってください、と言った。「る」さんはよくない返事を想像していたのか、緊張から解放されて泣き出した。そして、うちの前で小便をしていた男も、冷静に罪悪感や不安から解放されたのだろう、泣いていた。「る」さんを好きな同級生(小便じゃない方)の男は飲んでいた。

(後編につづく)
(文:今泉力哉)

後編は、8/24(木)配信予定! お楽しみに!

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