ー3カ月前、童貞を捨てた。思ったほど、世界は変わらなかったー
チェリーについて

vol.8「る」さん 〜あなたに会えてよかった。ある種の恩人。〜 後編

恋愛映画の名手・今泉力哉監督が12人の女性との告白の記録を綴る連載『赤い実、告白、桃の花。』。
名古屋の大学を卒業後、映画監督を目指して上京。東京篇が始まります。前編はこちら!

8-5 はつたいけん

私の初体験は映画のセットの中だった。
当時、「る」さんが住んでいたアパートの彼女の住む部屋の隣の部屋。その部屋を彼女は映画の撮影用に1カ月だけ借りていた。彼女が書いていたお話は一種のガールズムービーで、可愛らしい女子2人が出てくる物語だった。そのうちのひとりが住むアパートの隣の部屋から悪臭がするため、2人でその部屋に忍び込もう、というものだった。忍び込んだその部屋はとんでもなく怪しい文字が習字の半紙に墨で書かれたものが部屋中に所狭しと貼られていて、冷蔵庫を開けたら大量の蠅が飛び出し……みたいな話だったから、彼女は撮影の少し前から隣の部屋も借りていたのだ。彼女には弟がいて、その弟が受験のためか、大学の下見のためかなにかで、上京して彼女の部屋に寝泊まりしていた。
つきあい始めて、もうすでに何度か、私が彼女の家に泊まったり、彼女が私の四畳半の家に泊まったりしたことがあった、ある日。そういう空気になったが、彼女の家には弟がいた。私たちは、息をひそめて、彼女の部屋の隣の作りこまれた怖い部屋に布団をひいて、一緒に寝た。彼女は初めてではなく、私はリードされっぱなしだった。初めての行為が終わりに近づいて、やってきた、その瞬間。私は照れ隠しもあり、彼女から教わった、私たちの共通言語でもある山下監督の映画『ばかのハコ船』のワンシーンの真似をして、「い、いきます」と言いながら、果てた。

8-6 実習作品

実習作品をお互い無事に撮り終え、どのくらいが経ったであろうか。私はまたひとりになりたくなっていた。彼女を嫌いになったわけではない。すぐひとりになりたくなってしまうのだ。きちんと別れることができず、つきあったり別れたり、みたいな状況がダラダラと続いていた。彼女のことを嫌いではなかったから、彼女の家に行くこともあったし、そういう行為が行われることも稀ではあったが、ないこともなかった。本当にダメだなあと思いながら。ある日お酒を飲んでいたのか、彼女の家に泊まっていて、朝方そういう空気になった。で、している時に「しあわせだよ」と言われ、ものすごい罪悪感に囚われ、一瞬にして萎えたことがあった。そのまま裸のままで、『めざましテレビ』を見た。それがそういう関係の最後になった。

8-7 靴底、AVスカウト、小泉今日子

ふたりで会うことはその前後もあって、一度ふたりで下北沢をぶらぶらした時があった。私は一緒に会っていても全然楽しくなかった。会ってしまっている自分も嫌だったし、そもそもウィンドウショッピング的な目的もなくフラフラすることがものすごく無駄に思えて、嫌いだった。あちこちを歩き回って、当時まだできてそんなに経っていなかったビレバンカフェに入った。そこで、彼女に「靴底、減るわ」みたいなことを言った。最低だと思う。この言葉は、私が今までつきあった女性に吐いた全ての言葉の中で最低レベルの言葉のひとつで、いつか『靴底が減る』というタイトルの映画をつくりたいと思っているくらいに、最低な言葉だと思う。正直、当時、この話が仲間内で流行るくらいには、最低な発言だった。きちんと嫌われたかったのかもしれない。ちなみに今でもそうだが、私は靴を2足とかしか持っていないから、靴底が減るのは私にとっては結構なことなのだ。いや、そういう問題ではない。

別れた後に、彼女はAVにスカウトされたりした。胸が大きかったからだ。そのスカウトマンがしつこくて、(多分まあやばい筋の人だったみたいで)相談された。バイト先もバレて、ものすごく困っている、みたいな感じだった。そいつの電話番号を聞いて、公衆電話から電話した。
私「あの」
男「はい?」
私「あの、俺の知り合いの女の人があなたからしつこく連絡とかされて困っているみたい
  なんですけど、やめてもらえますか?」
男「はあ?(笑)」
私「あの」
男「おめえ、誰だよ」
私「警察に言いますよ」
男「はあ?(笑)」
私「警察に言いますから」
男「わかったよ。じゃあ、その女の名前、教えろよ。もう連絡しねえから」
私「いや、それ、言ったら、危ないじゃないっすか、彼女が」
男「は?じゃあどうしたらいいんだよ。誰かわかんなかったら、
  連絡やめることもできねえじゃんか」
私「そ、そうですけど。でも、教えたら、彼女に、ああだこうだ言いますよね」
男「はあ?言わねえし。そんな暇じゃねえし。てか、お前、誰だよ?」
私「警察に言うんで」
がちゃん。

私は電話を切った。まったく意味のない、ビビりまくりの抵抗の電話。私は何をしたかったのだろうか。でも、彼女には連絡が来なくなった。

それから、しばらくして。きちんと別れてどれくらい経っただろうか。
私は何を血迷ったのか、家に転がっていたビデオカメラで自撮りしながら、小泉今日子の『あなたに会えてよかった』をアカペラで歌い、その動画を彼女に送ったか、miniDVテープを手渡した。それは決して他人に見せてはいけない、元恋人同士のやりとりだったはずなのに、数週間後に同級生だった女子数人と「る」さんがいるカラオケボックスに呼び出され、到着早々「もやし(当時、私は一部の人から「もやし」と呼ばれていた)、キョンキョン歌ってよ!」と言われたので、ブチ切れて、到着早々、帰った。

その後も、彼女の家を借りて『此の糸』という映画を撮影したり、その映画に出てくる小道具のマフラーを編んでもらったり、撮影のクランクアップ時に、彼女の家の玄関のドアノブが壊れてゴロンと取れてしまって放置して帰ったり(これは泣かれた)、新宿武蔵野館のスタッフ控え室でバレンタインのチョコをもらったり、とつきあいは続いていた。そして、それこそ色々あって、疎遠になっていった。

でも、本当に彼女に出会わなかったら、山下さんと近づくこともなかっただろうし、いろんな映画を知ることもなかった。彼女に会わなかったら、今の私はいない。それは間違いない。映画においても、人生においても、私の恩人だ。
もう10年以上会っていないし、声も聞いていないけど、また万が一、会うようなことがあったら、その時はそれこそ、『あなたに会えてよかった』を歌うためだけにカラオケにでも行きたい。その後、彼女は映画づくりからは離れてしまったが、現在は結婚し(まあ、そこに到るまでも本当にいろいろあるのだが割愛)子供も生まれ、幸せに暮らしているらしい。どうか、どうか、おしあわせに。

8-8 そして、なんとなく気づいてしまう

実はvol.3の「し」さんという人生初の彼女ができて、別れて、また、vol.6の「こ」さんや今回の「る」さんとつきあっては別れて、という経験を通して、私は徐々にあることに気づいていった。私はすぐに人を好きになるのに、好かれたらひいてしまうし、なんならどんな人も深く愛せない側の人間なんだということに。そういう悲しい事実になんとなく気づいていった。それでもまだ懲りずに私は人を好きになり、つきあった。そして、また同じ過ちを繰り返していった。人を好きになるということにだらしなくなっていった。

(文:今泉力哉)

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