ー3カ月前、童貞を捨てた。思ったほど、世界は変わらなかったー
チェリーについて

第40回 テレビは多様性を取り戻すべき論

久しぶりに仕事が早く終わって、夜の7時前に家に帰りついたとする。
ひとっぷろ浴びて、さぁ夕食タイムだ。そういえば、この時間にテレビを見るのは久しぶり。どれどれと、あなたは新聞のテレビ欄を見るだろう。「えーっと、この時間にやってるテレビは……」

恐らく、ここであなたは愕然とするはずだ。4月と10月の改編期でもないのに、ゴールデンタイムの民放はどこも2時間や3時間のスペシャル番組ばかり。しかも、どの番組名を見てもピンとこない。

ためしにテレビをつけてみる。どの局でもいい。そこには――華やかなスタジオセットに、人気タレントと女子アナが司会に扮し、脇のひな壇には毒舌俳優や元アスリート、グラビアアイドル、中堅どころのお笑い芸人らがいて、VTRはどこかの国の奇祭に男女のタレントが体当たりリポートする様子を映し、ワイプにはそれにリアクションするひな壇の彼らの顔が見える――という、恐ろしく既視感のある番組が流れているだろう。

情報バラエティという禁断の果実

現在、ゴールデンタイム(19時~22時)の地上波の民放の番組は、8割近くがバラエティである。中でも多いのが「情報バラエティ」なるジャンルの番組だ。先の例もそうで、要はスタジオに司会とパネラーたちがいて、VTRを見て、トークをする類いの番組である。

そのVTRはグルメだったり、旅ものだったり、生活お役立ち情報だったり、歴史や医療などのお勉強ものだったり――と色々なパターンがあるが、何かしら「情報」が得られるのが共通点だ。スタジオ部分は、時にクイズになったり、ランキング形式になったりもするが、トーク主体である点は変わらない。要は、スタジオ+VTR+トーク=情報バラエティである。

そして――この情報バラエティこそが、近年の“テレビ離れ”の大きな要因の1つであり、テレビ界で密かに「禁断の果実」と呼ばれているのである。

途中から見始める情報バラエティ

情報バラエティの何が問題か?
――困ったことに、視聴率をそこそこ稼いでしまうのだ。
え? 視聴率が取れるなら、別に問題ないじゃないかって? いや、それはそうなんだけど、ここで言いたい問題は、視聴者がその番組を見ようと思って、見始めていない点にある。

どういうことか。
大抵、「情報バラエティ」は2時間とか3時間の長尺で作られ(レギュラー番組のスペシャル版だったり、単発スペシャルだったり)、その長尺ゆえに、視聴者はリモコンでザッピングしている途中で、目に止まって、それを見始めることが多い。VTRが気になったり、パネラー陣の中にひいきのタレントがいたり――まぁ、動機は何でもいい。とにかく、ザッピングの途中でリモコンの手が止まり、ついつい見てしまう――これが長尺の情報バラエティが見られるパターンだ。

つまり、意図して見始めたワケじゃないので、初めからじゃなく途中からの視聴となり、そうなると番組のタイトルすら把握していないケースが多いのだ。

視聴者を逃さないテクニック

そう、途中から見始めた情報バラエティ――。
次なる問題点は、一旦見始めたら最後、ズルズルと番組を見続けてしまう点にある。
え? それも別にいいことじゃないかって?

まぁ、確かに、見続けてもらえる――それ自体は番組作りの正しい姿だろう。その背景には、この65年の日本のテレビの歴史で、いかにお茶の間を飽きさせないで、番組を見てもらえるかを研究し続けたテレビマンたちの苦闘があった。その結果が、VTRとスタジオトークが絶妙に絡み合い、視聴者が何かしらお勉強した気になる「情報バラエティ」なのだ。

それは、秒単位でテロップや効果音が編集され、一度見始めたら最後、飽きることなく最後まで見続けられる。特に50代以上のテレビに愛着のある層ほど、その術中にハマりやすい。
その結果、情報バラエティは毎回、そこそこの視聴率を稼いでしまう。だが――一方で視聴者は、その番組のタイトルすら、最後まで知らなかったりするのである。

若者のテレビ離れへ

いかがだろう。情報バラエティの“禁断の果実”ぶりが、段々見えてきたと思う。
1つは、長尺であるがゆえに、途中から見始めるケースが多いこと。2つ目は、見始めたら最後、絶妙な編集でズルズルと見続けてしまい、特に高齢者ほどその“罠”にハマりやすく、結果として視聴率を稼いでしまうこと。そして――最大の問題は、視聴者はその番組のタイトル、いや、どうかしたらテレビ局すら把握していないこと――。

それは、つまるところ、何を意味するか?
テレビ局としては、そこそこ視聴率が稼げるので、また長尺の情報バラエティを作ろうという話になるだろう。
一方、視聴者は昨夜見た情報バラエティのタイトルやテレビ局すら把握していない。つまり――まるで“視聴習慣”として根づいていないのだ。

そう、視聴習慣が根づいていない――これこそが、昨今の“若者のテレビ離れ”の正体である。

昭和のテレビは人々の生活習慣の中にあった

若者のテレビ離れ――その外敵要因としては、スマホの普及や若者の生活習慣の変化などが挙げられる。だが、その最大の要因はテレビ側にあり、それは「情報バラエティ」なる禁断の果実がもたらしたのである。

そうなると、若者のテレビ離れを食い止める対策は1つしかない。
“視聴習慣”を再び根づかせるのだ。そのためには情報バラエティを減らし、印象に残る、多様性のあるレギュラープログラムを復活させるしかない。

思えば、昭和のテレビは、人々の生活習慣の中に組み込まれていた。火曜9時は『火サス』(日テレ系)、水曜9時は『欽どこ』(テレ朝系)、木曜9時は『ザ・ベストテン』(TBS系)、土曜8時は『ひょうきん族』(フジ系)――。オンエアを見るために、用事を切り上げて、急いで家に帰ることも多かった。

時代劇は週に10本以上あった

現代と昭和で、新聞のテレビ欄を見比べた時、大きく2つの点で異なる。

1つは、現代の民放テレビは年中スペシャル番組が氾濫しているが、昭和の時代は、改編期以外はレギュラープログラムの平常運転だったこと。
2つ目は、現代の民放テレビのゴールデンタイムの8割近くはバラエティだが、昭和の時代は、番組が多様性に富んでいたこと。

例えば――今や地上波で絶滅危惧種と言われる時代劇。昭和の時代は、実に週に10本以上もゴールデンタイムに放映されていたのである。
かの『水戸黄門』をはじめ、先に亡くなられた加藤剛さんの『大岡越前』、他にも『遠山の金さん』、『銭形平次』、『桃太郎侍』、『暴れん坊将軍』、『必殺仕事人』、『鬼平犯科帳』、『江戸を斬る』、『木枯し紋次郎』、『大江戸捜査網』――と、毎日のようにどこかの局が時代劇を放映していた。

昭和の時代、京都の太秦撮影所や松竹撮影所は、いつも撮影が行われ、活気に満ちていた。アイドルや若手俳優は時代劇を経験することで、自然と役者の世界のしきたりや演技の幅を学び、脚本家のタマゴや助監督らも時代劇で修業し、やがて独り立ちした。

当時はテレビが一家に一台だったので、時代劇は家族で見た。平成の時代劇のように、年寄りの娯楽じゃなかった。実際、TBSの月曜8時に『水戸黄門』が始まった当初、助さん役の杉良太郎と格さん役の横内正は共に20代で、アイドル的人気を博した。当時のOLや女子高生は、今の月9を見るように『水戸黄門』を見たのである。

伝説の歌番組『ザ・ベストテン』

今や絶滅危惧種となった番組に、歌番組もある。
最も有名な歌番組と言えば、昭和の人々の“木曜9時”の習慣に組み込まれていた、TBSの『ザ・ベストテン』だろう。

かの番組、最高視聴率は41.9%(関東地区)。その最大の要因は、“時代”を見せたことに尽きると言われる。現に、初代司会者の久米宏サンが、後にこんな趣旨のことを語っている。「『ニュースステーション』はニュース番組の形を借りたバラエティで、『ザ・ベストテン』はバラエティの形を借りたニュース番組でした」――。

そう、毎週木曜9時の生放送。スケジュールが許せば、出場歌手にはスタジオに来てもらうが、コンサートなどで地方にいる場合は、TBSの系列局のアナウンサーが現地にお邪魔して、そこから中継させてもらう――これが、同番組の最大の発明だった。
つまり――『ザ・ベストテン』は、毎週木曜9時に、今を時めくスターたちが“どこで、何をしているか”を伝える番組だったのだ。先の久米サンの言葉は、そういう意味である。

歌番組は歌を聴かせる番組だった

思えば、昭和の時代は、『ザ・ベストテン』をはじめ、各局に歌番組があり、毎日、どこかの局が放映していた。
一例を挙げると――『レッツゴーヤング』、『ビッグショー』(以上、NHK)、『NTV紅白歌のベストテン』、『ザ・トップテン』(以上、日テレ系)、『ロッテ 歌のアルバム』、『トップスターショー 歌ある限り』(以上、TBS)、『ザ・ヒットパレード』、『夜のヒットスタジオ』(以上、フジテレビ)、『ベスト30歌謡曲』、『夢のビッグスタジオ』(以上、テレビ朝日)――etc.

当然だが、当時の歌番組は純粋に歌を聴かせる番組だった。司会者がいて、出場歌手がいて、歌う前に2、3のやりとりがあって、歌う――これだけ。しかも、全て新曲で、それもヒット曲だった。延々トークをして歌手のキャラを無理に立たせたり、懐メロのコーナーを入れる必要もなかった。

だが、今や地上波のレギュラーの歌番組は絶滅寸前。その一方で、各局とも夏と冬に長尺の音楽のスペシャル番組を組むのが定例化している。要するにお祭りだ。
とはいえ、毎週歌番組を放映して、人々の生活習慣に組み込んでもらうことこそ、ヒット曲不足に悩む音楽業界を救う正攻法ではないだろうか――。

ゴールデンで放映された一社提供ドキュメンタリー

絶滅危惧種の番組はまだある。
ドキュメンタリーだ。今やドキュメンタリー番組を、民放のゴールデンタイムで見る機会はほとんどない。
一方、海外に目を向けると、ディスカバリーチャンネルやナショナルジオグラフィックなど、予算をかけて良質なドキュメンタリーを制作するチャンネルが存在し、人気も高い。

しかし――日本でも昭和の時代は、ドキュメンタリーが普通にゴールデンタイムに放映されていたのだ。『三井ワールドアワー 兼高かおる世界の旅』(TBS系)、『日立ドキュメンタリー すばらしい世界旅行』(日テレ系)、『トヨタ日曜ドキュメンタリー 知られざる世界』(日テレ系)、『NECアワー 野生の王国』(TBS系)――etc.

タイトルを見ても分かるが、ドキュメンタリーは一社提供番組が多い。それは、一社提供だと視聴率主義に走らず、良質なドキュメンタリーを安定して制作できるからである。企業イメージもよくなり、win-winの関係を築ける。
だが、平成になり、各局がし烈な視聴率競争をするようになると、いつしかドキュメンタリーはお荷物となり、ゴールデンから消えたのである。

先にも述べた通り、海外ではドキュメンタリーはメジャーな存在として扱われる。日本でも、もう一度、一社提供の質の高いドキュメンタリーをゴールデンタイムに放送できないものだろうか。視聴率とは別の視点で、“テレビ離れ”を食い止める一定の効果があると思われるが――。

三つ子の魂百まで――子供向け番組が必要な理由

40代より上の世代なら、昭和の時代、夕方5時のテレビはアニメの再放送が定番だったのを覚えているだろう。
そして、6時台のニュースを挟んで、7時の夕食タイムになると、今度は30分の子供向け番組が放送される。アニメ以外に学園ドラマなどもあった。

フジテレビには、長らく日曜夜7時半に『世界名作劇場』(当初の『カルピスこども名作劇場』から数回改題)なる枠があり、スタジオジブリを作る前の高畑勲監督や宮崎駿監督も参加して、『アルプスの少女ハイジ』や『母をたずねて三千里』などの数々の良作のアニメを送り出した。

だが――現在、テレビ界では、それら子供向け番組は激減している。
夕方のニュースは長尺化されて主婦向けとなり、アニメの再放送枠は消滅。夜7時台も、件の情報バラエティが氾濫し、子供向けの30分番組は見る影もない。フジの「世界名作劇場」も1997年で終わってしまった。

俗に、「三つ子の魂百まで」と言うが、かつて昭和の子供たちは、子供向け番組を見て育ち、テレビが好きになった。今、“若者のテレビ離れ”と言われるが、そもそも子供向け番組を減らしておいて、何をか言わんやである。

“下世話感”が評価されたワイドショー

最後に、意外な絶滅危惧種の番組を挙げたい。それは――ワイドショーである。
え? ワイドショーなら、今でも放送されてるだろうって?

いや、『情報ライブ ミヤネ屋』(日テレ系)や『直撃LIVE グッディ!』(フジ系)といった番組は、正確には“情報ワイドショー”と言って、昭和の時代のワイドショーとは少々異なる。
その最大の違いは、“下世話感”の有無である。

例えば、昭和の時代の代表的なワイドショーに『アフタヌーンショー』(テレ朝系)なる番組があった。司会は俳優の川崎敬三サン。そこに、芸能リポーターの梨元勝サンや俳優でリポーター役の山本耕一らレギュラー陣が加わり、芸能界のスキャンダルから、下世話な社会の事件などを紹介して、論じた。ザ・ぼんちが歌う『恋のぼんちシート』の歌詞にもなった「そーなんですよ、川崎さん」の名文句は流行語になった。

昭和のワイドショーがお茶の間に好まれた理由は、いい意味で“下世話感”があったからだ。テレビというとメディアの王様みたいで偉そうに見えるが、時々、こうやって下世話なこともやってくれる。実にくだらない。だが――それがいい、と。くだらないニュースを真剣に論じ合うワイドショーに、視聴者は、安居酒屋でバカ話をしてくれる下町のおっちゃん臭を感じたのである。

一方、今の「情報ワイドショー」は、芸能プロダクションに忖度するあまり、芸能スキャンダルをほとんど扱わない。代わって取り上げるのが、政治ネタである。報道局(政治部)が作るニュースと違い、情報制作局が作る情報ワイドショーは基本、政治家に忖度する必要がないので、上から目線でガンガン叩く。正義のヒーロー気取りだが、過剰な演出や論法に正直、「何様?」と思ってしまう。その結果――テレビはかつての下世話な“親しみ”すらも、失ったのである。

なぜ恐竜は滅んだのか

今から6500万年前、メキシコのユカタン半島に直径10kmの巨大隕石が衝突して、大気中に膨大な量の煤(すす)をまき散らして地球が急激に寒冷化し、恐竜が絶滅したと言われる。

だが――ご存知の通り、小さなほ乳類や鳥類、爬虫類は生き残り、現在、我々人類は繁栄している。恐竜が絶滅したのは、種のバリエーションが少なく、あまりに巨大サイズに特化したために、環境の変化に対応できなかったからである。

そう、進化を制すのは強い個体や「種」ではない。多様な「種」である。環境が変化した時、それに対応できる個体を持っていた種が生き残るのだ。

多様な番組が未来を作る

同じことがテレビにも言えないだろうか。
この先、テレビ界にどんな環境の変化が訪れるのか分からない。だが、ゴールデンタイムの80%近くがバラエティに特化され、スペシャル番組が氾濫する現状は、果たして来るべき変化に耐えられるだろうか?

提案する。
テレビ界はもう一度、かつての昭和の時代のような「多様性」を取り戻すべきである。そしてレギュラー番組を重視して、もう一度、視聴者の生活習慣の中に、テレビを入れてもらうのだ。

このままだと、テレビは恐竜と同じ末路を辿りかねない。

(文:指南役 イラスト:高田真弓)

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