ー3カ月前、童貞を捨てた。思ったほど、世界は変わらなかったー
チェリーについて

Vol.2 内定取消と借金200万

連載2回目-東京の人混みで雑巾のような生活をしていた頃の話

連載2回目っす。AVメーカー「ハマジム」所属でドキュメンタリー映画を作ってます岩淵弘樹です。なぜこんな無名のおっさんが連載を担当させてもらっているのか……オモコロとかにもっと面白くて若いライターさんもいるでしょうに……新しいサイトなのに俺でいいのかい……という不安を抱えながらこちらの原稿を書いてますが、少年みたいな顔をした霜田編集長が熱くプッシュしてくれているので期待に添えるよう、人生の恥部をちゃんとさらしていきますので、以後お見知りおきを。

前回は、このサイトの趣旨でもある永遠のオトナ童貞に向けて自分の童貞喪失話を書きました。今回からは自分がドキュメンタリー映画として残してきたことを中心に書いていきます。借金まみれで故郷を離れ、東京の人混みで雑巾のような生活をしていた頃のお話です。
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クズは群生する

2002年。地元仙台の普通の公立高校を卒業し、映画か写真か文章か何でもいいから自分を表現する仕事をしたいと思い、山形の東北芸術工科大学の映像学科に入学した。教授は口癖のように「才能は群生する」と言った。つまらない同級生たちが教室で毎日たむろして遅くまで世間話をしていた。「クズは群生する」俺はそう思っていた。学校では図書館に入り浸り、古い映画をよく見ていた。他の時間はバイトをするか、学費を払うために毎月8万円奨学金が入っていたので、その金でパチスロばかりしていた。ちょうど4号機の北斗の拳や吉宗が全盛期の時代で、ハイリスクハイリターンの台に毎朝長い行列が出来ていた。負けまくっていたので学費を払えなくなり、そのことを親に言えず、こっそりプロミスで金を借りた。

大学4年で借金200万

そこからは早かった。アイフル、アコム、武富士、ジャックス。あっという間に借金が雪だるま式に増えていった。利息だけで月に6万。学校が休みの週末はコンビニの夜勤で朝まで働き、そのままスーパー銭湯で早朝から夕方までバイトした。パチスロは止められなかった。大学4年で借金200万。キャッシング枠がいっぱいになると、新幹線の回数券を買ってすぐにチケット屋に売ったり、高額のブランド品のバッグを買ってすぐに中古屋に持っていったり、ショッピング枠の現金化をするようになった。月末が近付くとどうやって金を工面するかしか考えていなかった。心の動きは停止し、右から左に流れていくお金を少しでも掴めないかということだけ考えていた。

内定、留年、取消、フリーター

就職は地元の教科書販売の出版社に決まった。何となく合同説明会に参加し、流れるまま最終面接にまで行き着き、内定をもらった。地元で就職し、週末はパチンコでもしながらのんびり生きていくのだろうと将来を考えていた。だが、単位が一つ足らず卒業が出来なかった。当然、内定取消し。親は残念がっていたが親戚からお金を集め、留年分の学費を用立ててくれた。借金ズブズブの汚れた身であることは言えず、黙って両親が準備してくれたお金で残りの大学生活を過ごした。半年後に大学を卒業し、フリーターとなる。借金は減らない。このまま仙台でバイトしながら暮らしていくのか。気持ちも視界も真っ暗で頭の中にウジ虫がわいたみたいに思考停止した毎日を過ごしていた。

未来が開けたような“気がした”

そんなある日、コンビニで立ち読みした就職情報誌に派遣作業員、月収27万、埼玉県本庄市住み込み、プリンターの取り付けスタッフという求人情報を見つけ、これだと思った。東京に行きたい。埼玉に住めば好きな映画や音楽が生まれ続ける東京にも簡単に行けるようになる。重りのように借金漬けになった仙台での生活よりもずっとマシになる。急に未来が開けたような気がして、すぐに申し込んだ。事務所に行くと、いつから働けますか?と聞かれ、すぐにでも、と答えると新幹線のチケットを渡され、翌週には埼玉県本庄市に飛んだ。本庄から東京までは片道1680円、1時間半。当時はこれで自分も東京の住人だと思っていた。

月収20万、工場勤務の日々

2006年。本庄の2DKのアパートを与えられ、そこで同僚と二人暮らしをしながら工場に通う生活がはじまった。月収27万と求人誌には書いてあったが、実際は時給1500円。月収は20万前後であった。その生活をそのままドキュメンタリー映画にしたら?と大学時代に知り合った映像作家の土屋豊さんから軽いアドバイスがあり、学生の頃から使っていた小さなハンディカムで生活の記録をはじめた。自分の生活が映画に? 具体的なイメージは何も思い浮かばないまま、日々工場に通ったり、東京に行ったりする自分を撮影していた。給料は使いすぎないように親に一部管理してもらうようにした。携帯でインターネットが使えるようになりはじめていたので、日々の記録をブログに記し続けた。

東京、派遣、マック、ダンボール

工場でプリンターのインクタンクにフタを付けるだけの単純作業の仕事をしながら、週末は東京で派遣のバイトに登録し、漫画喫茶を寝泊りして過ごした。東京の空気を吸えるだけで良かった。何日も風呂に入らずボサボサの頭で新宿の路上に座って派遣の仕事がはじまるまで待ち続けたり、朝の5時に漫画喫茶を出てマクドナルドで朝食を食べてそのまま寝たり、環七を南に下って夜から朝まで歩き続けたり、建設中の六本木ミッドタウンの搬入のバイトを15時間して疲労で吐いたり、表参道の洋服屋の前でダンボールをかぶって寝たり、拾ったエロ本を読んで駅のトイレでオナニーしたり、ゴミ袋の中から出られなくなってもがくネズミみたいな日々だった。

派遣のバイトの制服代わりに履いていた茶色のチノパンはどんどんくすむ。新宿ルミネのガラスの柱に映った自分の姿はほこりをかぶったサンドバッグのようだ。だが、これは自分で進んで堕ちていった姿だ。誰も悪くない。自分で借金を作り、留年し、仕事を選び、人脈も何もない東京にやって来た。そしてこのザマだ。恋人がほしい。人の温もりがほしい。金がほしい。夢がほしい。人生の目標がほしい。

そんな生活を1年過ごし、借金は一部返済し、10万円貯金できた。撮った映像をまとめようと思い、埼玉の仕事を辞め、実家に戻った。3ヵ月かけて編集し、それは『遭難フリーター』というタイトルの映画になった。自分で迷い込んだから“遭難”。将来のことは何も考えていない。即物的な気持ち良さを求めてパチスロにハマり、借金で身を崩しながら憧れの東京にへばりついた記録。映画が出来て、山形国際ドキュメンタリー映画祭に応募したら、日本の現在を伝えるプログラムでの上映が決まった。24歳の時だった。

(続く)

(文:岩淵弘樹)

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