ー3カ月前、童貞を捨てた。思ったほど、世界は変わらなかったー
チェリーについて

森田剛だから救えた青春 『学校へ行こう!』の功罪と『ヒメアノ~ル』が照らしたもの

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人生の中には常に“前向きな可能性”と“後ろ向きな可能性”が潜んでいる。
「あなたの将来には色んな可能性がある」
「あなたが誘拐される可能性はゼロじゃないのよ」
小さい頃は周囲の大人たちに、良くも悪くも“可能性”について言い聞かされたものだ。

自分自身が大人と呼ばれる年齢になると、日々に忙殺されていて、「可能性がある」と言われたところで、理想的な異性と出会う“可能性”も、通り魔のような人災に遭う“可能性”があることも実感しづらい。
誰しも“正の可能性”も“負の可能性”を持っていることを忘れてしまうのだ。

そんな大人たちに、誰もが自分の人生に劇的な変化が訪れる種を持っていることを思い出させてくれる映画が、古谷実原作・吉田恵輔監督(『よし』は土に口)の最新作である『ヒメアノ~ル』だ。

吉田恵輔映画の名物、愛らしいモテない男たち

『ヒメアノ~ル』は“前向きな可能性”でいうと、『どんなに冴えない男でも、かわいい女の子と付き合える可能性はある』という希望を示してくれている。

吉田恵輔監督は、本作に限らず“冴えない男”と“モテる女の子”を魅力的に描く。

“冴えない男”でいうと『さんかく』の百瀬(高岡奏輔)や『ばしゃ馬さんとビッグマウス』の天童(安田章大)のように、見た目はイケメンだけどどこか残念な人物。『ヒメアノ~ル』の安藤(ムロツヨシ)のように、見るからに危険な人物など、そのキャラクターたちは一度見たら忘れられない。

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それぞれが果てしなく痛々しい一方で、ふとした優しさを持った彼らは、どこか憎めないのだ。
そんな愛らしい男性キャラクターに感情移入した観客の男子たちは、次に出てくる衝撃的なまでにかわいいヒロインの登場によって、思春期の心に逆戻りさせられる。

“かわいい女の子と付き合える”というファンタジー

“吉田恵輔監督が描くモテる女の子”は、男の胸キュンポイントを擬人化したように小悪魔的だ。
日本中の男性の恋愛対象年齢を一気に下げたであろう『さんかく』の桃(小野恵令奈)はその代表例だろう。

『ヒメアノ~ル』で佐津川愛美が演じたヒロイン・ユカの可愛さも、男子の心の柔らかい部分を鷲掴みにする。
キチンと手入れがされている髪形に、猫のような目で繰り出される上目遣い、どんなに警戒していても心の芯をつんつんと突いてくる甘い声色……etc.

パッと見で伝わる外側の魅力に加えて、「おしゃれなカフェの店員」「好きな人にはぐいぐい来る」などの要素は、童貞にとって、どこかの国のお姫様のように輝いて見えるはずだ。

そんなユカが、25歳童貞・岡田くん(濱田岳)に愛の告白をする。

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吉田恵輔演出によって思春期の心に戻っている観客たちも、ユカの告白シーンでは、「こんな子と付き合えるはずがないだろ」と思わずツッコミを入れてしまうだろう。

しかし、ユカに「岡田さんが好きです」と言われた岡田は、思わず「え、あ、同じ名字?」と返す。目の前の奇跡を理解できず、別人の「岡田」だと間違えているのだ。

そんな懐疑的な反応が、我々に共感を与え、“どんなに冴えない男でも可愛い女の子と付き合える”という“可能性”を思い出させてくれる。

残忍極まりない犯行を国民的アイドルが熱演

一方、冒頭にも申し上げたように、本作が教えてくれるのは幸せになる可能性だけではない。
人災に巻き込まれるという全く望んでいない“可能性”をもこの作品は観客に思い出させるのだ。

ラブストーリー仕立てである本作の前半は、岡田とユカがはじめて男女として結ばれるシーンで終わる。そして幸せな二人がセックスをする音を聞きながら、ユカのアパートを外から見つめている男が、本作の主人公・森田(森田剛)だ。

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ユカをずっとストーキングしている森田は「岡田を殺すから手伝ってくれ」と同級生の和草(駒木根俊介)に話を持ち込む。まるで、引っ越しの手伝いを頼むかのような気軽さである。

テレビで報道される異常な犯罪にも慣れ、ただの情報として通りすぎてしまう現代人にとって、『ヒメアノ〜ル』の後半戦はかなり過酷だ。

強姦された被害者女性の、染みになっている生理用ナプキン。
刺殺された警官の口にたまった赤い泡。
銃殺されたユカの隣人の、頬に開いた穴から漏れ出る、声にならない音。

グロテスクな映画に慣れている観客であっても、『ヒメアノ~ル』の犯行シーンのディテールは、目や耳に焼き付いて離れないだろう。

森田の一連の行動によって、ニュースだけでは決して知ることのない異常な犯罪者の生態と犯行を生々しく目撃することとなるのだ。
それらの理不尽でありながら、リアルな情景は、この残劇が決して他人事ではないこと、見る者に叩きこんでくれる。

森田剛の熱演に学ぶ“人殺しができるまで”

『ヒメアノ~ル』が示す“後ろ向きな可能性”はたった一つでは終わらない。

物語が進むにつれて、この作品は、誰もが森田になっていたかもしれないという“可能性”まで、まざまざと見せつけてくるのだ。

教室でエアガンの的にされ、女生徒の前でオナニーをさせられ、校庭で犬の糞を食わされる……。過去の森田がいじめられた映像がフラッシュバックされる度に、「森田は自分の心を守るために防衛本能を働かせ、生きるために殺人犯になったのではないか……」と考えさせられる。
テレビドラマではなかなか表現されない、過酷すぎる青春である。しかし、どこかの学校で、現実に行われているであろう行為ばかりだ。

かつて森田剛が出演していた『学校へ行こう!』という番組は、キャラクターを強く表現できる生徒たちをうまくいじることで、テレビの番組内にとどまらず、全国の教室という社会にも互換可能な“笑いのフォーマット”を作った。

実際の学校社会においても、自分のキャラクターをうまく同世代にPRできる人間は人気者の座を手に入れた。
一方で、“学校という青春劇場”に登場するキャラクターとして、教室内のマジョリティから、必要とされてない人間は息を潜めざるを得なくなる。

陰に追いやられた生徒(『ヒメアノ~ル』でいう森田、岡田、和草など)の中には、教室の権力者から“いじり”ではなく“いじめ”を受けることもあったはずだ。

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バラエティ番組が作った“小さな社会の基準”にハマれなかった若者の境遇を、森田剛はこの映画で拾い上げたのではないだろうか。
『学校へ行こう!』の森田剛には共感できなくとも、『ヒメアノ~ル』の森田剛に親近感を覚える若者も多いはずだ。

テレビというメディアが、学校社会の光を取り上げたように、映画というメディアが学校社会の陰で生きざるを得なかった者たちの成れの果てを捉えたことも、本作の特筆すべき点であろう。

「かつていじめられていた自分も殺人鬼になっていたかもしれない。同級生でいじめられていた人間がいま、犯罪者として心の傷を癒やしているかもしれない」と最後に最も恐ろしい“可能性”をつきつけられる本作。

“正の可能性”であれ、“負の可能性”であれ、自分の心の中や、日々の他人との関わりの中で、見落としていた感情に出会えるであろう作品だ。

(文:小峰克彦)

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映画『ヒメアノ~ル』
出演:森田剛 佐津川愛美 ムロツヨシ 濱田岳
監督・脚本:吉田恵輔
原作:古谷 実「ヒメアノ~ル」(ヤングマガジンKC所載) 音楽:野村卓史
製作:日活 ハピネット ジェイ・ストーム
制作プロダクション:ジャンゴフィルム
配給:日活
公式サイト:www.himeanole-movie.com
©2016「ヒメアノ〜ル」製作委員会
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