ー3カ月前、童貞を捨てた。思ったほど、世界は変わらなかったー
チェリーについて

「10年後の遭難フリーター」vol.8 2011年、大森靖子さん

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チェリー読者のみなさま、AVメーカーハマジムで働いている岩淵弘樹です。今回は長くなりそうなので早速本題に入ります。

2011年6月のある日、豊田道倫さんのライブが原宿・VACANTであって、その打ち上げでカラオケに行った。打ち上げには歌手の川本真琴さんや写真家の佐内正史さんや豊田さんのライブによく来る常連客が20人くらいいた。その中で、ももクロや浜崎あゆみの曲を熱唱する女の子がいた。カラオケが終わり、外に出ると雨が降っていた。夜中の3時くらいだったと思う。それぞれタクシーに乗ったり、そこら辺で始発まで時間をつぶそうとしたりと、三々五々に散っていった。俺と、どついたるねんというバンドの相川と、さっきの女の子が残り、原宿から中野まで歩いて帰ろうとなった。

女の子の名前は大森靖子。YouTubeでライブ映像は見たことがあった。その動画は高円寺の狭いライブハウスでキャバ嬢みたいなドレスを着て長髪で『PINK』という早口の曲を歌っていて、客で来ていた外人に「Are you from?」と聞き、外人の出身地を曲に織り込みながら畳み掛けるように言葉を吐きギターをかき鳴らしていた。
雨の中、三人で歩きながら、自分らのやってることなんてしょーもない、誰も評価してくれない、というか理解されたくない、されてたまるか、俺らは正しい、間違ってない、この雨の中でPV撮ったら面白いよね、でもやっぱ帰ろうか、CD聴かせてよ、一緒に何か出来たらいいね、とか話しながら帰った。

その数日後、大森さんに連絡を取り、何か撮ろうよと話した。もらったCDはライブの録音だったので、この音源ではPVを撮れない、じゃあドキュメンタリーを撮ろう、俺の好きなAV監督が女優さんと48時間一緒に過ごして撮った作品があって、ラブホテルで2泊3日するのはどうだろうと提案したら、あっさりOKが出た。お互いの予定を合わせると、ちょうどフジロックの開催日と丸かぶりの3日間が空いてる。じゃあ、この日にしよう。

が、撮影当日、俺は金を持っていなかった。家賃と借金返済と遊びに使ってしまっていて、肝心の撮影のための軍資金を手元に残していなかったのだ。待ち合わせの1時間前に電話して、実はお金がないんだけど…と話すと、大森さんは私が立て替えておくから大丈夫だよ、と言ってくれた。それから歌舞伎町のラブホテルに泊まり、何曲か歌ってもらい、1日目は終わった。ドキュメントを撮るといっても、「ラブホテルで歌う」ということしか考えていなかったので、2日目の朝にはもう時間を持て余していた。相川を電話で呼び出し、3人でスタジオに入って何も考えずに適当に楽器を弾いて時間が過ぎるのを待った。
「撮影やめようか?」俺は何の考えもなしに提案した企画を後悔し、大森さんにそう言った。「最後までやろうよ」大森さんは言った。

2日目の夜、歌舞伎町の別のラブホテルに泊まった。大森さんは歌う。俺はその姿をきれいに撮る。それだけで良かったのに、何かもっと別の感情もカメラの前に引き起こして、ドラマが生まれたらと思った。俺は答えのない撮影の苛立ちを大森さんにぶつけはじめた。「誰に向かって歌ってんの?」「なんでこんな撮影をしてるんだ?」いま思うと、本当にひどいと思う。バカがカメラを持つからこんなことになってしまう。大森さんは「私は歌しかないから」と涙を流しながら話した。

3日目の昼に新宿・アルタ前で『PINK』を歌ってもらった。周囲の人々は冷ややかに大森さんの目の前を通り過ぎていく。店員が演奏をやめるよう制止すると、大森さんは店員を振り払って路上に座り込み、カメラを真っ直ぐに見つめて最後まで歌った。「歌しかないから」それが言葉だけの威勢ではないことがはっきりと伝わるパフォーマンスだった。彼女の歌を知らない人にも伝わる作品にしたい。そう思い、ここまでの撮影をまとめたDVDを知り合いの映画関係者たちに送った。

反応は散々だった。「高圧的な岩淵の態度のせいで大森さんが可哀想に見える」「なぜ最後のアルタ前の撮影で岩淵は店員から大森さんを守らなかったんだ」「映像の才能がない。辞めた方がいい」直接的だったり、間接的だったり、届いてくる感想はどれも否定的な意見しかなかった。このままじゃ撮影を終わらせられない。

それから半年にわたって、断続的に大森さんを撮影した。大森さんは1stアルバムを録音したり、着実にライブの本数を増やしていったりと、少しずつ自ら状況を変えていった。この時期、別の撮影で高円寺・無力無善寺というライブハウスのマスター、無善法師にインタビューをしたことがある。法師は「震災が起きて、日本は最悪な状況になっていってるけど、うちでライブをしてる自閉症の女の子の一人が、自分と世界の境界が壊れて一気に明るくなって、外に開いていくことがあってね」と語った。その女の子が大森さんかどうかは分からないが、震災によって自分の殻がぶっ壊れて、外の世界に向かって音楽が開きはじめていく過程は2011年以降の大森さんの活動にも当てはまるように思った。

2012年の冬まで撮影し、『サマーセール』は完成した。『サマーセール』というタイトルは、歌舞伎町の撮影後、新宿のGAPで大森さんがビーチサンダルを買いに行くのでついていったところ、店内は夏のバーゲンセール期間中で「SUMMER SALE」の張り紙が多く、自分たちのやってることも大売り出しみたいだねと冗談話から付けた。SPOTTED PRODUCTIONSの直井さんが企画している『MOOSIC LAB』という音楽と映画のコラボ作を集めた映画祭で上映してもらい、大森さんはベストミュージシャン賞を受賞した。

ちょうどその頃、『加地等がいた-僕の歌を聞いとくれ-』という作品の上映が新宿の映画館であった。この作品は2011年に急逝したシンガーソングライター加地等さんの晩年の活動を追ったドキュメンタリーで、生前加地さんと親交の深かった大森さんは上映後にミニライブを行った。一曲目はマイクが入っておらず、二曲目からは生音で、普段のライブは会場を占有するようにどんどん声量も迫力も増していく大森さんのライブだが、今回は違った。何かに首を絞められてるように、苦しそうに歌っていた。
ラストに加地さんのカバー曲『私のブルース』。何度か大森さんがこの曲を歌っているのを見たことがある。まるで自分の曲のように、歌の中の登場人物が憑依したように、サビの「私は私よ 誰でもないよ」というフレーズをいつもかっこ良く歌い切るのだが、この日は違かった。譜面台を押し倒し、歌詞が書いてある手帳が転がり、最後はギターを投げ出し、そのまま逃げるようにステージから去った。

俺はたまたまカメラを持っており、大森さんを追って外に出た。女子トイレから泣き声が聞こえた。少し待ったがなかなか出てこない。会場にいた三輪二郎さんが、背面が壊れたギターを抱えて袖に来て、「ダメだよ、ギターは大切にしなきゃ」とつぶやいていた。

少しして、大森さんがトイレから出てきた。泣きながら外の階段に出て行ったので、俺はカメラを持って追いかけた。階段にうずくまって大森さんは声を出して泣き続けている。「加地さんの歌、ちゃんと歌わなきゃと思って、リハもちゃんとしたのに、マイクは出ないし、全然歌えなかった」と、ほとんど聞き取れないようなぼろぼろの声で話していた。俺はそんな彼女を撮影をしている。もう『サマーセール』は終わったのに。もう撮らないつもりだったのに。「なんで撮影してんのに怒んないの?」俺は大森さんに尋ねる。「なんでいつもこうやって撮ってくんないの?」大森さんが泣きながら答える。「だって……」俺は言葉が詰まる。もう大森さんのこと撮らないよ、終わらないじゃん、と言いたかったが、まだカメラを向けている。

撮影する、ということは、相手から許されている、という気持ちが底にある。だが、カメラのこちら側とあちら側を結ぶのは信頼関係だけじゃなく、作為もたくさん入っている。ライブを投げ出すように逃げて、泣いているから、その泣き顔にせまって、お客さんの前で見せなかった本当の気持ちを知りたくなってしまう。いつも通りやれよ、なにやってんだよ、という気持ちもある。でも、俺は手を伸ばして大森さんの涙を拭い、見せかけの優しさで「よくやったと思うよ」と励ます。カメラがあるから、そういう滑稽なやり取りを繰り返す。

大森さんをドキュメント撮影したのはそれが最後だ。考えなしにカメラを回すバカな俺を信頼してくれて、笑顔もしんどいところも全部撮影させてくれた。いつかまた彼女を撮ることが自分の夢だ。

(文:岩淵弘樹)

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