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ミスキャンパス映画としての『美しい星』【藤原季節・軽薄演技の到達点】

本稿は“永遠のオトナ童貞のための文化系マガジン・チェリー”編集長でありながら、10年以上ミスキャンパスコンテストをウォッチし続け、日本で唯一のミスキャンパス評論家として、テレビ出演も果たす霜田明寛による映画『美しい星』のレビューです。

ミスキャンパス評論家が見る映画『美しい星』

本谷有希子の『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』朝井リョウの『桐島、部活やめるってよ』角田光代の『紙の月』と、これまでも原作の良さを抽出した上で、映像作品ならではのアプローチを加え、見事に小説原作の映画化をおこなってきた吉田大八監督。今回、三島由紀夫が原作に託したメッセージの吉田監督の見事な咀嚼などについては、多くの映画評論家の方々がやってくださると思うので、ここでは、ミスキャンパス評論家としての立場からこの『美しい星』について検証することにする。

ミスキャンパスコンテストシーンのリアリティ

1962年に発売された原作から、現代に設定がアレンジされている本作では、橋本愛演じる大学生・大杉暁子が、ミスキャンパスコンテストに出場する。その設定が、細部まで含めて非常にリアルなのである。

そのリアルさの核となるのが、藤原季節演じる、広告研究会の男・栗田である。


説明しておくと、ミスキャンパスコンテストというのは、大学本体の主催ではなく、基本的には、大学の中のいちサークルである広告研究会が主催をする。そして、その主催の団体が、出場者を学内でスカウトするというケースが多い。
本作でもそのスカウトのシーンが登場するが、最初、暁子は栗田の誘いを固辞する。

だが、栗田は食い下がり、テレビにも出演する有名気象予報士の娘である暁子に対し「女子アナになるにはマスト」「準ミスまでは保証する」といった言葉を重ねて勧誘する。まずは、この2つのセリフのリアルさを検証していこう。

ミスコンは「女子アナになるにはマスト」か

「当然大杉さんもアナウンサー志望でしょ、だったら3年のミスコン出場はマストじゃない」
リリー・フランキー演じる気象予報士の父親をもつ暁子に対し、栗田はこう誘う。

「マスト」すなわち「出なければならない」というのは大げさで、もちろん、ミスコン出身者以外の女子アナも多数存在する。だが、実際、ミスコンに出場段階において、このようなスカウトの仕方は非常によく散見される。

そしてそれを言葉通り「マスト」だと感じた女子、もしくはそう言われずとも、「マスト」だと想像したに女子よる出場が増える。結果、ミスコン出場者の中に占める、女子アナ受験者数が増えることになる。もちろん、受験者が多くなれば、結果、内定者も多くなるという図式である。
そして、女子アナ志望者は、ミスキャンパス出身の女子アナを見て、まずは自分もミスキャンパスになることを目指すのだ。そのスパイラルは続き、長く女子アナの登竜門的状況が続いているとも言える。

「ここだけの話、準ミスまでは絶対保証する」


さて次は、主催する広告研究会の側が、出場前に既に、結果を決めているともとれるこのセリフ。コンテストのグランプリ決定には、外部の審査員の投票や、最近ではWEB投票などのケースも散見されるものの、その配点などを決めているのは主催者の広告研究会である以上、実際に、広告研究会側で「約束する」こともできるというのが実情だ。
ちなみに昨年は、ある大学で、主催者側に、自分に有利な配点になるような進言をした候補者の行動が他の候補者にバレ、候補者同士で大モメするという事態も。また逆に、広告研究会側に権力があると考えた女子大生が、彼らの言いなりになってしまうパターンも存在する。“言いなり”の結果かは断言しかねるが、そのまま候補者と、広告研究会の男がつきあってしまうケースもある。

藤原季節の軽薄な若者演技

つまり、そういった、所属組織から得た利点を自分個人のみに還元するような、ある種の緩さとチャラさが、広告研究会に所属する男子たちには内包されており、その部分を抽出し、コミカルになりすぎないレベルで演じたのが、今回の藤原季節の名演技なのである。

ちなみに『沈黙―サイレンス―』や『ライチ☆光クラブ』など話題作への出演が続く藤原だが、行定勲監督作品『ジムノペディに乱れる』で演じた、自分の彼女と浮気をした講師に対してブチキレる学生という役どころなど、今回のような “若さゆえの全能感”をもった若者を演じさせると、右に出るものがいないレベルである。特に、今回の『美しい星』では、そう多く登場シーンがあるわけではないものの、その熟成された“軽薄な若者演技”を濃縮して堪能することができる。

増加する“使命感を感じるミスキャンパス”

そうして、最初は出場を固辞していた暁子が出場を決めるのは「美の基準を正す」という使命を果たすために他ならない。金星人に覚醒した暁子は、この使命に目覚め、ミスキャンパスコンテストへの出場を決意するのだ。

ここに多くの人は、違和感を感じるかもしれない。使命を感じて、出場する女子などいるのだろうか、と。だが、この「使命感を感じて」ミスキャンパスコンテストに出場する女子大生は実世界でも少なからず存在する。
いや正確に言うと、“使命感を感じているように見せる”女子大生が増加傾向にあるといってもいいだろう。

ミスとして人前に出るのに必要な“大義”

なぜ、ミスキャンパスコンテストに出るのに使命感が必要なのか。それは、ミスキャンパスコンテストに “自分のために”出ているように見られてしまう女子大生たちにとって、この「使命感を持つ」ことは大義となって相性が良いからである。

本番のスピーチや事前のメディア露出などで必要になってくる、“ミスキャンパスコンテストに出る理由”。「私が女子アナになりたいから」では支持を得にくいので、それを使命感にまぶすのである。
その使命の内容は「大学のため」であったり「新しいミスキャンパス像を作りたい」であったりと、利益を受け取る対象が自分ではない(ように装う)。

SNS上での“選挙活動”に必要な使命感

特に近年、美や賞、その後得られるであろうキャリアには興味がないフリを徹底的にして、ミスキャンパスコンテストに出場する女子大生が散見されるようになっている。
これは、「意思表明」をする場がコンテスト本番だけではなく、SNS上にもその場を広げたこととも深く関係している。WEB投票の票数を確保するため、日々SNSを更新し続けるという“選挙活動” をしなくてはいけない彼女たちにとっては、本当の欲望を明らかにするよりも、使命感を出したほうが支持を得やすいのである。

言葉に真実味が加わる瞬間


さて、『美しい星』の暁子の場合は、金星人に覚醒したことで、私欲ゼロ、使命100%になっている特殊なケースだ。だが、実際のミスキャンパスたちも、この使命感に少なからず覚醒し、言葉が真実味を帯びることで、支持を広げていくことが多い。
例えば「周囲のために」と最初は、適当に言っていたミスキャンパスが、コンテスト中の行動によって、周囲に恩を感じ、本当に「周囲のために」と思うようになる。
すなわち最初は“処世術”としてあげていた使命が、時間と行動を伴うことで本物に近づいていくのである。上っ面だった言葉が、行動の積み重ねによって、真実に近づいていく。もしかしたら、それは映画のように覚醒することはできない、現代の地球人たちが“覚醒”する唯一の方法なのかもしれない。

おまけ・ミスキャンパスの兄

そして最後に付け加えておくならば、亀梨和也演じる、暁子の兄・一雄。ああいった、自分も整った顔立ちであるがために、若い時期からそれなりに女子にモテ、それゆえ、妹の性的魅力にあまり関心のなさそうな兄、というのもミスキャンパスの兄にいがちなのである。
『野ブタ。をプロデュース』をはじめ、テレビドラマでは、カリスマ的役割を演じることが多かった亀梨和也が30歳を過ぎ“あえてオーラを消す”という高度な演技力を会得。直近の出演映画『PとJK』の普通の警察官の役に続き、「顔がいいだけのフリーター」をリアルに演じられるようになっている姿を見られるのも、『美しい星』の注目ポイントである。

(文:霜田明寛)


映画『美しい星』
5月26日(金)、TOHOシネマズ 日本橋ほか全国ロードショー    
©2017「美しい星」製作委員会
配給:ギャガ

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