ー3カ月前、童貞を捨てた。思ったほど、世界は変わらなかったー
チェリーについて

第25回「女子アナの歴史」(後編)

 司馬遼太郎の名著「竜馬がゆく」に、こんな一節がある。

 「天に意思がある。としか、この若者の場合、おもえない。天が、この国の歴史の混乱を収拾するためにこの若者を地上にくだし、その使命がおわったとき惜しげもなく天へ召しかえした」

 むろん、坂本龍馬のことである。事実、龍馬が歴史の表舞台に登場するのは、日本国内が混乱の極みにあった幕末の最終局面。長州と薩摩は仲が悪く、さりとて幕府に統治能力は既になく、このままでは最悪、隣国の中国同様、日本も諸外国から干渉を受けるピンチにあった。

 そこへ龍馬が登場する。犬猿の仲にあった薩長を仲介して「薩長同盟」を成立させ、さらに船中八策を想起して幕府に「大政奉還」を決断させた。日本は薩長を軸とする新体制に生まれ変わり、維新が幕開ける。時に龍馬は天に召された後だった――。

 なぜ、こんな例えを持ち出したかと言うと、2000年代のフジテレビがまさにそうだったからである。このコラムの中編の終わりに書いたように、2001年3月、フジは一度に3人の若手女子アナが退職する未曽有のピンチに見舞われる。そこへ翌月、一人の女子アナが入社する。彼女の働きもあり、フジは間もなく11年ぶりに三冠王へ返り咲く。そして7年間にわたりその座を守り、彼女がフジを去った2011年、王座から陥落した。

 そう、奇跡の女子アナ。
 彼女こそ誰あろう、高島彩、その人である。

スーパー女子高生だった

 高島彩アナ。お父様は、彼女が5歳の時に亡くなられた俳優の竜崎勝さんである。奇しくも竜崎さんは龍馬と同じ高知の生まれだった。

 高島アナは小学校から大学まで16年間を吉祥寺の成蹊学園に通った。高校時代は同校の強豪ラグビー部のマネージャーを務める一方、かなりのやんちゃぶりも発揮し、度々雑誌に登場するなどスーパー女子高生としても知られていた。いわゆるリア充だった。

 これは僕の持論だけど、一般に女子アナになるような人たちは、高校までは比較的優等生で、大学でハジける人が多いように思う。化粧を覚え、髪形を変え、男子との接触も増え――華麗に変身するのだ。いわゆる大学デビュー。まるで少女漫画のヒロインが眼鏡を外した瞬間、絶世の美女に変身するように。

 しかし、高島アナの場合、高校時代に既にハジけており、むしろ大学生になって自然体になった。そう、余裕である。だから彼女は今どきの女子アナ志望の学生のように、大学主催のミスコンにも出場しなかったし、女性ファッション誌の読者モデルにもならなかった。ごく普通の、自然体の女子大生だった。

ワンピースで体験講座へ

 そんな彼女だから、アナウンサーの道を志したのも、同年代に比べて、かなり遅かった。漠然と就職活動を考えていた大学3年時に、たまたま彼女のお兄様の友人がフジの深澤里奈アナだった関係で、同局のアナウンサー体験講座の受講を勧められたのがキッカケだった。彼女はほんの度胸試しのつもりで参加する。
 ところが――講座初日、ベージュのワンピースで参加したところ、周りは皆、現役の女子アナと見紛うばかりのビシッとしたスーツ姿。一人だけ場違いだった。5日間の講座もボロボロで、周到に準備・訓練を重ねてきた他の受講生との差に愕然とする。

女子アナ志望の火が着く

 だが、この屈辱が高島アナの心に火を着けた。元来、負けん気の強い彼女である。同年代の他の女子学生にできて、自分にできないワケはないと発奮したのだ。講座から戻るや否やアナウンサーの就活本を買い集め、その日から発声練習やイントネーションなどの独学を始めた。

 アナウンサー志望の就活生としてはスロースターターだった高島アナ。しかし、持ち前の負けん気で人一番の努力を重ね、たちまち遅れていたスキルをリカバリー。そしてフジテレビのアナウンサー就職試験に挑み、勝ち抜いていく――。

 そして――晴れて内定。アナウンサー、高島彩の誕生である。

新人アナに周囲が求めるもの

 2001年10月9日。入社から半年後、高島彩アナはいきなりレギュラー番組の司会に抜擢される。月~水の帯の深夜の生番組『アヤパン』である。1年先輩の千野志麻アナが司会を務める『チノパン』の後継番組だった。そう、彼女のニックネームの「アヤパン」はこの番組からである。

 同番組は毎回、俳優やタレントなどのゲストを招いてのインタビューが基本フォーマット。しかし、新人アナが司会ということで、時にゲストから仕込みの逆質問が投げかけられたり、スタッフから様々なドッキリが仕掛けられたりもした。
 要は、同番組の狙いは新人アナの新鮮なハプニング。実際、そのキュートなルックスと明るいキャラの高島アナは毎回、見事にドッキリに引っかかり、初々しいリアクションを見せてくれた。彼女はたちまちアイドル的人気を博し、なんと番組内で秋元康サンの作詞・プロデュースでCDデビューまで果たしてしまう。タイトルは『着信のドレイ』。実際にコンサートも行われ、多くのファンが押しかけた。

 新人時代の高島アナは、いわゆる伝統的なフジのタレント・アナだった。誰もがそう信じて疑わなかった。そんな彼女に次の番組のオファーが来る。『スーパー競馬』である。

悩めるアヤパン

 キュートなルックスと明るいキャラ。ドッキリを仕掛けられると、毎回初々しいリアクションを見せてくれる入社2年目の女子アナ。それが、当時の高島アナを見る周囲の評価だった。典型的なフジのタレント・アナである。

 『スーパー競馬』へのオファーも、それまでタレントの斎藤陽子サンやさとう珠緒サンが務めていたアシスタント枠の後継者だった。つまり彼女は、自由奔放な発言や華やかな衣装で周囲を和ませるタレント的な役割を期待されたのだ。だが――

 高島アナは悩んだ。それは本当に自分の求めるアナウンサー像だろうか、と。

高島彩アナ、確変

 そして悩みに悩んだ挙句、高島アナは1つの結論にたどり着く。この部分は彼女の著書(『聞く 笑う、ツナグ。』小学館・刊)から引用したい。
 「私は自分のスタイルを貫こうと決めました。何よりも、アナウンサーとしてきちんと取材をすること、そして、的確な情報を伝えることを大切に。その上で、競馬自体を楽しみ、時にはスタッフのすすめる華やかな衣装を着たり、ちょっと出しゃばって予想してみたりと、新しい自分のスタイルを作っていったのです」

 そう、出過ぎず、引き過ぎず――。
 アナウンサーとしての芯の部分を大切に、やるべきことをキチンとやり、その上でほんの少し周囲の求める“個性”を出す。
 今日、僕らの知る新生・高島アナの誕生である。

めざましテレビへ

 『スーパー競馬』の高島アナの評価は大変高かった。社内はもとより、厳しい目で知られる競馬ファンからの評価も悪くなかった。事前に入念な下調べと取材を行い、放送中は的確な情報を伝える一方、アナウンサー泣かせの馬名もよどみなく読み上げ、その上で彼女なりの“個性”を出してスタジオを盛り上げる――。

 そんな有能な社員を、会社が放っておくはずがない。入社3年目の2003年春、彼女は同局の“顔”とも言える番組に抜擢される。朝の情報番組『めざましテレビ』のメインキャスターである。
 その後の活躍は承知の通り。明るく爽やかな笑顔、よどみない進行、正確なアナウンス。緊急時の対応も落ち着いてぬかりない――。当初、彼女をタレント・アナと見ていた人たちはその“確変”ぶりに驚いた。彼女は入社3年目にして、同局のエース女子アナへと上り詰めたのだ。

 翌04年2月、『めざましテレビ』は初めて日テレの『ズームイン!!SUPER』を視聴率で抜いて、民放の時間帯1位となった。そして、この年、フジは11年ぶりに日テレから三冠王を奪取するのである。

ウッチー、表舞台へ

 前回のコラム(中編)でも再三申し上げたが、俗に「テレビ局の視聴率と女子アナの活躍は比例する」なる法則がある。
 2000年代のフジテレビもそうだった。高島アナの入社を機に、同局のアナウンス室が再び活況を取り戻したのだ。

 内田恭子アナ、ウッチーもその1人だった。彼女は高島アナの2年先輩だが、同期に大橋マキアナがおり、入社当初は彼女の陰に隠れ、ほとんど脚光を浴びることがなかった。しかし、高島アナが入社する直前に大橋アナが退社、一躍表舞台へ躍り出る。
 まず、『プロ野球ニュース』の後継番組『感動ファクトリー・すぽると!』の司会に抜擢される。さらに大橋アナの後を受けて『ジャンクSPORTS』のMCにも就任。その天然の癒しキャラが脚光を浴び、たちまち人気アナとなったのである。

フジテレビ第三次女子アナ黄金期へ

 そして、もう一人、この人も忘れてはいけない。高島アナの1年後輩の中野美奈子アナである。慶應義塾大学在学中に「ミス慶應」に選ばれたその美貌は、女子アナ界随一と言われた。また、その独特のマイペースキャラも手伝い、たちまちアイドル的人気を博した彼女は、入社半年後に『めざましテレビ』の情報キャスターに抜擢される。同番組で1年先輩の高島アナと名コンビぶりを発揮したのは承知の通りである。

 フジのアナウンス室は活況を取り戻した。80年代前半のひょうきんアナらの活躍を第一次女子アナ黄金期、80年代後半から90年代半ばまでの三人娘を中心とする活躍を第二次女子アナ黄金期とすると、この2000年代の高島彩アナらを中心とする活躍は、さしずめフジにとって第三次女子アナ黄金期だった。

セント・フォースという新しい波

 そんなフジの女子アナの活況は、外部の新しい風も呼び込んだ。
 話は少しばかり、さかのぼる。1999年4月、『めざましテレビ』の新しいお天気キャスターに吉田恵(よしだ・けい/よしは「土」の下に「口」、つちよし)サンが抜擢されると、そのキュートなルックスと愛らしいキャラでたちまち大人気を博した。彼女は前任者の角田華子サン同様、フジの局アナではなく、芸能事務所のセント・フォースの所属だった。

 そう、セント・フォース。今や泣く子も黙るフリーの女子アナの一大帝国だ。現在、民放各局とも平日の早朝4時~5時台に情報番組(フジ『めざましアクア』、日テレ『Oha!4 NEWS LIVE』、TBS『はやドキ!』等)を抱えるが、もはやセント・フォースを始めとするフリーの女子アナ抜きには成り立たない。就業規則の厳しい正社員の女子アナと違い、フリーなら働く時間帯に制限はないし、番組の作り手側としても、いちいちアナウンス室長にお伺いを立てないといけない女子アナと違い、何かと扱いやすい。極端な話、女子アナは社内の軋轢を考えて飲み会に誘うのも躊躇するが、フリーの女子アナ相手なら「この後、軽くどう?」と気軽に誘いやすい。

 とにかく――そんなフリーの女子アナが増えるキッカケを作ったのが、『めざまし~』の吉田恵サンのブレイクだった。

フリーキャスターという選択

 吉田恵サンは3年間、お天気キャスターを務め、2002年4月に同番組の情報キャスターへスライドした。そう、彼女はフリーの女子アナがお天気だけでなく、広くニュースにも携われる道も切り開いたのだ。

 代わって3代目お天気キャスターに就いたのが、同じくセント・フォース所属で、大学4年生の高樹千佳子サンだった。
 彼女は元々、女子アナ志望だったが、お天気キャスターになったのを機に、卒業後もフリーキャスターを続ける道を選んだ。それは、吉田恵サンのブレイクが示すように、フリーキャスターという職業が以前より魅力的になっていたことを意味した。
 実際、高樹サンは3年間お天気キャスターを務め、番組卒業後は希望通り、『めざましどようび』の情報キャスターへスライドした。そして入れ替わりにお天気キャスターに就いたのが、あのアイドル・キャスターだった。

皆藤愛子という奇跡

 2005年4月、『めざましテレビ』に4代目お天気キャスターが登場する。皆藤愛子サンである。それまでの3人の前任者同様、セント・フォースの所属で、早稲田の大学3年生だった。そのルックスは、もはやフリーの女子アナのレベルを超え、アイドルの領域。加えて、天性の癒しキャラ。その登場はお天気キャスターの“奇跡”と注目され、彼女見たさの視聴者を新たに獲得する。
 実際、この年に『めざまし~』は初めて『ズームイン~』の日テレを抜いて、同時間帯の民放月間視聴率1位となったのである。

 奇跡のお天気キャスター皆藤愛子。彼女の人気高騰を受け、セント・フォースをはじめとするフリーの女子アナたちが、いよいよ広く社会に認知されることになる。

地方の女子アナからフリーの女子アナへ

 この時期、注目を浴びたフリーの女子アナに、杉崎美香サンもいた。彼女はSBC信越放送から転じた元アナ組である。
 2003年10月、フジテレビで新たに始まった早朝の情報番組『めざにゅ~』(現在の『めざましテレビ アクア』)のメインキャスターに就任すると、実に7年間にわたり、レギュラーを務め上げた。番組冒頭で彼女が発する定例の挨拶「これからお休みになる方も、そしてお目覚めの方も、時刻は4時になりました」を覚えている方も多いだろう。

 杉崎キャスターの活躍で、フリーの女子アナ界は、地方の女子アナたちの新たな就職先になった。東京キー局の女子アナを目指すも、願い叶わず地方局の女子アナになった人たちが、次第に物足りなさを感じ、2~3年で退職して東京に戻ってフリーになる道である。今や東京キー局で活躍するフリーの女子アナの半分は、地方局の女子アナ出身者で占められると言っても過言ではない。

小林麻耶アナが開いた道

 一方、フリーの女子アナ以上にハイスペック化したのが、21世紀の女子アナ界である。
 その波はTBSから始まった。2003年、同局に小林麻耶アナが入社する。この時点で、既に彼女はタレントの身。そう、青山学院大学在学中から日テレの『恋のから騒ぎ』に出演し、エース席の最前列で屈指の人気を博したのだ。在学中に女子アナ志望を表明した彼女がどこへ行くのかテレビ関係者が注目する中、彼女が選んだのは、自身が崇拝する高島彩アナのいるフジテレビではなく、TBSだった。

 小林アナは入社1年目から『オールスター感謝祭』などに抜擢され、2年目には『チューボーですよ!』の4代目アシスタントに就任、その愛されキャラで巨匠・堺正章サンと名コンビぶりを発揮する。そして3年目からは安住紳一郎アナと共に『輝く!日本レコード大賞』の進行役を5年連続で務めるなど、瞬く間に同局のエース女子アナに成長した。

アイドルから女子アナへの道

 小林麻耶アナの成功は、たちまち他局も追随する。2005年、フジテレビに元アイドルの平井理央アナが入社したのだ。10代でテレ東の「おはガール」や『ピチレモン』の専属モデルを務め、またドラマ『動物のお医者さん』にも出演した元美少女タレント。彼女の入社は、真のアイドルアナの誕生と話題になった。

 極め付けが、2011年にテレビ東京に入社した元モーニング娘の紺野あさ美アナである。元アイドルの肩書で、これほどの大物はない。彼女の入社は、図らずもアイドルと女子アナの力関係が逆転したことを暗示させた。実際、かつてテレビのバラエティに欠かせなかったグラビアアイドルたちは衰退し、代わってその位置にいるのは、今や女子アナたちだった。

 その流れは、女子アナの採用基準にも微妙に変化をもたらした。

女子アナ就活生のセミプロ化

 2000年代の半ば、女子アナを目指す女子大生たちにある1つの変化が生まれる。“セミプロ化”である。
 先に挙げた3人は極端な例としても、大学在学中からセント・フォースをはじめとするプロダクションに所属したり、テレビの情報番組にリポーターで出演したりするなど、いわゆるセミプロ就活生がこの時期、急増したのである。

 一昔前なら、その種の“色”のついた就活生は、どちらかと言えばテレビ局から避けられる傾向にあった。しかし、前述の小林麻耶アナの入社を機に風向きが変わる。要は「即戦力」として、バラエティや情報番組に慣れた彼女たちのスキルが求められるようになったのだ。背景に、経費削減の波が21世紀のテレビ界にも押し寄せ、タレントを起用するより、自社の女子アナで代用するようになった制作サイドの事情もあった。

セミプロ新人アナの増殖

 かくして2000年代半ば、各局にセミプロ新人アナが続々と誕生する。
 多かったのは、やはり小林麻耶アナの流れを受け継いだTBSだった。2005年には、高校時代からモデル経験があり、芸能プロダクションのアミューズに所属し、ファッション誌の『ViVi』、『JJ』、『Ray』などで活躍した青木裕子アナが入社。さらに翌2006年にはセント・フォースに所属し、テレビ朝日の情報番組で女子大生リポーターとして活躍していた出水麻衣アナが、2008年にはスターダストプロモーションに所属し、幅広くタレント活動をしていた枡田絵理奈アナが入社する。

 意外にも、セミプロ新人アナの波は、テレビ東京にも押し寄せた。
 2007年には、テレ朝でお天気お姉さんとして活躍していた須黒清華アナと、『轟轟戦隊ボウケンジャー』(テレ朝系)に出演するなど女優活動をしていた繁田美貴アナが入社。翌08年には、動画配信番組のキャスター経験のある相内優香アナと、ファッション雑誌『bis』の読者モデルだった秋元玲奈アナが入社。ちなみに、この相内・秋元コンビは入社早々「A×A(ダブル・エー)」と呼ばれ、2人のための新番組も作られるなど、屈指の人気を誇った。

 そして――かのフジテレビにも大物セミプロ新人アナが誕生する。ショーパンこと生野陽子アナである。

復活した〇〇パン番組

 生野陽子アナはキー局の女子アナには珍しい、地方の福岡大学の出身である。
 しかし、彼女は大学2年から地元で超人気の朝の情報番組『アサデス。KBC』にアシスタントとして出演したり、ローカルCMに出演したりと、福岡ではちょっと知られた女子大生タレントだった。

 彼女の武器は、誰からも愛されるそのキャラクターにある。そのスキルは早速、フジテレビに入社した1年目から発揮された。2007年10月に自身がMCを務める帯の生番組『ショーパン』のスタートである。
 それは、新人女子アナが担当する伝統の〇〇パン番組としては、『アヤパン』以来、実に5年4カ月ぶりの復活だった。同番組で、彼女はその愛されキャラで人気を博する。そして、前任者がそうだったように、彼女のあだ名も番組名と同じ「ショーパン」になった。

 入社3年目の09年には、『めざましテレビ』の情報キャスターに就任。さらに、翌10年には高島彩アナの後を受け、同番組のメインキャスターとなった。そう、フジの若きエース女子アナとなったのだ。

実力一本で伸し上がった西尾由佳理アナ

 さて、そんなセミプロ新人アナたちが脚光を浴びる一方、学生時代は派手に目立つことなく、いわゆる“ノーシード”で女子アナになったものの――入社後にその実力を買われ、活躍した女子アナたちも、実は少なくない。

 少し時代はさかのぼるが、高島彩アナと同じ2001年に入社した、日テレの西尾由佳理アナもその一人だった。
 彼女は女子アナには珍しく、短大から4年制大学に編入した異色の経歴を持つ。学生時代は特に目立った活動はなかったが、入社して、9カ月目で『スポーツMAX』のメインキャスターに抜擢されと、そこから自身の名前を冠した「西スポ」のコーナーであれよあれよと大ブレイク。一躍、同局のエース女子アナ候補となった。
 05年には、晴れて『ズームイン!!SUPER』のキャスターに就任。奇しくも同期入社のフジ高島彩アナの『めざましテレビ』と、裏表で対決する構図となった。

あの女子アナもノーシードだった

 西尾アナの活躍は、いわゆるノーシード女子アナでも実力一本で出世できることを証明した。
 意外にも、その手のノーシード女子アナで、その後、局の顔になった人は少なくない。例えば、ウッチャンと結婚したテレ朝の徳永有美アナもその一人だ。彼女は女子アナには珍しい大妻女子大の出身で、彼女もまた学生時代は特に目立った活動はなかった。
 しかし入社後、『やじうまワイド』や『内村プロデュース』にキャスティングされると、たちまち頭角を現した。顔よし、ノリよし、喋りよし――の三拍子。その実力は誰もが認めるものとなり、たちまち同局のエース候補となった。

 結局、彼女の才能を最も評価したのは共演したウッチャンで、彼女は間もなく結婚退職するが、あのまま社内にいたら、間違いなくテレ朝の顔になっていただろう。

滝クリも夏目アナもノーシードから

 意外に思われるかもしれないが、あの滝川クリステルさんも元はノーシードの女子アナだった。実は彼女はフジテレビを受験して、最終選考で落ちている。それでグループ会社の共同テレビに拾われ、初の同社所属の女子アナとなった。しかし、フジテレビに出向するも、その扱いはフジの女子アナたちに比べると格下、いわば2軍扱いであった。
 そんな彼女の転機になったのが、入社3年目、2002年の『ニュースJAPAN』のキャスター就任である。松本方哉キャスターとのコンビがたちまち評判を呼び、彼女はその斜め45°の座り角度から「女子アナ界のモナリザ」と呼ばれた。滝沢アナの人気で同番組の視聴率も上昇。間もなくTBSの『NEWS23』を上回り、日テレに次いで同時間帯2位となった。

 日テレの夏目三久アナも、東京外語大のベトナム語専攻というちょっと変わった経歴のノーシード女子アナだった。あの長身のスタイルと美貌なのに、驚くべきことにミスキャンパスへの出場経験もなければ、マスメディアのお仕事経験もなかったのだ。
 しかし、入社すると、1年目から『おもいッきりイイ!!テレビ』のアシスタントに抜擢されるなど、一躍脚光を浴びる。その後、不幸にもスキャンダルに見舞われ、退社に追い込まれるが、現在、フリーの女子アナとして押しも押されもせぬ活躍を見せているのは、承知の通りである。

 そして、フジテレビで一躍人気を博したあの女子アナも、意外にも学生時代はさして目立った経験はなかった。カトパンこと、加藤綾子アナである。

登場、カトパン

 加藤綾子アナは、女子アナには珍しい国立音楽大学の出身である。それゆえ、上智や慶應の学生にありがちなミスキャンパスへの出場経験も、テレビのアシスタント等のバイト経験もなかった。
 しかし、彼女のスキルは入社試験の時からいかんなく発揮される。なんと受験した日本テレビ、TBS、フジテレビの全てから内定を得たのである。彼女はその中からフジを選び、晴れて2008年に入社する。生野アナの1年後輩だった。

 その後の活躍は承知の通り。入社1年目から『ショーパン』の後番組である『カトパン』のMCに就任すると、一躍お茶の間から脚光。その勢いを買って、2年目に『ホンマでっか!?TV』のMCに抜擢されると、その変貌自在のアドリブと、女子アナらしからぬ大胆な発言で一躍ブレイク。5年目の2012年には、生野アナの後を受け、晴れて『めざましテレビ』のメインキャスターに。名実ともにフジのエース女子アナになったのである。

テレ東の女子アナ

 さて、ここで視点を変えて、女子アナ界の異端とも言われるテレ東の女子アナにも触れておきたい。
 もともと、同局はアナウンサー枠の採用はなく、全て一般枠での採用だった。各部署で1~2年の職務を経て、適性を見てアナウンス室へ異動させるシステムである。今や松岡修造サンの奥さんとなった田口惠美子アナをはじめ、佐々木明子アナや八塩圭子アナ、家森幸子アナら90年代に活躍した同局の女子アナたちは皆、一般職の採用だったのだ。

 そんなテレ東に、他局と同じくアナウンサー枠が設けられたのは1999年からである。すると2000年代初頭、後にテレ東をけん引する2人の女子アナが相次いで入社する。01年の大江麻理子アナと、02年の大橋未歩アナである。大橋アナは一浪して大学に入ったので、奇しくも2人は同い年だった。

テレ東に大橋未歩あり

 最初にブレイクしたのは、大橋未歩アナである。
 入社1年目からスポーツ番組のキャスターに抜擢されると、その抜群のルックスと魅惑のボディ、そして明るいキャラで、お茶の間ばかりかプロ野球の選手たちの間でも一躍人気を博す。それまで同局の女子アナたちは報道のイメージが強かったので、テレ東の異端児と騒がれた。

 その人気は、さらにバラエティでも花開く。今田耕司と東野幸治のバラエティ番組『やりすぎコージー』のMCに抜擢されると、これまたバラエティのスキルをいかんなく発揮する。同番組の企画で、セクシーグラビアに挑戦するなど、女子アナとしての限界に次々と挑戦。もはやテレ東の枠を越え、民放の中で屈指の人気女子アナとなった。

遅れてきた大江アナ

 一方、大橋アナの1年先輩の大江麻理子アナは、入社から数年は特に注目されることなく、報道やドキュメンタリーのナレーション、そして『出没!アド街ック天国』のアシスタントなど、堅実に仕事をこなしていた。
 そんな彼女にとって一躍転機となったのが、2007年スタートの『モヤモヤさまぁ〜ず2』である。さまぁ〜ずの2人と街を散歩するユルい番組だが、ここで彼女の隠れキャラが開花する。一見しっかりしてそうで、時に暴走したり、天然ぶりを発揮したり――。そんな3人のやりとりはたちまち評判となり、番組人気が高まるにつれ、大江アナの人気も上昇する。彼女がニューヨーク支局に赴任するために同番組を降板する回は、大いに注目された。

 そして1年間のアメリカ勤務を経て、帰国して14年4月にテレ東の看板ニュースの『ワールドビジネスサテライト』のメインキャスターに就任。部署はアナウンス室から報道局に変わり、今や名実ともにテレ東のエース女子アナである。

NHKの女子アナに訪れた変化

 もう一つ、女子アナ界の異端と言えば、こちらの局も触れておきたい。NHKである。
 NHKの場合、この連載の中編の久保純子アナのところでも述べたが、入社して最初の赴任地は地方へ出されることが決まりになっている。そのため、民放の女子アナのように、新人1年目から脚光を浴びることはなかった。地方局で徐々に評判となり、それが風の噂となり伝わり、晴れて東京へ赴任して人気が全国区になるパターンである。

 ところが――21世紀に入って、そのパターンに変化が訪れる。地方に赴任した新人アナがネットで拡散され始めたのだ。「今度、福岡放送局に赴任した新人の〇〇アナは可愛い」とか「いや、札幌放送局の××アナこそNHKの期待の星だ!」等々――。
 2006年に入社した杉浦友紀アナもその一人だった。初任地は福井放送局だったが、1年目から「福井に杉浦アナあり」との情報がネットに上がり、画像などが拡散されたのだ。愛称の「ゆっきー」もたちまち広まった。その後、彼女は名古屋放送局を経て、入社7年目にしてようやく東京勤務となるが、既に女子アナフリークの間では有名人で、まさに「東京凱旋」といった様相だった。

人気のNHK女子アナたち

 そんな次第で、21世紀のNHKの女子アナは、地方局にいても有望な新人はたちまちネットで拡散され、人気が全国区になった。それは、つまり――NHKの人気女子アナが増殖したことを意味する。

 最初にその兆候が見られたのは2004年だった。実は、その年はNHKの女子アナの当たり年。俗に「花の2004年組」とも呼ばれ、井上あさひアナをはじめ、鈴木奈穂子アナ、守本奈実アナ、廣瀬智美アナらが入局したのである。
 ちなみに、井上アナの初任地は鳥取局、鈴木アナは高松局、守本アナは大分局、廣瀬アナは鹿児島局だった。そして「鳥取に井上あさひアナあり」、「高松に鈴木奈穂子アナあり」などと言われたのである。

 それをきっかけに、2000年代のNHKは続々と人気女子アナを“地方発”で輩出する。
 一例を挙げると、2007年に入局した森花子アナ(初任地・甲府局)、2009年入局の池田伸子アナ(初任地・熊本局)、2010年入局の桑子真帆アナ(初任地・長野局)、2011年入局の和久田麻由子アナ(初任地・岡山局)、2012年入局の近江友里恵アナ(初任地・熊本局)――etc

 皆、東京に凱旋する前から、既に有名女子アナだったのだ。

2008年の「テレ朝・新三人娘」

 さて、この「女子アナの歴史」のリポートもそろそろ終幕が見えてきた。
 思えば、これまでも再三、「テレビ局の視聴率と女子アナの活躍は比例する」と述べてきたが、ここから先の話はまさにそれである。

 2008年、テレビ朝日に3人の新人女子アナが入社する。竹内由恵アナ、 本間智恵アナ、八木麻紗子アナである。俗に、この3人を「テレ朝・新3人娘」と呼ぶ。98年の同局の3人娘以来の呼び名であった。
 彼女たちは、入社3カ月目に『ワイド!スクランブル』で初お披露目されると、その後も3人で出演する機会が多かった。7月の『速報!甲子園への道』をはじめ、9月には同局の看板バラエティ『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』にもトリオで出演。特に『Qさま!!』では彼女たちは女子高生の制服を着こなし、大いに話題になった。極めつけは同局のアナウンサーたちによる朗読舞台「VOICE6」への出演。3人はトリオアイドルに扮して、フリフリの衣装でオリジナルの曲を披露したのだ。ユニット名は「業務命令」だった。

 その3人の中でも、常にセンターにいて、ひと際輝いていたのが竹内由恵アナである。

TBSよりテレ朝を選んだ女子アナ

 竹内由恵アナは慶應大学の出身である。在学中にミス慶應に選ばれ、女子アナ内定が出た際は、その写真が週刊誌の『FLASH』にすっぱ抜かれた。これだけならよくある話である。しかし、面白いのは、彼女はそこで「TBSアナに内定」と書かれたのだ。いや、誤報ではない。実際、彼女はTBSとテレ朝両社から内定をもらっていた。普通なら、かつて民放の雄と呼ばれ、数々の名作ドラマを生んだ伝統あるTBSを選びそうだが――彼女が選んだのは、なんとテレ朝だった。
 しかし、彼女の判断が正しかったことが、間もなく証明される。彼女の入社を機に、テレ朝が快進撃を見せるのである。

テレ朝、二冠へ

 竹内アナの入社から半年後の08年10月、彼女は『ミュージックステーション』の8代目サブ司会に任命された。そして、その卓越した美貌と愛されキャラで、たちまち人気を博し、番組を盛り上げることに貢献する。その人気は、歴代のサブ司会の中でも最長となる5年間も務め上げたことが何より物語る。

 そんな竹内アナの美貌は、時に国際的にも注目を浴びた。2011年7月、中国・上海で開催された「世界水泳2011」に現地キャスターで参加すると、現地の中国のネットユーザーから「世界水泳で1番の美女」として注目を集め、多くの中国メディアで称賛されたのだ。

 そして2013年。竹内アナが『Mステ』サブ司会を務めた最後の年、テレ朝は開局以来初の年間視聴率二冠王に輝いた。
 ――だが、テレ朝の勢いもここまで。翌14年になると、再びあの局が勢いを取り戻し、三冠王を奪取する。
 日本テレビである。その中心には、あの女子アナがいた。

日テレの最終兵器

 話は少しさかのぼる。
 2010年、日本テレビに一人の女子アナが入社する。水卜麻美アナである。この年、同局に採用された女子アナは、彼女ただ一人だった。

 翌11年、水卜アナは新しく始まる昼の帯番組の初代アシスタントに起用される。『ヒルナンデス!』である。彼女のキャラは、従来の人気女子アナとは異質のものだった。そのスタイルは今どきの女子アナにしてはふくよか。前へ前へ行きたがる若手女子アナが多い中、彼女は癒し系でおっとり。だが――奇しくも、そのキャラが、時代の波長と合ったのだ。

 彼女が『ヒルナンデス!』に抜擢された2011年は、東日本大震災の年である。そう、時代は癒しの空気を求めており、それはテレビ界も同様だった。そんな世間の空気感と、水卜アナのベクトルが合致したのである。瞬く間に彼女は人気女子アナにのし上がった。

 そして、同番組が4年目となる2014年3月、遂に裏のライバルのフジ『笑っていいとも!』が31年半の歴史に幕を下ろすと、この年、日本テレビが3年ぶりに三冠王に輝いたのである。

 今年、2017年――日テレは変わらず視聴率で民放のトップを独走し、ほぼ4年連続三冠王は確実である。そして、その中心には変わらず水卜アナがいる。
 そう、「テレビ局の視聴率と女子アナの活躍は比例する」のである。

2017最新女子アナ事情

 現在、女子アナ界を巡る事情は、また少し変化の様相を見せている。
 各局ともハイスペックな若手女子アナを揃えているものの、一昔前に比べ、大きく目立つ女子アナが減ってきているのだ。

 今も、キー局の女子アナになるには、1000倍以上の厳しい競争に勝ち抜かなくてはならない。しかも、就活対策が進化した今、そこで選ばれた女子アナたちは、恐らく歴代のどの女子アナよりも優秀である。
 しかし――そのハイスペックが仇となり、昨今の女子アナは個性が希薄になっているとも指摘される。ざっくり言えば、髪形はゆるフワ、ファッションはコンサバ、そして帰国子女で英語は堪能――そんな新人女子アナの定型とも言えるタイプばかりが目に付くのである。

 その背景に、昨今のテレビ局を取り巻くコンプライアンス意識の高まりが影響しているとの指摘もある。かつてのような“どこか欠けているけど、化ける可能性のあるコ”ではなく、“ちゃんとしたコ”が採られる傾向にあるという。それが結果的に、“個性に欠ける無難な女子アナ”を生んでいるのだ。

フリーの女子アナに降りかかる受難

 一方、フリーの女子アナたちも受難を迎えようとしている。各局とも経費削減のために、増えすぎたフリーアナ枠を縮小し、自社の女子アナに振り替え始めたのだ。
 今や、ひと昔前のように人気の女子アナがフリーになって、大きく稼ぐのが難しい状況になっている。元TBSの田中みな実アナのような逸材でも、フリーで苦労しているのが実状である。

 生物の世界もそうだが、ある種が繁栄するために最も必要な要素は、強いことでも、数が多いことでもなく、多様性である。その意味で、これから女子アナ界が発展するためには、ちょっと変わり者を採用したり、局アナばかりでなく、やはり多様なフリーの女子アナを積極的に起用した方がいいと思うが――さて、各局の考えはどうだろう。

テレ東から新たな潮流か

 そんな中、一筋の光明かもしれない新しい試みを、ある局が始めている。テレビ東京である。
 昨年から今年にかけて、テレ東は3人の地方局の女子アナを中途採用した。2016年がRKB毎日放送の福田典子アナと北海道テレビ放送の西野志海アナ、17年が関西テレビの竹崎由佳アナである。そう――“地方局出身の東京キー局の女子アナ”という新たなカテゴリーの誕生だ。

 考えたら、キー局の採用に漏れて地方局の女子アナになったものの、元々女子アナを目指すような学生たちは高いスキルを持っており、その実力に大きな差があるワケではない。それにアナウンサーの適性もある。3~4年経験を積んだ地方の有能な女子アナを東京キー局が採用するのはリスクも少ないし、これから新たな潮流になるかもしれない。

 実際、福田典子アナは『モヤさま』で早くもそのセクシーキャラで人気を博しているし、西野志海アナは5分のピン番組『今から、西野アナが行きますんで』でその抜群の歌唱力を披露、竹崎由佳アナはこの10月から帯の生活情報番組『よじごじDays』で、大橋未歩アナの後を受けてメインキャスターと、3人とも即戦力として活躍中である。

僕の推しアナ

 最後に、僕自身の推しアナを挙げて、この前・中・後編にわたった長いリポートも終わりにしたいと思う。

 誠に個人的な思いで申し訳ないが、僕が今、期待を寄せる女子アナは、フジテレビの『めざましテレビ』で情報キャスターを務める宮司愛海アナと、同じくフジの『めざましアクア』で火・水のメインキャスターを務める、元テレビ静岡の伊藤弘美アナ(セント・フォース所属)である。

 宮司アナは地元が同じ福岡で同郷のよしみということもあるが、そのルックスは親しみやすく、トークのキレとバラエティで見せるノリの良さは、あの高島彩サンにどこか通じるものがある。どちらかと言えば大人しいタイプが多い昨今のフジの女子アナの中で、珍しくアグレッシブなキャラである。

 一方、伊藤アナ。そのルックスは、立教大学時代に「ミスオブミスキャンパス」(首都圏のミスキャンパスの中からさらに頂点を選ぶコンテスト)でグランプリに選ばれただけあって、個人的には女子アナ&フリー女子アナ界で最強だと思う。加えて清楚キャラ。アナウンススキルも万全で、いわゆる正統派女子アナである。今のフリー女子アナに厳しい時代を考えると、静岡に留まっていたほうがよかったかもしれないが、こうなってしまった以上、前を向くしかない。

 なぜ、僕がこの2人を推すかと言うと、極端な話、フジテレビの復活は、この2人にかかっていると言っても過言ではないからだ。
 だって、ほら――「テレビ局の視聴率と女子アナの活躍は比例する」って言うじゃないですか。

(文:指南役 イラスト:高田真弓)

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