冤罪の可能性が極めて高いにも関わらず、死刑判決を受けてしまった、ふたりの死刑囚。
奥西勝さんは、獄中で生涯を終えた。袴田巌さんは、釈放されたものの、長年の拘置所生活で、精神に障害が残っている……。
この2人を追ったドキュメンタリー映画『ふたりの死刑囚』が、1月16日(土)より公開される。制作は東海テレビ。特に奥西勝さんが犯人とされている名張毒ぶどう酒事件は、東海テレビが約30年にわたって、追い続けてきた題材である。
2代目の担当として取材を続けてきた齊藤潤一さんは、今回、プロデューサーの立場となり、若干30歳の鎌田麗香さんに監督を引き継いだ。 3代目となった鎌田さんの抜擢理由から、死刑囚という題材に向きあう過程、そして、結果的に、権力に反する報道となっていることへの考えなどを2人に聞いた。
事件の中心を取材できない、という現実
――今回の作品はタイトル通り、名張事件の奥西さんと、袴田事件の袴田さん、ふたりの死刑囚の話を並行して並べ、紹介するかたちになっています。なぜ、このような形になったのでしょうか?
齊藤「東海テレビは、ずっと名張事件を追ってきました。ただ、変な言い方ですが、名張事件を5作やってきて、もうネタがないんですよね。事件の中心である奥西勝さんは死刑囚で、もう約半世紀のあいだ、ずっと塀の中にいましたから、本人に取材もできません。以前『約束』という名張事件を題材にしたドラマを作ったのも苦肉の策だったんです。
でも、奥西さんは死刑囚のままですから、事件はずっと継続していますよね。そんな時に、死刑囚として奥西さんと同じく、ずっと塀の中にいた袴田さんが釈放されたと知り、彼を取材することで何か見えてくるんじゃないか、と袴田さんの取材を始めたのがきっかけですね。
それで結果的に、2つの事件を並列させるかたちになりました。袴田事件は割と知られている事件ですが、全国的に言えば、名張事件は有名ではないんですよね。なので、こうして映画が公開されたり、記事にして頂いたりすることで、知ってくれる方が増えれば嬉しいです」
取材のために、将棋とボクシング
――名張事件は三重県なので東海テレビの放送区域です。一方の袴田事件はおっしゃる通り、知られた事件ですし、静岡県なので、静岡のテレビ局をはじめとした他の局が追っているということはなかったんですか?
鎌田「静岡の放送局は、定期的に“正月の袴田さん”のようなかたちで、定期的に放送はしていたみたいなんですけど、ずっと追いかけようとするテレビ局はありませんでした。しかも、静岡のテレビ局が放送してくれても、静岡の中で完結してしまいます。袴田さんのいる浜松市なんて、愛知県の隣なのに、愛知の人はほとんど知らないんです。だから、東海テレビの放送地域の人は、まさか袴田さんに拘禁反応があるとは思わなかった、というような感じでしたね」
――あの拘禁反応(長年の拘置所などでの監禁生活により精神に障害が起こること)の様子は衝撃的でした。鎌田さんも最初は、袴田さんに拒絶されていましたが、取材の半年の間に、徐々に心の距離が近くなっているのが作品越しに伝わりました。
齊藤「鎌田は、袴田さんと共通の話題を作るために、将棋を覚えて、ボクシングジムにも通ったんですよ(編集部注:袴田さんは元ボクシング選手で、趣味が将棋)」
――ええっ、そんな努力をされていたんですか!
鎌田「まあ、それで何を引き出せたか、どう生かされたのか、と言われると具体的にはわからないのですが……(笑)。でも、実際にボクシングジムに通ってボクサーの卵の方を観察しながら、ボクシングをやる人の気持ちをずっと考えたりはしましたね。ボクサーの方には物静かな人が多くて、袴田さんもかつて、内気な感じの人だったようなんです。そういう人が塀の中に入って、我慢し続けて、今拘禁反応を起こしている、と思うと考えるところはありましたね」
齊藤「将棋は最初は若干、嫌々だったけどハマっていたよね(笑)。でも、なかなかそういう努力ができる記者って少ないんですよね」
若干30歳・鎌田さんを抜擢した理由
――今回、東海テレビがずっと追ってきた名張事件の担当であり、映画となった作品の監督に、30歳の鎌田さんを抜擢されたのも、そういうところを買ってのことなんでしょうか?
齊藤「そうですね、そういう普段の仕事ぶりを見て、鎌田に託しました。鎌田は“サツタン”“サツまわり”と言われる、警察担当の記者を2年間担当していたんですが、警察担当の記者って、すごくハードなんです。事件・事故って24時間・365日起こり得るので、何かあったら夜中でも、休みの日でも、デート中でも「すぐに現場に行け!」って言われる過酷な仕事なんですね。それを2年間きっちりと勤め上げて、いっぱい特ダネも抜いて、男性記者以上に、積極的に前に突っ込んでいく取材をしてたんです。
それに、我々は『名張事件は冤罪だ』というスタンスですから、取材がすごく難しいんです。取材を受ける方が、基本的には嫌がるんですよ。事件が起きた村の人たちは、犯人は奥西勝さんのままであってほしいんですよね。奥西さんじゃなかったら、もしかしたら村の自分たちが怪しまれるかもしれないので、そのままにしてほしいんです。奥西さんの親族も、死刑囚が親族にいることを隠して生きてきていますから、取材で明らかにされたくないんです。もちろん、裁判官や検察の側も、死刑判決が出ているので、蒸し返すことに対する抵抗があります。だから、この事件をやるには粘り強い記者じゃないと……というところで、鎌田に引き継ぎました」
鎌田「奥西さんが犯人だと思ってないと、あの村としてはやっていけないっていう現実があって、そういう点では村人の方々も被害者なんですよね」
ドキュメンタリーはニュースが落としたものを拾う作業
――鎌田さん個人としては、初めて今回の話を振られた時はどうでしたか?
鎌田「実は、私はドキュメンタリーが好き、というわけではなかったんです。私はやっぱり速報性を重視する警察記者で、情報をとることが全てで、早く知って早く放送したい、という考えだったんです。
なので、齊藤から今回の話を振られた時も『あんまりドキュメンタリーに興味ないんですけどどうやって作ればいいですか?』って聞いたんです。そうしたら『ニュースが落としてきたものを拾う作業だ』って言われたんですよね。その時に、とてもしっくりきて、ドキュメンタリーへの考え方が変わって、取材にのぞめましたね」
――失礼な言い方かもしれませんが、ギラギラした野望に燃えている感じのタイプの方ではなさそうにみえます(笑)。
鎌田「『なにかを伝えたい』みたいなキラキラしたものは、あんまりないんですよね……。『伝えたい』ってなると、エゴになっちゃう気がするんです。でも、『自分が知ったことをまとめて、共感してもらったらいいなあ』っていう思いはあるんです。言葉の違いなんですけどね(笑)」
偏向報道かもしれないが、それでも全然バランスは取れない
――東海テレビの名張事件に関する作品自体は一貫して、冤罪である、ということを主張されています。裁判所や検察に対する大きな反論でもあるわけで、勇気ある行為なのではないでしょうか。
齊藤「権力に楯突く話ですからね。鎌田の前に私が、その前にはさらに先輩が担当していたのですが、最初にその方針を立てた先輩は偉いですよね。冤罪だと言い切っているので、これは偏向報道です。
でも、検察や裁判所は大組織です。一方で、奥西さん側の人は、家族・弁護団……多くみて30人ぐらいです。何万人VS30人ですから、我々がちょっとくらい偏向報道したところで、バランスは取れないんです。報道してもまだ公正中立じゃなくて、検察・裁判所側の方が強いんです」
鎌田「でも最近は公正中立にしてくれ、という視聴者も多くなってきましたよね」
齊藤「片方の意見を30分流して、もう片方の意見を30分流して……というのはジャーナリズムではないんです。それでは、それぞれの意見を代弁する機関に成り下がってしまいます。どの局も全部一緒の報道になってしまいますしね。だから、公正中立っていうのは言葉で言うのは簡単ですけど、そんな社会になったら大変なんですよ。色んな意見があるのがジャーナリズムで、最終的に判断するのは、見ている人なんです。だから、この作品を見て『本当に冤罪なのか?』って思う人がいてもいいんです」
――鵜呑みにしないくらいのほうが健全だということでしょうか。
齊藤「特に若い人は『本当にそうなの?』と、逆の方から見てみる訓練をしたほうがいいと思うんです。最近のネット社会では特に両極端になってしまっていますよね。右の人は左の意見を、左の人は右の意見を全く受け付けない、という……。
まずは、色んな人の意見に寛容になって聞いてみて、とりあえず自分の中に吸収してから、自分の意見を持つということが必要なんじゃないでしょうか。もちろんネット社会だけではなく、今の政権もそうですよね。安保法案も、沖縄の基地移転問題も、反対の意見をなかなか聞き入れません。大人の社会でも、他人の意見を受け入れる寛容さがなくなってきているのは危険だと思います」
――齊藤さんは、今回はプロデューサーとして、以前はディレクターとしての長きにわたって、名張事件の報道を続けていらっしゃいます。そこまで高いモチベーションで続けられるのはなぜなのでしょうか。
齊藤「我々は会社員ですから、正直、最初のきっかけは、この仕事を先輩に振られた、というところでした。でも、取材を通して、この事件を知ってしまったんです。そこで『これはやっぱり冤罪の可能性が高いよなあ……このままにしていいのかなあ……』という疑問が生まれました。知ってしまったからには、報道し続けるしかないんですよね」
一見、字面だけ見ると、後ろ向きな発言に聞こえるかもしれないが、齊藤さんのこの発言には、とても力強いものが込められていた。この「知ってしまった」という感覚は、この映画を見れば、共有できるはずだ。
“しまった”という言葉に表れているように、それは単純に心地いいものではないのかもしれない。でも、権力に人生を翻弄されてしまった人がいる、冤罪のまま塀の中で生涯を終わらせられてしまった人物がいる、ということを、この作品を見て“知ってしまって”欲しい。
(取材・文:霜田明寛 写真:浅野まき)
■関連リンク
『ふたりの死刑囚』公式サイト
©東海テレビ放送
2016年1月16日(土)より東京・ポレポレ東中野、愛知・名古屋シネマテークにて公開、ほか全国順次公開。 最新の全国公開劇場一覧は公式ホームページにて。