須賀貴匡×津田寛治対談もついに最終回! 最後は、2人の映画愛はもちろん、津田さんから須賀さんへの愛と期待が感じられるお話に……。
ピュアな映画青年と、夢のような映画の話がしたかった
――おふたりの映画トークが濃厚で、この関係性がとても羨ましいです。14年前の龍騎の頃からこんな感じなんですね。
津田「尽きないよね。でも、この間、須賀っちと忘年会で飲んでるときに『僕は津田さんに騙されちゃったからなあ』って言われたんだ(笑)。
『津田さんが言う映画の世界って、夢のように楽しいっていうから、俺もこれからそういう世界で生きていけるんだと思ったら、わりとそうでもなかったですね』って(笑)」
須賀「あー、言いましたね(笑)」
津田「たしかに俺も悪かった。半分は自分の妄想も交えながら『須賀っち、映画っていうのはこんなだよ』って感じで、一切厳しいこととか、政治的なことを喋らず、本当に選りすぐりの、素敵な現場の話だけをしていたんです(笑)」
須賀「まあ、あの頃は、僕も大変さを知らなかったっていうのもありますからね。好きと憧れみたいなところから入っていきましたからね」
津田「俺もね、須賀っちと話してるときは、このピュアな映画青年とは政治がどうとかいうよりも、夢のような映画の世界を語り合いたいと思っていたんですよ。本当にピュアだったんです。
俺も最初は、北野映画から入ったんだけど、夢のような現場でね。ああいう感じをね、あの頃の須賀っちに伝えたかったんです」
津田寛治が感じた須賀貴匡の作り出したい世界
――そんな夢のような話を、ピュアな須賀さんにしてから14年。この14年を思い出しながら、今の須賀さんを見ていかがですか?
津田「須賀っちは、付き合えば付き合うほど持っている世界観が見えてくるんですよ。ライダーを卒業した後も、試行錯誤しながら色んな映画を選んでやってきていたんですね。
それで、須賀っちは、とにかくジャームッシュが好きで、ニューヨークに会いに行ったりもしていてね。すごいんですよ。ある日、何人かで、須賀っちの部屋で映画観ようっていうことになったんですよ」
須賀「ありましたねー。何年か前に……」
津田「部屋に入ったらね、須賀貴匡ワールドなんですよ。『ここはギター屋か!』っていうくらい、ギターがズラーっと並んでいて。それで、打ちっぱなしみたいになっている無造作な壁に、映写機でいきなりスパーンと映画を流したんです。
そこでかかったのが、ジム・ジャームッシュの1作目にあたる『パーマネント・バケーション』っていう映画で。
前に俺も観てたんだけれども、須賀貴匡の部屋で観た『パーマネント・バケーション』は、全然違っていたんですよ。なんで須賀っちがこれを好きなのかよくわかったし、こんなに素敵な映画だったんだ、って感じてね。
実は、俺はあんまり好きじゃなかったんですよ。ジム・ジャームッシュの中でも、『ストレンジャー・ザン・パラダイス』の方が好きで、こっちはまだ未熟な感じだな、くらいに思っていたんですよ。でも、あの後、思わずDVD買っちゃったもんね(笑)。
だから、あんなに素敵に感じたのは、須賀っちの部屋のおかげなんだな、と思って。普段はホントに自己主張をしない人なんだけど、あの部屋には須賀貴匡の世界がちゃんとあった。
あの部屋でかかった『パーマネント・バケーション』っていうのが僕の中では、須賀貴匡の世界として、ビーンとひとつあるんですよ。
この世界をやりたいんだ、ってすごく感じたんです。もちろん、それは『パーマネント・バケーション』的なものをやれ、というわけではなく、象徴のひとつであって、言葉にはできないんだけど。
これが須賀貴匡の世界だ、って感じる何かがあったんですね。でも、まだ須賀っちはできてないと思う。だから、早く具現化して欲しい、早くできるとこに行ってもらいたいな」
インタビュー中も「そもそも人前に出たくないんですよ(笑)」と控え目に語っていた須賀さん。そして、そんな須賀さんの中に秘められた壮大な世界観を代弁するかのように、語ってくれた津田さん。
しかも、ただ褒め称えるだけでもなく、最後には「まだまだなんだ、早く見たい」と希望を込めて叱咤激励まで。
14年前に、津田さんが半分、現実を隠して須賀さんに見せた“夢のような映画の世界”。それを信じて飛び込んだ“ピュアな映画青年”だった須賀さん。
でも、それを信じて俳優を続けてきた須賀さんが作り出すかもしれない夢の世界は、きっと、津田さんが見たい夢の世界でもあるはずだ。
2人の関係性は、最高の師弟愛であると共に、日本映画界の大きな希望でもあると感じた。
(取材・文:霜田明寛)