連載6回目です。キヤノンの工場で派遣社員として勤めた自身を撮影したドキュメンタリー映画『遭難フリーター』から10年、今はAVメーカー「ハマジム」で働いている岩淵弘樹です。この連載は仙台生まれの著者が東京の雑踏にへばりついて暮らす記録シリーズです。
前回は介護職に就くために通った職業訓練校についてでした。今回は実際に有料老人ホームでの勤務がはじまり、現場で見たり感じたりしたことです。
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朝7時、老人ホームでの早番勤務がはじまる。
夜勤者とバトンタッチでお休みしている入居者さんの起床介助を行う。
カーテンを開き、「おはようございます、今日は天気悪いですよー」と呼びかける。「あら、じゃあ雀もいないかしら」とおばあさん。いつも向かいの家の屋根には、この時間に数羽の雀がやって来るのだ。
「今日はいないですね」と言いながら、パジャマのズボンを脱がせ、小便に濡れたオムツを交換する。上のパジャマを着脱介助するため、ベッドに腰掛けるように持ち上げる。
「あ、カラスは来てる」おばあさんが言う。少しの時間、二人で外を見る。
おばあさんのパジャマと下着を脱がせ、腋の下や垂れた乳房にそって汗を拭き取る。
朝食の準備に合わせ、まだ起きていない入居者さんに声をかける。
トイレから出てこないおばあさんは脱肛と子宮脱の症状で、肛門から腸の先端を、膣からは子宮を出してうずくまっている。
丁寧に清拭タオルで便を拭き取り、ゴム手袋にグリセリンを塗って両方の出ている部分を入れ込む。「ああすっきりした。あなた、魔法使いみたいね」と言ってくれる。
朝食は誤嚥が起こらないように、喉の筋力が落ちている入居者さんの食事にはとろみをつける。
バタバタと朝食の準備をし、そのまま食事介助を行う。全身が動かない方を両隣に、スプーンを使って交互に食事を口元へ運ぶ。全体を見渡しながら、食事を詰まらせてはいないか、おいしく食べているか、360°に気を張って食事の時間は過ぎる。
休む間も無く、口腔ケアと排泄介助、朝の体操、水分補給、ベッドのシーツ交換、部屋の掃除、昼食の準備、昼食介助、お昼の口腔ケアと排泄介助……と分刻みで動き続ける。
年配の方は足腰の筋力が落ちていたり、骨粗しょう症になっていたりするので、転倒するとすぐに骨折する危険性がある。目を光らせ、事故が起きないように気を配らなければならない。
この仕事の癖で、未だに老人を見かけるとよろめいても体をキャッチできるよう、野球の守備のように集中してしまう。
当たり前のことだが、入居者さんはそれぞれ性格も体の状態も異なる。人生は全員違う。しかし、変な法則性も見える。
ご主人が生きている頃、依存するように後ろにくっついて過ごしてきた老婆は認知症の進行が早く、逆に、一定の距離を取って自立していた人は認知症の進行の程度が遅い。
医学的な研究結果があるのかどうか知らないが、知り合いの介護士の多くからそんな話を聞いた。
「ボケたくない、足腰も強くなきゃ」と言って、毎日自主的に廊下を歩いてリハビリをしている老婆は生涯独身で子供もいない。
自分は大学生だと思い込んでいる老婆は家族に恵まれていたりする。
一概に言えることではないが、一人で生きるということを強く意識しているかどうかの違いがあるんじゃないかと思ったりする。
あるおばあさんは、夜中に全裸で廊下を徘徊していた。手を取って部屋に案内すると、床には小便で汚れたパジャマが散乱していた。深夜2時に「娘のお弁当を作らなきゃいけないの」と顔をしかめて話し続けていた。
テーブルに置かれた旦那さんの写真は、快活な人柄であったことを示すようににっこりと笑っていた。きっと仲のいい夫婦だったんだろうと想像させる、和やかな雰囲気が写った写真だった。
翌日、おばあさんとこんな話をした。
「ご主人になんて呼ばれてたんですか?」
「うふふ。○子」
「え、呼び捨てだったんですか?」
「いえ、○子ちゃん」
「あら、素敵ですね!」
「そう? あなた、主人に会った?」
「いえ、会ってないです」
「残念ね、いい人だったのよ」
「○さん、ご主人のこと好きですねー」
「うん、そうよ」
「どうしてずっと好きだったんですか?」
「私のこと、ずっと好きでいてくれたから」
そう言って、少女のように笑った。
昨日も今日もわからなくなった毎日を施設で過ごしながら、もう90も近いというのに、愛するとか、愛されるとかの瑞々しい感性は失われていないように感じた。
それはきっと、旦那さんがきちんと愛を伝えていたからだろう。決して人は老後のために生きているわけではない。その時、その瞬間に必死に想いを達成出来ていれば、それはいい人生のはずだ。だけど老後はやって来る。ボケたり、狂ったり、肉体は歪んで、食べたものを排泄するだけの管のようになっても生き長らえる。
愛された記憶や経験が心の深い部分に残り、その相手がいなくなって伝えられなくなっても、信じることはいつまでも出来る。
信じることは強い祈りになる。
人間の根幹に必要なものはなんだろう。何が残るだろう。毎日、そんなことを思いながら仕事をしていた。
(文:岩淵弘樹)