チンコに似た人
私の知り合いに勃起したチンコに似た人がいる。とてもよく似ている。彼は脚本家であり、演出家であり、役者でもある。脚本では日本アカデミー賞の優秀脚本賞を取っているくらい立派な人で、かつチンコに似ている。すごいことだと思う。
別におとしめたいわけではない。彼のチンコとしてのジャンルは、下ネタチンコではなく、神社に奉納される系である。御輿にして町中を練り歩く系の派閥に所属しているチンコであり、神聖さと華やかさを合わせもっている。
そんな安産祈願に効果がありそうな外見のKさんだが、「あの人、チンコに似てるよね?」と言うと、「わかる!わかる!」という人と、「はぁ?」という人に分かれてしまう。
これはどういうことだろうと常々疑問に思っていた。なのでこの機会に、Kさんを知っている知人達に片っ端から「Kさんはチンコに似ているか否か?」という質問をぶつけてみた。
そこで浮かびあがってきたことは、「わかる!」と賛同してくれる人のほとんどが女性であり、「はぁ?」という意見のほとんどが男性であったという結果である。
女が見ているチンコ
男と女でチンコに対するイメージが違うということだろうか。そりゃ違うだろう。しかし具体的にどう違うのかがわからなかった。
そんな疑問を抱えたままで仕事が手につかず、このコラムの締め切りも飛ばしがちになっていたある日の午後、私はJR高円寺駅南口にある『Yonchome Cafe』という喫茶店で小便をかましていた。
このカフェのトイレは壁が鏡張りで、洋式便器に対して男が立ったまま小をしようとすると、鏡に自分のチンコが映ることで有名なおしゃれカフェである。
その日、私は徹夜明けであり、所謂疲れマラってやつで、意味なく勃起していたので、鏡に映る自分の勃起したチンコを見るはめになった。それはあまり見たことのない画であった。普通の状態のチンコは、家の風呂場の鏡に映っているのを見掛けて、「俺もチン毛に白髪が生える年になったか」なんて感慨にふけったりしているが、勃起したチンコをこんなによく見たことはなかった。
その時、私は
「あぁこれが女が見ているチンポなのか!」
と電気が走った。
我々男性は、普段、チンコを見下ろして暮らしている。
女性は基本、正対してチンコを見ることが多い。
つまり、女性が見がちなチンコは男から言わせれば裏側である。裏スジである。でも、それこそが女性にとってのチンコの基本イメージなのだとしたら!
Kさんは、正確にはチンコではなく、裏チンコに似てたのだ。だから女性からの賛同が多かったのだ!
Kさん=裏チンコ説!
これはチンコをどこから見るか?という些細な差の話だが、その差によって私にとっては当たり前すぎる事実(つまり私は女性的視点でKさんを見ていたことになるが)を、共有できない他者が多数、存在することになっていたわけだ。
あなたの視点だけが世界ではない
だとすれば、と私は思う。
今、世の中にはびこる、あまたの対立する意見とそこから湧きあがる問題も、こんな些細な視点の違いから生まれているのではないか。いや、そんなことは誰でも言うことだけども。視点の違い。価値観の違い。宗教の違い。「相手の立場になって考えましょう」なんて、子供の頃から言われてきたが、今、あらためてそれを実感した。
男性陣よ、女性から見たら、あなたのチンコですらあなたが思っているチンコではないのだ。いわんや…、という立場に立って、もう一度この世界を見た時に、急に理解できるようになった敵はいないだろうか。
その時、あなたが見たい世界を実現しようとするだけではなく、相手の見ている世界を書き換えようとするわけでもない、別の目指すべきなにかが見えてくると思う。
そのためにもまずはもう一度、自分の勃起したチンコをよく見てみることからはじめようと思う。
(文:福原充則 イラスト:佐藤由紀奈)