平成とは“窪塚洋介の崇高さと純度の高さに人々がついてこれなかった時代”なのではないか――?
1995年に俳優としてデビュー。1999年『天国に一番近い男』、2000年『池袋ウエストゲートパーク』、2001年『ストロベリー・オンザ・ショートケーキ』『GO』、2002年『ロング・ラブレター〜漂流教室〜』とテレビ・映画を中心に活躍していた2000年代前半、窪塚洋介の言葉は“変わったもの”として扱われることが多かった。
しかし、それは、その崇高さと純度の高さに人々がついてこれなかっただけなのではないか。
封印されてしまった窪塚洋介のコトバたちは、“時代の変わり目”の今、改めて触れておくべきではないだろうか。
それは、時代を「架ける」「翔ける」「賭ける」言葉になるのではないか?
これは、そんな想いのもとに“永遠のオトナ童貞のための文化系マガジン・チェリー”がおくる、連続3回のインタビューシリーズ。窪塚洋介に“時代をカケル”言葉を聞く。
以前、出演した舞台『怪獣の教え』で、窪塚洋介は「何を変えるんだ?」というセリフに対する答えが空欄になっている台本にこう書き込んだという。
「世界」と。
「世界を変える」という言葉が最もしっくりくる男・窪塚洋介。
しかし、窪塚が20代前半だった2000年~2003年頃に比べて、窪塚洋介の言動は少しおとなしくなっているようにも感じる。
なぜ、発信が減ったのか?そして、40歳を目前に控え、平成が終わろうとしている今、“あの時代”をどう捉えているのか?
届く広さよりも、純度の高さが大事
――今年の5月に40歳になる窪塚さんですが、20代の前半の頃を振り返っていかがですか?
窪塚「今は、20代の前半の頃ほどは、社会に対して何かを言ってみたりっていうことがなくなってきましたよね。あの頃は大人に揚げ足とられてたし、遊ばれてたんですよね。しかも、そこに対してマジに腹立てちゃったりしてたから、不毛だったな、と」
――あの頃に比べれば、今はやりやすいですか?
窪塚「お陰様で、自分が好きにやれる状況を仲間と一緒に作っていけていて、社会的な立ち位置も“枠外”みたいな状態になっているのはありがたいですね」
――窪塚さんが静かになってしまった、と悲しむ人もいるのかもしれませんが、窪塚さんの中では何が変わったんですかね?
窪塚「“発信しないと変わらない”って思わなくなったんだと思う」
――どういうことでしょうか? “発信しなくても変わる”ということですか?
窪塚「“発信しなくても、思っていれば変わる”っていうか。発信することが全てじゃないし、ましてや『100人に伝えた人より100万人に伝えた人のほうが偉い』とかじゃなくて。それよりも自分の思いの純度の高さのほうが大事で。自分がどう感じてるか、どれくらい感じているか、は他人と比べる問題じゃないし」
自分の見える範囲を愛する
――発信することが全てではないし、多くの人に届けたほうが偉いわけでもない、と。ただ窪塚さんは音楽や本で自分の思いを発信されてますし、伝えたい思いがないわけではないですよね?
窪塚「音楽や本にのせた思いがシェアされていけば嬉しいけど、量じゃないな、と。
もちろん、多くの人が聞いたり、読んだりしてくれたら嬉しい。でも届く範囲を無理やり広げようとは思ってなくて。今、届く範囲のことを、自分の完璧なんだと思ってやってる。届く範囲を“足りない”って渇望するんじゃなくて。もう“足りてる”から」
――その“足りてる”は、“満ち足りてる”に近いイメージですよね。
窪塚「うん、止まるとか、諦めるみたいなイメージの足りてるじゃなくて。常に満ち足りているようにすることが、俺の望んでることで。自分の手に届く範囲や目に見える範囲を愛するというイメージかな。背伸びをしなくなったというか」
“好きでいる”という革命
――遠くの世界へ声を届けようとされていた20代からだいぶ変化されましたね。
窪塚「“好きでいる”ってことは革命と何ら変わらないって気づいたんです。誰かに感謝すること、誰かを好きでいることは、革命を起こして世の中を変えることと、そう変わらないんですよ。自分らしくいることを考えたら、俺のやるべきことは声高に何かを叫んで革命を起こすことではなかった、と。家内安全なら、世界平和ですから」
――20代の前半は世界を先に平和にしようとしていたけど、歳を重ねて「世界平和は家族平和から」と感じられるようになったということなんですね。
窪塚「そうですね、世界のほうばかりを見て、実家に3年帰らないのは矛盾してるなって思って(笑)。自分の家族と、仲間と、ファンと……自分の目の届く範囲を愛して。俺の“世界”はそこだから、その“世界”が幸せだったら、あとは愛を受け取ってくれたそれぞれが、同じことを自分の“世界”でしていけばいいんだ、って思って」
「“社会”はある」と思い込まされている
――大きい世界がひとつあるんじゃなくて、それぞれが小さな世界を愛していく、というイメージですね。愛の受け取り手である“ファン”というものへの感じ方も、当時とは変わりましたか?
窪塚「卍LINEとしてライブをやるようになって、全国を何周もまわって、席が埋まっているのを見ると、以前よりも思いっきりリアリティがありますよね。今は、サイン会もするし、“ファン”ってコトバを使ったときに、ひとりひとりの顔が浮かぶし、ひとりひとりに人生があるって思えるから。当時は顔すら見えていませんでしたからね。何かひとつの“ファン”という実態があると思っていて。だから当時の感覚としては“ファン”も“社会”も、言葉にはしてたけど実態がつかめていなかったし。そんな実態はないんです」
――“社会”もないんですか?
窪塚「ないでしょう?」
――はい、ないです!
窪塚「みんな、『“社会”ってものがある』って思い込まされてるだけなんです。じゃあ誰がその“社会”の代表なの?その“社会”に誰も責任とらないし。『こんなこと言ったら“社会”は……』って、考えすぎると、一番ないがしろにされちゃうのは自分の心だから。それはもったいない。
『これをしたい』『これを言いたい』は、自分が飽きるまでやらないと。それが、あってるか間違ってるかの問題じゃなくて。
それを俺は20代の前半にしてきて、色々叩かれてきたけど、言いたい奴には言わせておけばいい。俺は、あの時期を経てないと、今こういうふうに考えられてないから。色んなものに“当たる”前の時期で、当たったことで、“当たり前”が掴めたから」
閉塞感じゃなくて、楽しいほうにチューニング
――たくさん“当たった”からとはいえ、その思考に20代の前半でなれたのがすごいです。
窪塚「許せるようになったんですかね。世の中で起こっているムカつくことは、他人のせいだと思いこんで、時代がどうの、社会がどうのって言ってみたりするけど。結局は、自分の中にあるものが、出てきてるだけだったりもするので。自分を許せるようになることで、周りを許せるようになったというか」
――そうすると、世界のいい部分に目がいきそうですね。
窪塚「うん、窮屈さや閉塞感って感じようと思えば感じられるけど、あんまりそっちにチューニングを合わせていたくないから。やっぱり毎日感謝して、楽しく前向きなほうにチューニングしてたほうが、自分も気持ちがいいし、実際にそっちのほうが運も良くなるし。せっかく1回きりの人生なので、前向きな方にチューニングして生きていきたいと思ってるんですよね」
(取材・文:霜田明寛 写真:中場敏博 動画撮影・編集:長谷川颯也)
次回は、結婚・離婚を経た窪塚さんの愛について聞く
【「離婚したって、愛はある」窪塚洋介 新時代のLOVE論】を公開予定!