今月29日に公開される映画『寄生獣』。非現実的な設定のエンターテイメント大作にも関わらず、常に現実を忘れさせない「他人ごと」ではない作品だった。
高校生泉新一と彼の右手に寄生したパラサイト「ミギー」、共生を余儀なくされた二人が、人間の脳に寄生したパラサイトと戦い、成長する姿を描いた漫画『寄生獣』。今日までに累計1300万部以上を売り上げ、日本漫画史上最高傑作の呼び声も高い作品である。
この作品が紆余曲折あり、連載開始から20年以上たった今年、ついに映画化となった。
監督はVFXでも日本随一の技術を誇るヒットメーカー山崎貴。近年は『永遠の0』や『ALWAYS 三丁目の夕日』を手掛けている。
そんな名作漫画と山崎監督のタッグは誰もが「現実を忘れさせる上質な娯楽作品」の誕生を想起する。しかし実際に観た映画は「上質な娯楽作品」には間違いないが、逆に「見て見ぬふりをしている現実」を色濃く浮かびあがらせるものだった。
どんなアクション映画でも観たことが無い、ショッキングな形状でかつ、ハイスピードのパラサイト同士の戦闘シーン。原作を見事に踏襲したPG12だと思えない限界スレスレの表現……など見どころは語りつくせない。
しかしあえてここでは『寄生獣』を観て感じた、男子が必ず通る2つの問題を「お前はどうなんだ」と突きつけて来る、縛り上げるようなメッセージについて言及したい。
1、 本当に好きな女子を振り向かせるためにどうしたらいいのか……。
高校生の頃、好きな人が居てもなかなか気恥かしくて上手く話せなかった記憶がある。
「女の子にモテる方法」はファッション雑誌の白黒印刷の読み物ページに書かれていた。しかし実際にそれを熟読する人は意に反してモテない。そんなものには目もくれないで「誰にどう思われるか」より目の前の「受験勉強」や「部活の公式戦」など「やらなきゃいけないこと」に対して努力を重ねている奴がモテていたのが現実だった。
劇中でも前半ナヨナヨしていた新一が、パラサイトと戦う宿命に覚悟を決めた頃から変化が訪れる。距離が上手く縮まらない、彼が気になっていた村野里美(橋本愛)から「ご飯作りに行ってあげようか」と持ちかけられるのだ。
「向き合わなければいけないものに逃げずに向き合っている」男に女性は自然と手助けをしたくなる。作中の「やらねばならぬこと」が大きすぎるにも関わらず、逃げない新一を目の当たりにしてそんなことを再確認させられた。
2、当たり前に居る母親が突然いなくなったら……。
劇中の新一のように母親が突然違う人間になってしまったら、もしくは失踪してしまったらどんな心境になるだろう。多くの人は喪失感に加えて、日々の感謝を伝えきれていないことを後悔する気がする。
僕らにはどんな時も味方になってくれる「橋本愛」はいなくても、「母親」という存在がいる。それなのに普段はそのありがたさにキチンと向き合えないでいる。
今回作中で描かれている思春期の息子を心配し、思いやるシーンを観ていたら、昔の自分の姿と重なり「母さんごめん……」という感情が湧きあがってきた。
最近も毎晩遅くに帰宅するとラップに掛けられた夕食……せっかく作ってくれたのにいつもできたてを食べられなくてごめん……。
新一も態度には表わさないが母子家庭で自分を育ててくれた母に感謝している。もう届かない、不器用な想いを形にしたものが登場したとき、思わず息を呑んだ。
その哀しく美しい場面を劇場で焼き付けて、若い男子諸君は帰宅次第至急母親にやさしく接して頂きたい……!
そして劇中の新一の「償い」のような行動は賛否両論あるだろうが、映画館を出た男子たちの心持ちを大きく変化させてることだろう。
息もつかせぬ体感型エンターテイメントでありながら、「人間」という生物のあり方、日常生活のありがたみ、様々な問題提起を私たちにしてくれる映画『寄生獣』。是非とも大事な人と観に行って、その後普段恥ずかしくて話せないことを語らって欲しい。
(文:小峰克彦)