『先生を流産させる会』、『パズル』、『ライチ☆光クラブ』など大人を陥れる残酷な少年少女を徹底的に描いてきた内藤瑛亮監督。
最新作『ドロメ【女子篇】』『ドロメ【男子篇】』で描かれているのは意外にも、高校生同士のリアルで青臭い会話のやり取りや初々しい男女の交流……!
そんなリア充どもが次々と泥の妖怪に襲われていくホラー映画なのだが、登場人物たちがイケイケでリア充すぎるわけでもなく、親近感があるキャラクターたちだ。
そんな今までの内藤監督作にはない、ほのぼのとした雰囲気が続く『ドロメ【女子篇】』『ドロメ【男子篇】』はホラーが苦手な観客でも楽しめる青春映画だった。
今回の内藤監督のインタビュー記事は2本立て。
【前篇】は『ドロメ』を青春映画として捉え、【後篇】ではホラー映画としてネタバレも交えつつ、魅力の核心に迫っていく。
【前篇】では劇中のリアルすぎる高校生のセリフや、青春描写の背景となる、内藤監督の学生時代のお話を伺った。
――今回、【女子編】と【男子篇】に分けることになった経緯を教えてください。
「プロデューサーの田坂さんから『2本立てのホラーを作って欲しい』と依頼を受けました。でも、“1本作るのも大変な予算で、2本作らなくてはいけない”という制約の中から、生まれたのが【女子編】と【男子篇】の案です。
ワンシチュエーションでひとつの出来事を女子目線、男子目線という2つの視線で描けば、その予算規模でもなんとか撮りきれるのではないかと思いました。
若手の俳優を使ってほしいという依頼もあったので、“高校生の部活の合宿”という設定になっています」
――同じシチュエーションなのに2本の会話の雰囲気が違って、両方観てもそれぞれの楽しみ方ができる作品でした。主演の小関さんや森川さんをはじめ、今回のキャストはどのような基準で集められたのですか?
「小関さんは今回が初対面でしたね。森川さんは別作品のオーディションでお会いしたことがあるんですけど、ショートカットの女性が好きなので、以前から『かわいいなー』と注目していました。選んだ基準としては、今回の作品がみんなでわいわいする話なので、他にも別のオーディションで会った比嘉梨乃さん、中山さんや三浦さんら、同じ教室にいたら僕が友達になれそうな俳優を選びました。
イケイケの若手俳優って、同級生だったら友達になれないタイプも多いんです。『同級生だったら、僕、いじめられていたんじゃないか……監督でよかった!』と思う時もあります(笑)」
――監督のTwitterを見ていると、『ライチ☆光クラブ』の時も、今回の『ドロメ』でも、キャストとの仲の良さが伺えます。対象的な世界観ですが、撮影時期が近かったと伺いました。
「『ライチ☆光クラブ』も楽しかったですが、原作者やファンの思い入れも強いし、原作の世界観を創りあげなきゃいけないという、非常に緊張感があった現場でした。
一方、『ライチ☆光クラブ』のクランクアップ直後に撮り始めた『ドロメ』は意識的に力を抜いて、リラックスして楽しもうと思っていましたし、ワイワイ撮影できて楽しかったですね」
――ゆうばり国際ファンタスティック映画祭でも一緒に行かれた主演の小関さん、森川さんとの楽しそうな写真がたくさん上がっていましたね。お二人との現場はどうでしたか?
「2人とも仕事に対して真面目で、逐一どういうふうに演じようっていうのを一生懸命考えてくれていたので、一緒に作り上げている感覚が楽しかったですね」
――今回、主演の森川さんのメンヘラ演技が素晴らしかったです。すべてアドリブかと思うくらい本人の印象と合致していました。
「森川さんは、出会った時から、メンヘラっぽい雰囲気だなーとは思っていたんですけど、本人は『メンヘラの役が多いのがちょっと嫌なんですよ』って言っていて、『まあ、そう見えるから仕方ないんじゃない?』って会話をしました(笑)」
――森川さんが過呼吸になってしまうシーンがリアルでした。あのシーンは、森川さん発案ではなく監督の演出ですか?
「そうですね。演劇サークルに入って居た時に1人、急に過呼吸になってしまう人がいてその光景を思い出して演出しました。
あと昔付き合っていた女性で、ちょっとメンヘラっぽい子がいて、よく過呼吸になっていたので、彼女の過呼吸も反映されています(笑)。
現場でも『本当はこうじゃないんだよ』など細かく指示して、過呼吸にはこだわりました。結構テイク重ねましたね」
――森川さんは月9の『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』でもメンヘラの役を演じられていて、あの作品でも過呼吸に陥っていましたね。
「夕張で会った時に「『ドロメ』で教えてもらった過呼吸やっています」って言われました。今後もメンヘラ女優として頑張っていってほしいですね(笑)」
――内藤監督の作品をずっと追ってきたファンからすると、本作のリアルな高校生の会話には驚かされると思います。
過呼吸になった森川さんに、友人がかける「AKBのドキュメンタリー観たらみんな過呼吸していたよ」というセリフが印象的でした。
「青春映画や学園ドラマを観ていて、セリフに違和感を覚えることが多いんですよね。かしこまり過ぎているっていうか。友達同士だったら、もっとバカみたいな言い回しだったり、ヘンテコな理屈を語ったりするんじゃないかって。
女子がピンチになって、女友達が励ますというドラマでよくあるシチュエーションが本作にも登場しますが、“AKBも過呼吸になっているから、過呼吸になっても大丈夫だよ”っていう妙なロジックで励ます。なんだそりゃって発想なんですけど、学生ってそういうもんだろう、と」
――なるほど……“現代の女子高生の会話”であることが、AKBという固有名詞のお陰で際立って表現されていたように思えます。
数々の過呼吸を見てきた監督からしても、AKBのドキュメンタリーの過呼吸の描写は素晴らしいですか?
「はい。過呼吸が始まった時の周囲のリアクションがリアルですよね。明らかにおかしいと思っているけど、『行っていいのかな?どうかな?』ってなかなか近寄れない。でも周りのスタッフが袋とか、酸素マスク持っているじゃないですか。過呼吸が珍しいことではないことがわかります。
酸素マスクの存在で、映っていない過去の過呼吸事件のドラマまで見えるんです。あれは演出ではなかなか思いつかないシーンですよね。『ドロメ』では三浦透子さんに常に酸素マスクを持たせようとも思ったのですが、少しやり過ぎな気がしたので止めました(笑)」
ホラーと残酷映画の鬼才は下ネタも天才だった
“変態王子”たちのセリフが輝く男子篇
――男子が、まだ女子が使ってない布団とたわむれて、「女子との時空を超えた交わりを楽しみたまえ!」という思春期の男子の発想としては100点満点なセリフがあって感動しました。
「自分が全然女子と交流がない10代だったので、なんか、そういう発想力は普通の人より自信があります。女子との接点をひたすら渇望している時間が長かったので(笑)。
女子というものが妄想の存在でしかないんだけど、でもその妄想をやりとりしていることが、結構楽しかったです」
――男子篇の会話は、内藤監督の高校時代を参考にされていますか?
「僕は中高生のころ友達がいなかったので、大学や映画学校で友達がやっと出来たんです。青春が遅れてきたので、大人になってから高校生みたいなやりとりを楽しみました」
――中高の狭い世界で全く青春が送れない気持ち、わかります!
全編に渡って、男子の妄想力あふれる発言が印象的でした。遅れてきた青春である映画学校時代の日常会話が反映されているのでしょうか?
「今回、共同脚本の松久さんも映画学校の同期なんですけど、僕らの代の6、7人の仲がいいんですよね。定期的に一緒に映画を観て飲むし、忘年会は絶対やるし、年に1回旅行に行ったりするんです。
そんな同期との普段のやりとりをかなり反映しました。
面白いか面白くないかっていうよりは、くだらない言葉を交わしている間柄の面白さを大切にしたって感じです。
映画学校時代も男子は下ネタばかり言っていて、日仏に通っている女子たちはドン引きしていましたね。」
――まさに映画とおんなじ構図なのですね(笑)。
「そうですね……同期と旅行している時は毎回『下ネタ版のチャーリーズエンジェルを作ろう!』というお題で、みんなでアイディアを出し合います。『役名は、ヤリ沢 セックス子とノドボトケ沢 イマラチオ子とクンニ沢 クチニ毛ガ入ッタ子にしよう』みたいな(笑)」
――クオリティが高い……(笑)。
内藤監督はそういう下ネタのギャグが思い浮かんでくる体質なのですか?
「体質(笑)。映画美学校は、シネフィルばかりいて、蓮實重彦の本を読んで、黒沢清監督とゴダールの話しかしないイメージだったんですけど。実際に入って、同期と飲んだら、下ネタでしか結局盛り上がらなかったんです(笑)。映画の話もするんですけど、気がついたら下ネタになっている。
定期的に同期に会って、くだらないやりとりをしていることで、下ネタの発想力が落ちないように、鍛えられている気がします」
――映画美学校はたしかに堅いイメージがあります。
『ライチ☆光クラブ』ではヤコブを演じられていた岡山天音さんのセリフも素晴らしかったですね。「女子部屋は空気が美味い!」など名セリフを連発されていました。
「岡山さんが“男子校っぽい”アドリブを出すのが上手で、彼からでてきたものはできるだけ採用していこうと思っていましたね。リハでやった女子部屋の空気の吸い方が面白かったので、吐き方も「もっとゆっくり味わって」と提案したんですけど、女性キャストが素で「キモイキモイ」って言っていました(笑)。
『ライチ☆光クラブ』の時は、あのシリアスな世界観で、彼が演じた“ヤコブ”というコミカルなキャラにフォーカスすると、悪目立ちしちゃったんです。なので全体のバランスを考えて、「ごめん、面白いけどちょっと抑えて」と指示することもあったんです。
でも彼の持っているキャラクター性を日常的な世界観で活かしたいという思いがあったので、『ドロメ』では自由にやってもらいました。みんなで簡易的な打ち上げ花火で遊ぶシーンも、『花火を精子に見立ててなんか言って』くらい振って、あとは任せるという」
――「月が妊娠しちゃう!」というシーンですね(笑)。
「岡山アドリブのフレーズです。いいセリフですよね。
他にもこっちがアイディアをだして、俳優が笑ってくれたら採用、ウケなかったら使わないというスタンスでした。
どこの場面かは忘れたんですけど、『このアソコイジリ虫が!と言って』と指示したらスベったんで、『ごめん、ウソウソ、やっぱ言わないで』って取り下げました(笑)」
――面白いのに……(笑)。 セリフだけではなく、おしりを撮ったシーンも、エロいんだけどエロすぎない、遠慮がちに谷間をのぞいていた高校生男子の目線を再現していて、素晴らしかったです。
「エッチなシーンはおっさんになってきたので撮れるようになりました。多分20代では遠慮しちゃって撮れなかったと思うんですよね。
現場でも何度も『ちょっとおしりの突き出し方違うね、もっとぎゅっと突き上げて! カメラはこう撮るからね』って言うわけじゃないですか。
そういうのは少し前なら恥ずかしかったと思うんですよ。今は遠慮せずに演出できますけど」
閉じこもっていた高校時代から、やりがいを感じた教員時代
――高校時代は友達がいなかったと仰っていましたが、部活にも入ってなかったんですか?
「部活は美術部に入っていましたが、ほぼ帰宅部の幽霊部員みたいな感じでしたね。授業中は寝ていて、休憩時間もマンソンかNINを聴きながら寝ていました。最近、Face bookに、高校とか中学の同級生らしき人が、友達申請してくるんですけど、誰かわからなくて(笑)。本当に記憶がないんですよね」
――周囲にはムカつくというよりは、関心がなかったのでしょうか?
「いや、ムカついていましたね。特に楽しそうにしている奴らとかは本当死ねばいいのにと思っていました(笑)。でも彼らが悪いというより、外部は全部敵と思いこんで、完全に自分の内にこもっていた僕が悪いんですけどね」
――『ライチ☆光クラブ』でインタビューさせていただいた際に、特別支援学校の教員をされていたお話を伺いました。
先生になる方は学校に良い思い出を持っている方が多いという勝手なイメージがあったので驚きです。
「そうですね、本当は先生になるつもりもなかったんです。漫画家になりたくて。でも親は当然、大学に行きなさい、就職しなさいって言う訳じゃないですか。で、親戚に先生が多かったので、教員免許を取れば文句言われないかなって思って、教育大へ進学しました。
院生の時にたまたま非常勤講師の募集があって、登録したら特別支援学校に勤めることになりました。そこで初めて仕事が楽しいと思ったんです」
――今までアルバイトなどのお仕事はあまり楽しさを見いだせなかったのですか?
「バイトは適当にやっていたんで、よく怒られていました。コンビニでバイトしていても『別に僕、将来レジ打ちになるつもりないんでー』って思ってるから、怒られても真面目に反省したりもしない、本当にダメな奴だったんです。
特別支援学校の仕事で初めてやりがいを感じて、そこから学校で働こうと思いました。だから僕の10代を知っている人からすると意外だと思います」
――初めて教壇に立った時はどういうお気持ちでしたか?
「教育実習は中学校だったんですけど、教壇から生徒たちを見ると、怖かったですね。みんなが何を考えているか、分からない。生徒たちは精神的に幼いわけじゃないですか。もちろんかつての僕みたく、みんな死ねばいいって思っている奴も当然いる。
大人って立場からどう接していいのか最初は本当に分からなかったです」
――かつての内藤少年と全く逆の立場になったのですね……。特別支援学校での生活は具体的にどんなところが楽しかったのですか?
「障害のある子どもたちがこちらの予想を超えたことを色々するんですけど、子ども本人にも教師にも保護者にも『笑い』があったことに驚きつつ、温かい気持ちになりました。障害児っていうと、メディアでは聖人だったり、悲劇的な存在だったり、極端に描かれるじゃないですか。でも障害と共に生きている人たちはそれが日常だから、障害による問題もフラットに受け止めて、笑いながら生きているんですよね。だから障害児と一緒に笑うってことが、何より楽しかったです。
障害特性による不便さは教師が支援していくんですけど、そこは大変でしたね。どういった支援方法がいいのかって、障害特性によってひとりひとり異なるんで。教科書もない。マニュアルもない。彼らが社会で生きていくためにどうすべきか、考えて、トライして、改善して、難しいことでしたがやりがいはありました。
やっぱ10代の頃ってなんで自分は理解されないんだろうって悩みを抱くんですけど、大人になると他人が理解できないことに悩むんですね。
特別支援学校での仕事を経験して、ダメダメなバイト時代に比べて、いくらかマシな大人になったんじゃないかと思います。他人のために悩めるようになったんで」
――社会人になると、今まで見えなかったことが見え始めますよね。
障害を持った子たちの理解が難しい行動とは具体的にどのような行動ですか?
「授業中にいつも寝ている生徒がいました。「起きて」と声をかけても全然起きない。その子は友だちに対して突如、暴力的な振る舞いをすることがあって、最初は理由が分からなかったんです。
実はその子には、“ポケットに手を突っ込む”という行為が許せない真面目な一面もあったんです。暴力を振るっていた相手すべては、ポケットに手を突っ込んでいた子だったんです。
ある時授業中に寝ていたその生徒が、先生に起こされた時、たまたま隣の同級生がポケットに手を突っ込んでいたので、それを目にした直後バーンって叩いて、頭を掴んでぐわんぐわん振り回したんですね。
教員が4人がかりで教室の外へ連れ出すと、必死に抵抗して、『ポケットに手を突っ込んだアイツ、引っ叩かなきゃしょうがない!』みたいな感じで、全然おさまらなくて。
自分は授業中に寝ているくせにって思うんですけど。その子からしたら、全部素直な気持ちなんですよね。『ポケットに手を入れている奴が許せない』でも『俺は眠いから寝る』」
――たしかに(笑)、素直ですね。
「他にも、夏に体育祭のために外で練習していたら、自閉症の子が『暑いの嫌だ!学校辞めたい! もう寝ていたい!』と言いながら床に転がり出しちゃったんです。
床で寝転がるのはおかしいので、立たせようとすると、その子から『近づくな化物! 化物の国へ帰れ』と言われたんです。
その子からしたら、“暑い中に外に出て、体育祭の練習をしろ”と言ってくる僕は理解できない化物に見えていることに気がついたんですよね。
自分の所属する国とは違う場所に連れて来られて、そのルールを押し付けられているので、その子にしたらかなりつらいし、十分頑張っているんですよね。『体育祭だから、外で練習しろ』って頭ごなしに言うだけじゃダメで、生徒が抱える苦しみや努力は理解しつつ、学校や社会のルールを本人が受け入れられるように伝えていく。時間はかかると思うんですけど。その自閉症の子に対しては、体育祭どうこうより、僕は化物じゃなくて、同じ世界の住人だって理解してもらうことからはじめなきゃな、と」
――健常者も含めて、特に10代の子たちは“自分が化物の国に連れてこられたような”感覚を強く持っている気がします。
「そうですね……今って結構自分の意にそぐわないものを排除しやすい世の中だと思うんです。自分の世界に収まっても、生きていけちゃいますし。ネットが発達しても、自分の好きな情報だけ結局入れちゃうじゃないですか。そうすると自分の凝り固まった考えだけが強くなってしまう。
特別支援学校で働くことになって、何を考えているか分からない相手でも理解しようとする、受け入れていくことで、認識が豊かになりましたね。もしかしたら自分は、相手から理解できない化物に見えているかもしれないって配慮したら、自分の中の世界が広がるし、人に優しくなれるんです」
――閉じていた高校時代の内藤監督とは逆の価値観ですね。
「ある程度過去の自分を客観的に見られるようになりました。今はかつての自分のように閉じている人に対して、その内面を理解したいって思いと、“そのまんまじゃダメだよ”って思いがありますね」
商業映画の制約も楽しむ
――内藤監督の映画美学校での卒業制作『牛乳王子』を拝見して、ひたすら女性に牛乳をかけながら殴っている描写のエゲツなさに感動しました。
やはりインディーズ時代の方が、“衝動”を活かして撮影はされていたのでしょうか。
「衝動の強さという意味では、あの頃がいちばん強かったと思いますね。やっぱり作品を世の中で発表もできず、誰かに受け入れられた体験をしていない状態なので。
今ももちろん衝動もあるんですけど、いかにそれをコントロールしたらお客さんに受け入れてもらえるのか、表現として一番面白いのはどんな形なのかを客観視できるようになったと思います」
――年齢を重ねたことや、ご結婚されたことで衝動が収まってきているという感覚はありますか?
「いや、収まっては無いんですけど……初期衝動で作品を撮っていた映画監督が、キャリアを重ねていくにつれて、しぼんでいくパターンってあるので、それは怖いですね。衝動でやっていた人がしぼむと、技術でやってきてないので、観客としては物足りない作品になってしまう印象があって。大畑創監督ら、親しい人には『衝動じゃない部分をむしろ観たい』『衝動以外で勝負してほしい』と言われて、悩んでいることが当てられているなーという意識はあります」
――ただ、内藤監督は衝動を残しつつも、商業映画の規制と上手く折り合いをつけながら表現されている第一人者なんじゃないかなと思っています。
「そこに関しては毎回様々な戦いがあります(笑)。
例えば韓国映画は俳優事務所の要望が強くないんですけど、日本映画の場合、俳優事務所の要望が強いんです。『監督の要望を事務所に通しておきました』って言ってもらえたら嬉しいですけど、『事務所的にNGなので直してください』って言われることばかりですね。
俳優自身はどんなものでも挑戦したいって思いがあるので、やる気があるのですけどね。
映倫とのせめぎ合いや、出資サイド・制作サイドの要望もあったり。
予算的に『コレ、NG。アレ、NG。脚本、削って』ってことは山のように。
NGが出た時に『なんでダメなんだ!!』ってキレるのではなくて『こういうやり方なんかどうですか?』『こういう見せ方はどうですか?』とあくまで提案していきます。撮る作品は暴力的な映画かもしれないですけど、あくまで一人の大人として交渉しつつ、抜け道を探ってくって感じですかね。
でも“抜け道を探りながら、やりたいことを如何に通すか”という交渉にも楽しさはあります。やりたいようにできれば楽なんでしょうけど、制約を踏み越える度になんか、逆に出てくるアイディアとかもあって、それを僕自身が楽しんでいますね」
自主映画の規模感で少年犯罪を撮る
――今回『ドロメ』で新境地を開いた内藤監督ですが、『先生を流産させる会』のような罪を犯した少年の実話をモチーフにした話を撮りたいなと考えることはありますか?
「むしろそれがずっと考えていた企画ですね。『パズル』も『流産』も『ライチ』も罪を犯す少年少女の内面に寄り沿って入っていく話だったので、子どもの視点もしっかり書く一方で、受け入れなきゃいけない大人や社会側の視点も書きたいと思っています。いま準備中です」
――被害者だったりとか、罪を犯して少年院からでてきた少年にヒアリングをされたりはするんですか?
「加害者は居場所が分からないようにするし、外部と関わりたくない人が多いので、少年たちへのヒアリングは難しいですね。被害者家族や加害者家族の著作はよく読んでいます。
人々が関心を持つのは事件が発覚したときに、わーって盛り上がる瞬間だけです。一過性のネタとして消費されてしまいます。でも、加害者の家族も被害者の家族もずっと背負っていかなければならないので、実際に彼らがどう生きているのかをフィクションでちゃんと描きたいです」
――“加害者少年の心情”を描いてきた内藤監督にしか撮れない実録映画になりそうですね……! やはりそういった企画を通すのは難しいですか?
「難しいですね。プロデューサーから『企画、提案してよ』と言われて、プロットや脚本を送ったけど、何のリアクションもねぇーなってことは多いですね。ようやく進んだと思ったら、急に頓挫しちゃったこともありました。
オリジナルなのでなかなか出資してもらえないんです。題材や脚本の良し悪しより、『有名な原作じゃないならNG』『有名な俳優が出演しないならNG』って判断されることが多いですね。
『先生を流産させる会』の公開前から企画はあって、もう4年近く経つんで、商業ベースでやるのは無理かなって。依頼された仕事をやっていったら、やりたい企画がいつか実現するんじゃないかって希望を抱いていたんですが、そうでもないなって感じて。自主映画ベースで今年やろうかなって思っています」
――監督のポケットマネーで撮影されるおつもりなのですか?
「少額ですが出資してもらいつつ、少しポケットマネーを足して……基本、自主映画のような体制でやろう、と。
制約がある商業映画から少し離れて、自主制作でまたやってみるのもいいかなって思いが昨年芽生えて。
濱口竜介監督の『ハッピーアワー』、塚本晋也監督の『野火』、夕張で観た小林勇貴監督の『孤高の遠吠』とか、インディペンデントで制作された素晴らしい作品にたくさん出会ったんですよね。昨年の日本映画で良かったのって、商業映画よりインディペンデントばかりで。無名俳優が主演している橋口亮輔監督『恋人たち』も最高でしたし。
監督が本当に語りたい話を語る切実さや覚悟が作品の強度に繋がるんだなって。
インディペンデントでやる理由には表現を守りたいって面もあります。少年犯罪を題材にするので、道徳や倫理に反した行為を描写する必要があります。規模が大きくなると、制約が増えるんですよ。『ライチ』のときは義務教育の中学生が人殺しをするのはよくないから、高校生に設定を変更したら出資するってとこがあって、高校生になっても人殺しはダメに決まってるじゃないですか。そもそも発想が倫理的におかしいし。それはなんとかクリアできましたけど、今考えていることを商業ベースでやったら、やりたいことができなくなるのはある程度分かっていて。でも子どもが子どもを殺すことのむごたらしさをまざまざと見せて、考えさせたいんです。そのためにはくだらない制約に縛られず、きっちりと描写しなければいけません。だとしたら、インディペンデントしかないのかな、と」
後半は【ホラー篇】と称して、ネタバレ連発で『ドロメ』のホラー描写に迫る!
(取材:霜田明寛 小峰克彦 文:小峰克彦)
『ドロメ【男子篇】』、『ドロメ【女子篇】』
監督:内藤瑛亮『先生を流産させる会』『パズル』
脚本:内藤瑛亮、松久育紀『先生を流産させる会』
主演:小関裕太、森川葵|出演:中山龍也、三浦透子、大和田健介、遊馬萌弥、岡山天音、比嘉梨乃、菊池明明、長宗我部陽子、木下美咲、東根作寿英 他
製作:「ドロメ」製作委員会(日本出版販売、TCエンタテインメント、TBSサービス、是空、レスパスビジョン)|2016年|カラー|5.1ch|ビスタ|【男子篇】92分|【女子篇】98分|配給:日本出版販売|宣伝:太秦|©2016「ドロメ」製作委員会|3月26日よりシネマート新宿ほか全国順次”2作品同時”上映中!
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【STORY】
海が見渡せる山の上にある男子校・泥打高校と山の麓にある女子校・紫蘭高校は来年から共学になることが決定している。来年の統合を見据えて両校の演劇部は合同合宿を男子校で行う事となった。颯汰(小関裕太)たち男子校部員は女子との出会いに胸を膨らませ、女子部員たちの到着を待ち、小春(森川葵)たち女子校部員は男子との出会いに期待と不安を抱きながら男子校へと続く山道を向かう。その道中、女子たちは崖の下で泥まみれになった観音像を見つける。男子校に辿りつき、いよいよ男女合同合宿が始まったのだが、恐ろしく、そして奇妙な出来事が次々と部員たちに襲いかかる。そして、次第にそれは昔から村に言い伝えられている“ドロメ”の仕業であるという事が明らかになって行く…。果たして“ドロメ”の正体とは!?高校演劇部の合宿を舞台に同じ時間軸で進行する男子、女子の物語を2つの視点、2本の作品として描く新感覚の“シンクロ・ムービー”!【男子篇】で観るか?【女子篇】で観るか?甘酸っぱい恋愛あり、友情あり、どこか憎めない新種のクリーチャー“ドロメ”が巻き起こす、恐怖と笑いが入り混じる青春ダブルアングル・ホラーがこの春誕生!
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