同じ沖縄を映しながら、なぜ印象に差が生まれるのか?
ドキュメンタリー映画『標的の島 風かたか』が3月25日(土)より東京でも公開される。琉球朝日放送時代から、『標的の村』、その後フリーとなり『戦場(いくさば)ぬ止(とぅどぅ)み』といった沖縄を舞台にしたドキュメンタリーを作ってきた三上智恵監督の劇場公開映画第3作目となる。
沖縄本島での辺野古の新基地建設や、高江という小さな集落でのオスプレイのヘリパッド建設、宮古島や石垣島へのミサイル基地建設など……。基地建設の現場では、住民や機動隊・警察との衝突がおきている。
そして、その沖縄への報道を巡っても、様々な問題が。1月にMXテレビで放送された『ニュース女子』では、基地建設に反対運動をする住民は市民団体によって雇われている、といった報道がなされ、大きな物議を醸した。
『ニュース女子』で流れる映像も、東京のキー局が流すニュース番組の映像も、そしてこのドキュメンタリー映画『標的の島 風かたか』に映っている映像も、全て沖縄を映したものでありながら、受け取る印象は大きく異なるものとなっている。
そこで、劇場公開されたドキュメンタリーの作り手である、東海テレビ所属の監督たちや、森達也監督などにインタビューをおこなってきたチェリーでは、三上智恵監督にもインタビュー。作品の話はもちろん、沖縄の話、なぜ『ニュース女子』のような報道が生まれてしまうのか、といった話から、最初は“女子アナ”としてキャリアをスタートさせた三上監督にここに至るまでの道のりを聞いた。
沖縄の衝撃映像がキー局で流れない理由
――若い女性や老人も含めた沖縄の人たちが、警察によって文字通り排除されていく映像は衝撃的でした。東京で流れるニュースでも、沖縄の基地問題は取り上げられることはありますが、なかなか見たことのない映像でした。まずは、なぜああいった映像をキー局のニュースで目にすることがないのか、ということからお伺いできればと思います。
「もちろん、理由は一つではないですし、色々な理由が絡み合って、積み重なって今のような状況になっています。ただ、まず大きくは、警察が悪いことをしているように見える映像を、どう扱っていいかわからない、というのがあると思います。扱いのわからないものが、沖縄から送られてきても、それはニュース映像として避けたいんです」
――なぜ、扱いのわからないものは避けたいのでしょうか?
「放送局のニュースというのは、基本的に二項対立にしたがるものなんです。公平に描こうとするんですね。『この問題には、AとBの意見があります』と提示して、自分たちは偏っていなくて、無色透明、というスタンスです。でも、そもそも二つに割れるよう簡単な問題でもないですし、それを50秒とかのニュースで見せられたら苦労しないですよね」
――では、もう少し長めの時間を使って報じる、というケースはないのでしょうか?
「確かに、ニュースの中では厚みのある、2~3分の特集にして作る、といった形が健全ですよね。ただ、なかなか本質的に沖縄の基地問題を理解しているニュースデスクがいない、ということがあると思います。基地を作りたいと思っている人と、基地を作って欲しくない人を並べたときに、初めてバランスの取れたニュースになりますよね。『本当に基地を作りたいと思っている人が誰なのか』がわからないから、描けない。反対している住民は沖縄にいけばたくさんいますけど、その人たちだけを映してしまっても、『反対側だけ出すな』と言われてしまう。そういったことの積み重ねで、なかなか報道されづらくなり、おっしゃっていただいたような映像は、もう一種、異様な映像にしか見えなくなってしまうんですよね」
ゲリラにされる沖縄の人々
――もちろん、今回、約2時間の映画というかたちでじっくり見ると、異様ではなく彼らがあそこで座り込みをする理由、しなければならない理由が見えてきました。
「座り込みっていうのは、もう何もない人の最後の手段なんですよね」
――特に印象的だったのが、映画の終盤、若い沖縄の女の子が、警察の若い男の子と対峙するシーンです。眼差しの強い女の子が、じっと男の子を見つめると、居心地悪そうに男の子は目を伏せます。
「警察の人は、あの場所に、ゲリラ対策やテロ対策の修練を積んで、あの座り込みの場所にやってきます。彼らの車には『ゲリラ対策車』と書いてあるくらいです。ただ、いざやってくると、どこにもゲリラはいないばかりか、ああいった普通の若い女の子までいる。それは動揺しますよね」
現代の警察は戦前の軍隊と一緒
――警察の側はああやって、ゲリラ用に習った手法で普通の人を排除していくことに、心は痛まないんですかね?
「自分の感性や正義感に照らし合わせて仕事をすることを、彼らは期待されていない。この仕事は嫌だと言えないなら、疑問を持つだけ心が傷んでしまうから無感覚になる。でも、それって戦前の日本の軍隊と一緒ですよね。天皇の命令は絶対という中で、逡巡する気持ちや、思考能力をなくされていく。逆に言えば、あの警察の男の子が、女の子の視線に耐えられなくて目を伏せるのは、何かを感じているということなので、希望でもあると思うんですよね」
――確かに、そうかもしれませんね。そして、あの女の子の目にはやはり信念の強さを感じました。
「反対運動に集まってくる人には『自分にとって大事なものは何か』を見定めている人が多いように感じます。もちろん、彼らだって仲間割れもしますよ。でも、大事なことをちゃんと求めて行動する人が多い。一方で『基地を引き受けたらいいことがある』という政府の手法の方に確かな未来を感じる人も当然います。そうやって折り合いをつけて基地と共存してきた歴史があるわけですから。かといって、海を埋めてしまうことを歓迎しているわけではない。反対していない人たちを単純にお金が欲しい賛成派、と乱暴な位置付けをしないで欲しいと思います」
『ニュース女子』問題
――さて、そんな反対派の人たちは、MXテレビで放送された『ニュース女子』(※)では、『雇われた人たちである』という報道がなされ、BPO(放送倫理・番組向上機構)から検証番組の放送を求めるような意見が出るなど、物議をかもしています。なぜ、あのような真逆の視点が生まれるのでしょうか?
(※『ニュース女子』: DHCシアターの制作により、東京メトロポリタンテレビジョン(MXテレビ)で放送されている番組。2017年1月2日・9日の放送分で「沖縄の基地問題の反対派は市民団体が日当を支払って送り込んでいる」「トンネルの先にいる反対派が過激すぎて取材を断念」といった報道をしたことで、問題に。放送倫理・番組向上機構(BPO)での審議入りが決定、MXテレビの番組審議会も検証番組の放送を求める意見を出すなど異例の事態に。3月上旬現在、MXテレビは、検証番組を数ヶ月後に放送すると発表している)
「あれに関しては、逆の視点ですらなく、ただの下衆な視点ですよね。ネット上に溢れるデマをもとに台本を書き、取材とも言えない、撮影をしにいく。あの番組では二見トンネルというところでトンネルを撮影して『このトンネルの向こうでは過激派が……』なんて言ってるんですが、あのトンネルから高江って車で1時間かかるんですよ。新宿のトンネルで『このトンネルの先の横浜では暴動が起きています』って言うようなもんですよね。それでも視聴者にはわからないだろう、と視聴者はなめられてしまっているんです」
フェイクニュースの生まれる構造
――ただ、そういった嘘のニュース、最近では『フェイクニュース』なんて言われたりしますが、それを信じてしまう人が存在するのも事実です。なぜ、そういったニュースは作られ、そして信じてしまう人がいるのでしょうか?
「まず放送する側の話ですが、前提として、放送局は視聴率を求めますよね。その行き着く先は『ウケればなんでもいい』という考えだと思うんですが、そこに至ってしまったらオシマイですよね。そうならないように、局の内部で自浄作用が働くべきなんです。あれを作ったのはDHCシアターというDHCの小会社の制作会社ですが、持ち込まれた番組があまりにもひどかったら、放送しないという判断も、MXテレビはすべきだったと思います。
そして、受け取る視聴者の側。日本の多くの人には、基地という自分たちが背負わなければいけないものを、沖縄に押し付けてきたという罪悪感がありますよね。その罪悪感をラクにしてくれるのは今回のような『沖縄の基地問題に反対しているのはプロ市民でお金をもらっている』というような言説だったりするわけです。そういう嘘に自然とすがりたくなってしまう人も多い。情報を出す側が、『真実かどうか』よりも『ウケるかどうか』を重要視する。受け取る側は、真実ではなくでも、自分の気持ちをラクにしてくれる情報にすがってしまうし、結果、信じてしまう」
――その情報が真実かどうか、というよりも、その情報を信じたいかどうか、で情報に触れてしまうということですね。
「ええ、行動している沖縄の人々を見て、どこかに罪悪感を感じている人たちの心に“デマがフィットする” ということだと思います」
沖縄の人が「非国民」と言われた瞬間
――三上監督は、長い間沖縄の取材を続けられているわけですが、風当たりというか、沖縄に対する日本人の気持ちの変化を感じられたポイントはありましたか?
「2013年の1月に翁長雄志さん(※沖縄県知事。当時は那覇市長)を筆頭に、沖縄の各市町村が、自民党も民主党も関係なく、銀座でオスプレイ配備反対を訴えるデモをしました。そのときに彼らに『非国民!出て行け!』という声がとんだんですね。そのときですかね。もちろん、野次を飛ばすような人というのは、昔からいて、例えば靖国裁判に関するパレードのときなんかは、韓国や台湾の方がマイクを持つと、『朝鮮人出て行け!』『三国人!』なんて言ったりしてバッシングする人はいました。でも、沖縄のときは、声が止んでいたんですよね。そこの垣根がなくなったのを感じました」
“女子アナ”の求められる役割
――沖縄の人が「非国民」と言われるようになってしまったんですね……。ちなみに、三上さん自身は、現在、沖縄に住まれていますが。沖縄の出身ではありませんよね。どういった経緯で、沖縄の放送局で番組を作り、そして今のように独立されて、映画を作るまでに至ったのかをお伺いできればと思います。
「私は、毎日放送で18年ぶりくらいに採られた女性の正社員のアナウンサーだったんです。ちょうど、男女雇用機会均等法の1期生なんですよ。キャピキャピした女子アナも必要だけど、報道できそうなタイプも採ろうと思ってくれたのか、二千人以上受けて、ひとりだけ採用されました。でも、報道番組につけられても、バラエティ番組につけられてもなかなか期待に沿うことができなくて。ピーターパンの格好して御堂筋パレードを歩くとか、アイドルっぽい役割もハマらないですし、暗い20代を過ごしてきました」
――失礼な言い方かもしれませんが、アナウンサーはあまり自分の主張をしないもの、というイメージがあったので、三上さんのような、ちゃんと主張をされる立ち位置にまでにたどり着くまでも気になります。
「そりゃあ、私がカトパンだったら、ここにはいないですよ(笑)。目指してきたというより、結果的に、この孤独な道のりを歩んできた、という感じです。でも昔から『一言多い』って言われるタイプだったので、苦労はしました。
毎日放送時代、大阪市長にもなられた、平松邦夫さんの横でニュースを読んでいた時期があったんです。そこで私に求められているのは、メインである平松さんが「A」って言ったら「A’」、「B」って言ったら「B’」ぐらいのコメントなんです。
そこで私が仮にCと思っても「いや、Cじゃないですかね?」っていうコメントはいらないんですよ。それを何回かやってしまって、『お前の意見はいらないわ!』みたいなことをたくさん言われて、私の人格はどうなるんだろう……と悩んだ時期もありました」
35歳までは調整期間
――その後30代で琉球朝日放送に移籍されます。地方局では自ら取材したりといったことが多くなると思うのですが、そのアナウンサーとして求められる役割に苦悩する時期は脱したのでしょうか?
「そうですね、30代になると、かわいさを期待されるようなことも少なくなりますし、自分のしたいことと、周りの評価が一番ズレていたのが20代でした。悩んでいた頃、ある放送作家さんに『35歳から45歳までの間に最高の仕事ができるように、それまでは調整期間って思ったほうがいいわよ』って言われたんです。通り過ぎてみたら、本当にそうでした。だから、女性にはそこまでに子育てとか色々終わらせたほうがいいですよ、って言いたいですけど、なかなかそうもいかないから大変ですよね……」
必要なのは3つの視点
――そうして、大阪から沖縄に移り住み、子どもも沖縄で育てられて今に至ります。沖縄を伝える上で、沖縄出身じゃないからこそ見えてくる視点もあるのでしょうか?
「私は死ぬまで沖縄に住み続けようと決めていますから、内地から沖縄に来て、取材して帰っていく人ともスタンスが違います。もちろん、それが悪いということではありません」
――様々な視点があっていい、と。
「むしろ、色々な視点があるべきなんですよね。まずは、地元の人の視点。そこで生まれ育った人じゃないとわからないもの、というのは必ずあります。次に、寄留民の視点。生まれはその場所ではなくても、長いことそこに住んで留まった人だからこそ、外のことも中のこともわかる。私はこれにあたります。最後に、旅人の視点。柳田國男さんみたいに色々なものを見て、旅をする。そうして色々なものを比較して、研究してきたからこそ、沖縄に1週間だけいて、『海上の道』のような作品ができてしまう。どの視点が優れている、ということではなくて、どれも大事なんです」
高江だけの問題ではない
――その3つの分類でいくと、映画の終盤に出てくる歌手の七尾旅人(ななおたびと)さんはまさに……。
「旅人の視点です(笑)。彼はその視点で、問題の本質を鋭く射抜くんです。悩んだ末に本編からはカットしたのですが、彼はインタビューでこんなことを言っていました。『たった150人しか住んでいない高江という小さな集落で起こっていること。これが沖縄の南の島の、1つの集落で起こっていることだと思ったら大間違いです。僕らが、一番大事なものを失うか失わないか、その最後の砦が高江だったんだ、とあとから気づく日が来るでしょう』と。戦後民主主義にとって、高江が大事な砦なんだということを、どうしてわかってもらえないんだろう、と思って、私も毎日戦ってきましたし、今の自分の中にももちろんあります。この砦が崩れたら、1940年代のようになってしまうことだってありえます。この作品を見て、少しでもその感覚をもってもらえたら幸いです」
(取材・文:霜田明寛 写真:浅野まき)
映画『標的の島 風かたか』
3月11日(土)より那覇・桜坂劇場、3月25日(土)より東京・ポレポレ東中野にて公開 ほか、全国順次公開
(C)『標的の島 風かたか』製作委員会