劇団「ゴジゲン」所属の俳優であり、自身でも劇団「ザ・プレイボーイズ」を主催し脚本・演出を手掛ける善雄善雄さんが、ごく個人的で、でも普遍的な“あの頃”を綴る連載11回目。今回は現在にも接続する善雄さんとパンクロックのお話です。
高校以降の思い出は、いつもパンクロックとともにあります。
ゆずやSomething ELseばかり聴いていた中学生だった僕は、中3のある日、誰かが校内放送で流したTHE BLUE HEARTSの「TRAIN-TRAIN」に興奮し、徐々にのめり込んでいきました。
浦沢直樹さんの漫画「20世紀少年」の冒頭、「何かが変わる」と思って昼休みに放送室をジャックし、T-REXの「20th Century Boy」を流した主人公のケンヂは、結局なにも変わらなかったと言っていましたが、知らないところで僕のような人間もきっといたんじゃないかと思います。
そんなわけで、先日再放送された、性春パンクロックバンド、オナニーマシーンのイノマ―さんに密着したドキュメンタリーを含む「家、ついて行ってイイですか?」を拝見し、僕はずっと泣いていました。
正直、オナニーマシーンのことをずっと好きだったとはとても言えない程度のファンなのですが、
それでも彼らは、確実に僕を構成している一部分だと思っています。
2005年11月26日のライブ音源が収録された、オナニーマシーンのライブアルバム「ティッシュタイム」のMCに、こんなやり取りがあります。
オノチン「(近年体の衰えなどがひどいみたいな話をしたのち)1回倒れてるしね、風呂場で」
イノマ―「あ、そうだよね」
オノチン「本当にたぶんこのまま、部屋で死んで腐乱死体で発見とか、なるかもしんないんだよね」
イノマ―「いやー怖いね」
オノチン「そんときは、ここで追悼ライブ 」
客「パンクだパンク!!」
イノマ―「パンクったってねぇ…」
客「(爆笑)」
オノチン「俺の死体で遊んでいいから」
イノマ―「マジで?いい?やった!」
オノチン「みんなで、わっしょいわっしょい、遊んでいいから」
イノマ―「じゃあ俺が死んでもそれやって!」
オノチン「おっけおっけ。わかった」
客「やるぞー!!」
イノマ―「うん。それがいいな、ね」
僕はこの会話がすごく好きで、ドキュメンタリーを見たあとにも自然と思い出していました。
「パンクったって、なんでも許されるわけじゃないと思うよ…?」みたいな常識的なつっこみもしっかり交えながら、
それでも、死んだことも、死体すらも、ライブの一環として使っていいよ!とさらりと言うお二人を、めちゃくちゃかっこいいなぁと当時から思い、
そして実際に、自分の死に様を見せつけるかのように逝った彼に、尊敬の念を禁じ得ません。
僕がこのライブアルバムを聴き倒していたのは、10年ほど前。
25歳ぐらいのとき、少し大きな舞台に立つことになり、
まぁほとんどがエキストラみたいな役割だったのですが、
ワンシーンのみ、セリフつきの役もいただけて、
それが「童貞」の役だったため、なにかちょっとでもできることはないか、そうだオナマシを聞いて童貞の気持ちになろうと、家から電車で約1時間かかる稽古場まで、毎日このアルバムをBGMに通っていました。
うまくできないことばっかりだったけど、ちょうどCD1枚聞き終わるころに稽古場に着くと、
自然と「今日も頑張ろう」という気持ちで稽古場のドアを開けたことを思い出します。
思い返せば、どれだけパンクロックに救われてきたかわかりません。
自転車で30分の、行きたくもない高校への道のりは、いつもMDに入れた大量のパンクを聴いて背中を押してもらい、
落ち込んで帰る帰り道も、同じMDに慰めてもらっていました。
大学時代、はじめての大失恋に一晩中泣き明かした日の朝も、ステレオから流れるパンクを浴びて授業に向かい、
高校のクラスメイト(野球部)に、
「お前は中途半端だ」
となぜか突然言われ、
「まず、顔が中途半端だ」
と追い打ちをかけられた日も、歌詞で中途半端を肯定してくれるガガガSPを聞いて耐えていました。
あのころ聞きまくっていたGOING STEADY、ガガガSP、サンボマスター。
この方々を世に広めてくれたのが、イノマーさん、あなただったそうですね。「ごん、お前だったのか。いつもくりをくれたのは」みたいな気分です。本当に、ありがとうございます。
おかげで、消えてしまいたかったあのころを、生き抜いてこれたのだと思います。
せっかくなので、ほかのロックとの思い出も。
あれは高3の卒業間際、たまたま中学時代の友達に呼ばれて行ったカラオケで、僕と同じ高校に通う、まったく仲の良くない男と偶然会いました。
しかしまぁお互い気には留めず、ただカラオケに集中しようと、大好きなTHE BLUE HEARTSの「リンダリンダ」を僕が入れたところ、「はぁ!?なんでこいつごときがこれ歌ってんだよ。すげぇ不満なんだけど」とぼやく声が聞こえました。
そしてその直後、そいつはわざわざ、もう一度「リンダリンダ」を入れて歌い始めました。
どうやら彼もTHE BLUE HEARTSが大好きで、そののち音楽をやるために上京するほどロックに対して熱い想いを持っていたのがその行動の理由のようでしたが、
たしかに僕よりは歌は上手いものの、純粋に「なんて嫌な野郎だ」と思ったせいか、大好きな曲なのに全然良いとは思えませんでした。
その後、彼は上京し、数年のちに音楽を辞めて地元に戻ったと、風の噂で聞きました。
嫌なやつだったけど、それはそれで寂しいなぁと思いました。
それから、30歳を過ぎたころ。
祖父の米寿だかのお祝いで、地元の旅館のような場所に行きました。
そこの貸し切られた座敷で、親戚一同で食事をし、酔いも進んだころ、
親戚の一人がそこにあったカラオケの機械を動かし始め、「誰か歌え」と囃し立てました。
普段なら受け流すところでしたが、その時間に至るまで、僕を心配した祖母から散々、いつまで演劇なんか続けるつもりだ、30越えたら仕事なんてなくなるぞ、今すぐ地元に戻って郵便局員になれとしつこくお説教をされ、
そのイラ立ちと酒の勢いもあり、
もうどうにでもなれという気持ちで、岡村孝子さんの「夢をあきらめないで」を、映画「ボーイズ・オン・ザ・ラン」で銀杏BOYSの峯田さんが歌ったみたいに、めちゃくちゃに叫び散らしながら歌いました。親戚一同の前で。魂の限りに、全力で響かせました。
そんな僕を、祖母は眉間にしわを寄せながら、睨んでいました。
次の日、祖母は僕を呼び出し、前述のお説教をもう一度一通り繰り返したあと、
「あんな風に、がなり立てて歌うような人に、誰かを笑顔にすることなんてできないと思う」と、言い放ちました。
そうですか、僕はあんな風な歌い方に救われてきたのですが。僕が下手くそなせいですかね。本当に、家族だからってなんにも分かり合えないものですね。
まぁ、もちろんそんなことは一言も言えず、わかりました郵便局員になります、なんてこともどうしても言えず、ずっとへらへらと受け流しながら、その時間を耐えていました。
その帰り道、父に借りた車を一人運転しながら、近くに田んぼしかない場所まで行くと、車内で思い切り叫びました。誰にも迷惑がかからないところで、一人で叫ぶことしかできませんでした。
そんな祖母も昨年、亡くなりました。
最後は認知症も進み、僕が会いに行っても誰だかわかってもらえず、
母が「東京から来てくれたよ」と伝えると、「それは遠いところをわざわざ…」と、申し訳なさそうな顔を浮かべるのみでした。
僕は35歳になってしまい、いまだ東京にしがみつきながら、演劇なんかと言われたものを続けています。
金もなければ売れてもない、中途半端なまま、祖母に怒られた生き方を続けています。
それは恥ずかしいことかもしれないけれど、僕がイノマーさんを特にかっこいいと感じたのは、続けられたこと、やり抜かれたことだったので、
もう少し、このままでいようと思います。
生き様こそがロックだと、あなたが痛いほど見せてくれたから。
年齢とともに、いつの間にかパンクロックを聞く頻度も減ってしまったけれど、
僕はあなたも、あなたの作品も、この先ずっと好きでいると思うし、
あなたみたいに生きたいと、願い続けることでしょう。
たとえそれが難しくとも、
自分なりの、誰に何と言われようと自分なりの人生を、
中途半端でダメな自分に寄り添ってくれた優しいパンクロックとともに、送れたらと思います。
イノマーさん、本当にありがとう。
あなたはずっと、僕の憧れです。
<善雄善雄出演情報>
ゴジゲン第17回公演 「朱春」
作・演出:松居大悟
出演:奥村徹也 東迎昂史郎 松居大悟 目次立樹 本折最強さとし 善雄善雄
日程:2021年4月1日(木)~4月11日(日)
会場:ザ・スズナリ
チケット料金:前売 3,800円 当日4,200円 U-22 2,200円※要年齢確認証提示 配信 2,500円
ゴジゲン 公式YouTubeチャンネル 「ゴジゲンのゴジtube」も配信中★