恋愛映画の名手・今泉力哉監督が12人の女性との告白の記録を綴る連載『赤い実、告白、桃の花。』。名古屋の大学を卒業後、映画監督を目指して上京。東京篇では、ついにvol.8での初体験を終えた今泉さんの“最後の彼女”のお話です。
映画学校を卒業して少し経った頃、私は「す」さんと出会った。「す」さんとの出会いはvol.6「こ」さんとの出会いに似ている。私の映画学校の同級生の男と「す」さんの友達が先につきあっていて(その後、ふたりは本当に色々あったのだがここでは割愛)、私はその後に「す」さんと出会った。出会いは確か渋谷で、合コンのような、意見交換会のような、そんな場だったと思う。
私は合コンにいい思い出が一切ない。数自体もまあ10回もしていないくらいしかしたことがないのだが、大抵は人数合わせなので、隅っこでご飯を食べて、向こうの人数合わせであろう女性とああだこうだ話すのがお決まりのパターンであるのだが、まあ意外とそういう位置の女性に可愛らしい人がいたり、タイプの人がいたりするので、別にいいのだけど、まあいい思い出というのは本当に少ない。ある時は全くやる気のない女性ひとりにとんでもない空気にされたり(通称、小風事件)、またある時は円形のテーブルの真ん中に柱が立っていて正面の人の顔が見えなかったり(まあこれは合コンどうこう以前の問題だが。ちなみにこの合コンは20時30分には終了した。早い。)といった具合で、まあ苦手だった。
「す」さんと出会った飲み会を合コンと呼ぶのは少し違う気もする。やはり意見交換会の方がしっくりいく。その数日前、私はある女優さんと終電を逃すくらいの時間まで渋谷で飲んでいて、3時くらいから明け方まで渋谷センター街のTSUTAYAあたりの路上で何時間も話し込んでいた。何をそんなに話すことがあったのか今では憶えていないのだが、とにかく話した。ああいった実は交通量もあり、空気の悪い場所で何時間も話すとどうなるか。経験しないとわからないと思うのだが、私は完全に喉がやられて、一切、声が出なくなった。1週間くらい声を失い、その後の1週間くらい、カッスカスの声で過ごした。痛みはないのだが、息の漏れる音しか出ない。そんな状況で、私は「す」さんと出会った。私は声にコンプレックスがある。自分が彼女に出会った時に声を失っていたことはとてもよかったことだと思う。とにかく何を話しても、カスカスの息漏れの音しか出ない。そんな自分を一緒にいた男連中が笑い、女性陣も笑ってくれた。だから、声がなかったことで好印象だったのかもしれない。
「す」さんは自分よりいくつか年下の女性だった。「す」さんはかっこよかった。小柄だったが、普段はバイクに乗っていた。そして豪快に笑った。笑い方が好きだった。なんだろう。笑い方について何度も何度も書いている気がする。どういう告白だったか憶えていない。でも私たちはつきあうことになった。彼女はクリスマスイブが誕生日だった。つきあっていたか、いないか。つきあっていないな。合コン後、初めて二人きりで会った時、待ち合わせ場所は渋谷のタワレコ前だった。この時、私は映画館でアルバイトをしていた。その映画館はタワレコと目と鼻の先だった。高校〜大学時代、大好きだったTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTのウエノコウジをちょうどそこで見かけたことがあるその場所で、私は彼女を待っていた。実は大阪生活時代にもコインランドリーから出てくるウエノコウジを見かけて、追いかけて、「ファンです。解散ライブ行きました」と話しかけたことがある。少しして彼女がやって来て、映画を観にいったか、ご飯を食べにいった。
風呂なし洗濯機なし冷蔵庫なしの四畳半に住んでいた私は、彼女とつきあいだしてから彼女の家に洗濯物を持っていくようになった。彼女は嫌がらずに洗ってくれた。夜の営み的なこともあったが、どういうわけか、いつも途中でうまくいかなかった。なぜか途中で私がだめになってしまった。それが2、3回続いた。行為中に、何をしているんだろうなあ、とぼんやりとしてしまい、失笑してしまって、「何?」と嫌がられたりした。「なんでもない」と言ったが、私はずっとひとりの時期が長かったこともあり、そういう行為が本当に苦手なのだ。俯瞰してしまう。没頭したいのに。随分と彼女を不安にさせたと思う。好きだったけど、その気持ちが、温度が低かったのかもしれない。それに彼女はすぐに気づいた。つきあって3カ月も経たずに、彼女から電話がかかってきた。
「別れたいんだけど」
彼女とは電話で別れ話をした。電話口の彼女は、私のこと好きじゃないでしょ、というような趣旨のことを話し、明るく振舞っていた。私は途中から泣いていた。なんでそっちが泣くのというようなことを言われた気がする。記憶の捏造かもしれないが、確か、そんな電話をした。その時、なぜか私は神奈川にひとりで住む母方のばあちゃんのアパートにいた。ばあちゃんの部屋はアパートの2階で、そこに上がる鉄でできた外階段に座り込みながら話した。それは夜で、外階段は錆びていた。
それから1週間後か2週間後。私は彼女と会う約束をした。新宿アルタ前。彼女に指定された場所だった。どこかに行くついでだったのだろう。彼女の家に置きっぱなしになっていた私の洗濯物を彼女が私に返す、そのためだけの約束だった。アルタ前に向かうと彼女はひとりではなく、女友達と一緒にいた。ものすごく情けなかった。それはないよ、と思った。そのくらいに私は勝手だった。
好きだったけど、曖昧な好きのまま、つきあうってことは、もう二度としないと決めた。恥ずかしかった。かっこわるかった。そして、彼女が最後の彼女となった。数年後、今の妻とつきあうまで、私は誰ともつきあわなかった。いや、普通にいろんな人を好きになったけど、うまくいかなかっただけだけど。
(文:今泉力哉)