ー3カ月前、童貞を捨てた。思ったほど、世界は変わらなかったー
チェリーについて

第27回「朝ドラ復活の鍵――7つの大罪」(後編)

連載『指南役のTVコンシェルジュ』今回は特別編。
指南役さんの最新刊『「朝ドラ」一人勝ちの法則』 (光文社新書)発売記念!

ドラマのヒットの法則を分析したこの最新刊と連動し、肝となる内容の一部を特別大公開!
もちろん書籍そのままではなく『TVコンシェルジュ』用に加筆・編集された特別バージョンでお届けします。
前編はこちら

 1つ質問。
 「朝ドラ」と聞いて、どんなドラマを連想します?
 恐らく――戦争を挟んだ女性の一代記だったり、大正や昭和のノスタルジーだったり、やたら明るいオープニングだったり、いつも無駄に前向きなヒロインだったり――まぁ、そんなところだと思う。

 ところが、である。
 実は、そんな朝ドラらしい朝ドラって、半世紀以上にも及ぶ朝ドラの歴史全体を見渡すと、むしろ少数派なんですね。
 まず、朝ドラが始まった1961年から16年間ほどは、試行錯誤の時代だった。男性が主人公だったり、ロードムービー風だったり、ホームドラマだったり、現代劇だったりと、色々な作風が試みられた。
 ようやく定番のフォーマットが根付いたのが17作目、76年放映の『雲のじゅうたん』から。そこから昭和が終わるまでの12年間が、いわゆる僕らが連想する朝ドラらしい朝ドラが放映された時代である。

 しかし――平成に入ると、突如その連鎖は断ち切られる。平成元年のドラマ『青春家族』を皮切りに、以後は現代路線の作品が多くなり、その流れは実に2009年の『ウェルかめ』まで20年間も続いたのだ。

朝ドラの黄金法則「7つの大罪」

 つまり、2009年までの朝ドラの歴史は――

 試行錯誤(16年間)→定番(12年間)→現代路線(20年間)

 ――と、定番じゃない時代のほうが圧倒的に長かったのだ。だが、僕らは朝ドラと聞くと、自ずと定番のフォーマットの方を連想する。それはひとえに、その時代の朝ドラがお茶の間に親しまれたからに他ならない。

 そう、定番――。前編の終わりでも述べたが、それをもたらしたのが、まさに朝ドラの黄金法則、「7つの大罪」である。
 そして、長期低落にあった朝ドラが2010年、『ゲゲゲの女房』で復活した背後にも、その黄金法則の復活があった。そして、以降の作品もその路線を踏襲することで、今日、朝ドラは視聴率20%超えの第二の黄金期を迎えたのである。

朝ドラは、「おかず」ではなく「ごはん」

 かつて、お茶の間に「朝ドラ」のイメージを植え付け、高視聴率を獲得し、今また、それを復活させて朝ドラに第二の黄金時代をもたらした「7つの大罪」とは――?

 それを説明する前に、1つ、たとえ話をしたいと思う。
 朝ドラは毎日、月曜日から土曜日まで週6日放送される。それはテレビの業界用語で「習慣視聴」と呼ばれる。毎日見るものだから、いわば「ごはん」と同じである。
 一方、通常の連続ドラマ、連ドラは週一の放送。それは朝ドラの「ごはん」に対して、いわば「おかず」の立ち位置だ。

 そう、ごはんとおかず――。両者の“美味しさ”の基準が違うのは当然である。おかずは単純に食べて「美味しい」ものが求められる。一方、ごはんは毎日食べても「飽きない」美味しさが求められる。いくら美味しいチャーハンでも、毎日食べたら飽きる。一方、美味しい白米は毎日食べても飽きない。そう、朝ドラに求められる面白さとは、まさに、この白米の美味しさなのだ。

朝ドラの肝は枠の安定的運用

 朝ドラは「習慣視聴」の番組である。それは、朝ドラの主要ターゲットである、家庭の主婦の朝の習慣に組み込まれていることを意味する。基本、作品が変わっても、彼女たちの習慣は変わらない。いわば「ごはん」と同じである。そこに求められる一番の要素は、“飽きられない”こと。

 つまり、朝ドラは「面白い!(美味しい)」と喜ばれることよりも、「もうダメ、無理(飽きた)」と言われないことが肝要なのだ。奇をてらった面白さ(美味しさ)よりも、嫌われない(飽きられない)ための平均的なクオリティが求められるのだ。

 そう、朝ドラの肝は、「枠」の安定的運用である。工業製品のように、毎作品、一定のクオリティのドラマを量産することが何より大事なのだ。

朝ドラは一日にしてならず

 かように、朝ドラに求められるのは、際立った面白さではなく、平均的クオリティである。そして、それをもたらしてくれるのが「7つの大罪」というワケ。
 その黄金法則に沿ってドラマを作ってさえいれば、工業製品のように一定のクオリティの朝ドラが量産できるのだ。

 ――とはいえ、先に示したように、その「7つの大罪」は一朝一夕で生まれたわけではない。朝ドラのスタートから16年ほどは様々なパターンが模索され、試行錯誤の末に、ようやく確立されたのだ。そう、朝ドラは一日にしてならず――。

 では、いかにして、その黄金法則が朝ドラの歴史の中で育まれたか。いよいよ、その謎を紐解きたいと思う。

文字通り、連続テレビ小説だった

 朝ドラ――NHK連続テレビ小説は、現在放映中の『わろてんか』で97作目になる。歴史的な100作目は2019年4月のスタートだ。

 そんな朝ドラの歴史が幕開けたのは、今から半世紀以上前の1961年(昭和36年)である。毎朝帯で15分(第1作のみ20分)のドラマを放送する形態は、日本初。その独特のフォーマットは、それ以前に人気を博した同局のラジオ放送の「連続ラジオ小説」を踏襲したものだった。いや、そのラジオ小説も新聞小説が元ネタだから――要するに朝ドラとは、新聞小説のテレビ版である。だから「連続テレビ小説」なのだ。

 記念すべき第1作は、作家・獅子文六の自伝小説『娘と私』だった。
 同ドラマで画期的だったのは、ナレーションを務める北沢彪演じる主人公が、最後まで自身の名前を明かさず、一人称の「私」で通したこと。そのためシーンの大半は彼のモノローグだった。それは、忙しい朝の主婦への配慮だったと聞く。台所仕事の片手間でも、耳で聞いているだけで話のスジが分かるからである。

 そう、今日まで続く朝ドラのナレーションは、そうした経緯から生まれたものである。

そうそうたる作家陣

 黎明期の朝ドラは1年間の放送だった。そして「連続テレビ小説」のタイトルが示す通り、小説を原作とする作品が多かった。2作目以降も、壺井栄、武者小路実篤、林芙美子、川端康成――そうそうたる作家陣の作品が続いた。

 そのため、今のような女性の一代記が定番ではなく、多種多様なドラマが作られた。3作目の『あかつき』は、大学教授の職を捨て、画業に打ち込む主人公を50代の佐分利信が演じた。5作目の『たまゆら』は、笠智衆演ずる定年退職した初老の男が、古事記を手に全国を旅する話だった。なんと、あの笠智衆サンが朝ドラの主人公だったのだ。20代前半のヒロインが活躍する今の朝ドラとは隔世の感がある。

 そう、黎明期の朝ドラは自由だった。

朝ドラの礎『うず潮』

 しかし、実はこの中に、既に今日の朝ドラの礎と言える作品が登場していた。このドラマの成功なくして、その後の朝ドラの歴史はなかったと言われるほど。
 それが――1964年の作品、4作目の『うず潮』である。ちなみに、あの『ひよっこ』の舞台設定の年だ。そう、東京オリンピックの年の作品である。

 同ドラマは、『放浪記』で有名な作家・林芙美子の半生を描いた物語だった。これが大ヒットする。平均視聴率は30.2%、最高視聴率は47.8%。この成功を機に、それまで数多あるドラマ枠の1つに過ぎなかった朝ドラが、国民的ドラマとなったエポックメーキングな作品となった。

『うず潮』がヒットした理由

 なぜ、『うず潮』はヒットしたのか。
 1つは、舞台となった時代背景だろう。ヒロインのモデルになった林芙美子は1903年に生まれ、51年に没している。その間、日本は関東大震災に日中戦争、そして太平洋戦争と未曽有の大事件を経験した。前編でも述べた「戦争が物語を作る」である。

 また、ヒロインが青春期を過ごした大正から昭和初期に至る時代は、視聴者に大正ロマンや昭和のモボ・モガといった古き良き時代のノスタルジーを想起させた。これも人気を博す要因となった。

大阪制作が生んだ“新人抜擢”

 いや、それだけじゃない。『うず潮』は、初めてNHK大阪放送局(略称:BK)が制作したことでもエポックメーキングな作品だった。この年、昭和39年は東京オリンピックの年。そのため、東京のNHK放送センター(略称:AK)はその準備で手が回らず、朝ドラの制作は大阪にお鉢が回ったのだ。
 その結果、後の朝ドラに大きな影響を及ぼす、思わぬ副産物があった。――主役への新人抜擢である。

 先に述べたように、それまで朝ドラの主役と言えば、佐分利信や笠智衆などの大物俳優が起用されるものだった。しかし大阪制作だと、1年間にわたって大阪に拘束される。その条件を呑んでくれる役者探しは容易でなかった。
 そこで、仕方なく関西新劇界の新人・林美智子を抜擢する。弱冠24歳。ところが――これが怪我の功名となる。

ヒロインに親目線の視聴者

 朝ドラの主要視聴者である主婦の平均年齢は50代。彼女たちからすると、24歳のヒロインは娘である。つまり親目線になる。かくして、ヒロインの林美智子はたちまちお茶の間の人気者になった。そして、その年の『紅白歌合戦』の紅組司会者にも抜擢される。そう、今日では恒例となった朝ドラヒロインの紅白の司会起用も、この年が最初だったのだ。

 いかがだろう。
 「戦争が物語を作る」に加え、「女の一代記」、「大正・昭和ノスタルジー」、「大阪制作」、「新人抜擢」といった、今日の朝ドラを構成するいくつもの黄金法則が、既にこの作品に見受けられる。
 そして、同ドラマの成功が、あの伝説の朝ドラを生むのである。

伝説の朝ドラ『おはなはん』

 それが、朝ドラ6作目の『おはなはん』だった。
 当初、ヒロインは森光子が予定されるが、クランクイン直前に病気で降板。急遽、白羽の矢が立ったのが劇団民藝の新人・樫山文枝だった。
 同ドラマは、平均視聴率45.8%、最高視聴率56.4%と『うず潮』をしのぐ大ヒット。朝ドラの平均値が40%を超えたのも、最高視聴率が50%を超えたのも、初の快挙だった。
 
 物語は、天真爛漫な主人公・浅尾はなが、陸軍中尉である速水謙太郎と結婚して、日露戦争から関東大震災、太平洋戦争へと至る波乱万丈の時代を、底抜けの明るさとユーモアで生き抜いた女性の一代記である。
 第1話、ヒロインのはなが、訪ねてくる縁談相手の速水を木に登って眺めるシーンは、同ドラマ屈指の名場面だった。後に『あさが来た』の1話でも似たような構図のシーンがあるが、あれは『おはなはん』へのリスペクトである。

『おはなはん』が開拓した黄金法則

 こうして見ると、『おはなはん』のヒットの要因に、「戦争が物語を作る」をはじめ、「女性の一代記」、「新人抜擢」、「大正・昭和ノスタルジー」といった『うず潮』の成功要因が踏襲されているのが分かるだろう。
 でも、同ドラマの成功要因はそこに止まらない。新たに2つの黄金法則を加えたのだ。

 1つは主題歌である。それまでの5作と違い、明るい曲調のインストゥルメンタル。作曲は、今年92歳で亡くなられた小川寛興だった。これ以降、明るい曲調の主題歌は朝ドラの定番となる。視聴者は一日の活力をもらえる音楽を求めていたのだ。いわば朝ドラ・リセット。近年では『あまちゃん』のオープニングが明るいインストゥルメンタルだったが、あれも作曲家の大友良英による往年の朝ドラへのリスペクトである。

 そして、もう1つの要素が、このコラムの前編でも述べた「夫殺し」である。
 高橋幸治演ずる夫の謙太郎。彼が物語の途中で病死することが分かると、女性視聴者から助命嘆願の手紙が殺到した。結局、当初の予定より死期が延ばされた。

 かくして、数々のヒットの黄金法則を生み出した朝ドラ。これ以降、ヒット街道をまい進するかと思われたが――コトはそう単純ではなかった。

試行錯誤の朝ドラ

 『おはなはん』の次の作品は『旅路』と言って、なんと男性が主人公の路線に戻ってしまった。
 さらに、その次の8作目の『あしたこそ』は、若手女性作家・森村桂の半生をモデルにした現代劇。脚本は、朝ドラ初挑戦の橋田寿賀子だったが、視聴率が思うように伸びず、途中、彼女は一カ月ほど休養した。

 9作目の『信子とおばあちゃん』は、10代のヒロインと70代の祖母の共演で女性の一生を表現した異色の現代劇だったが――作り手の思いむなしく、評判は今一つだった。
 そこで10作目の『虹』は思い切って、当時TBSで人気を博した“ホームドラマ”路線で臨むも――これもお茶の間が求める朝ドラではなかった。

 かくして、すっかり袋小路に迷い込んでしまった朝ドラ。気がつけば、かつて築いた黄金法則をどこかへ置き忘れたようだった。
 だが、そこへ救世主が現れる。朝ドラ11作目『繭子ひとり』である。

『繭子ひとり』が教えてくれたこと

 『繭子ひとり』は、昭和46年の作品である。幼くして両親と離れ、親戚の家で育ったヒロインが、郷里の青森から上京して母を訪ね歩く物語だ。原作は芥川賞作家の三浦哲郎である。

 同ドラマは大変な人気を博した。平均視聴率47.4%は、あの『おはなはん』を上回る。これは今もって朝ドラ歴代2位の大記録である。
 ヒットの要因は――思うに「故郷を捨てるヒロイン」にあった。夜逃げ同然で故郷の青森を離れ、失踪した母を探しに上京するヒロイン。物語はそこで、田舎から都会へ絵替わりし、登場人物も大きく入れ替わる。その落差が“物語”を生んだのだ。

 事実、これ以降、「故郷を捨てる」要素は、黄金法則の1つに加わった。「今度の朝ドラの舞台は××」と謳いつつも――途中でその××を捨て、あっさりと上京するヒロイン。観光特需を期待する地元の人々からすると肩透かしだが、これで物語が面白くなるのだから仕方ない。

朝ドラ絶頂期

 半世紀以上に及ぶ朝ドラの歴史の中で、平均視聴率の第1位は1983年の『おしん』である。
 だが、2位から5位までの4作品は、70年代前半に集中している。先の71年の『繭子ひとり』に始まり、続く72年の『藍より青く』、73年の『北の家族』、74年の『鳩子の海』がそう。この4作連続で朝ドラの視聴率TOP5に名を連ねる。70年代前半は、「朝ドラ絶頂期」と呼んでいいだろう。

 但し、一般に僕らが思い浮かべる朝ドラらしい王道路線は、山田太一脚本の『藍より青く』くらい。まだこの時代、黄金法則が定着したとは言い難かった。
 そんな中、74年の『鳩子の海』は朝ドラ史においてエポックメーキングな作品となる。それは、同ドラマが「7つの大罪」の最後の1つを生むキッカケを作ったからである。

1年間から半年間の放送へ

 朝ドラ14作目の『鳩子の海』は、広島の原爆投下で戦争孤児となった記憶喪失のヒロインが、自分探しをする物語だった。
 ヒットの要因は、まさに「戦争が物語を作る」にある。しかし、同ドラマはそれ以上に朝ドラ史にとって重要な意味を持つ。

 それが――脚本家の途中降板だった。物語の中盤、脚本家の林秀彦が制作陣と揉めて降りたのである(その後、復帰)。NHKは急遽、代役の脚本家を立てるが、この騒動を機に、同局は脚本のリスク回避やヒロインの健康管理の意味合いもあり、朝ドラを1年間から半年間の放送に変更する。それも東京(AK)だけで作るのではなく、半分は大阪(BK)に丸投げしたのである。

 そう、大阪に丸投げ――だが、この措置が、朝ドラに新たな飛躍をもたらすことになる。

東阪2班体制へ

 1975年(昭和50年)――。東阪2班体制となった朝ドラは、4月から9月の前期がAKで、大竹しのぶ主演の『水色の時』を、10月から翌年3月の後期がBKで、田辺聖子原作・秋野暢子主演の『おはようさん』をそれぞれ放映した。BKとしては『うず潮』に続く、朝ドラ2作目だった。
 いずれも現代劇を選んだのは、朝ドラが年2班体制に生まれ変わったことへの意気込みもあったのかもしれない。

 そう、黄金法則「7つの大罪」の最後の1つは、この“大阪に丸投げ”したことによる「東阪2班体制」である。
 この結果、いい意味で両班に競争意識が生まれ、視聴率やお茶の間の好みに敏感になったのだ。早速、その成果は翌年に現れる。

朝ドラ中興の祖『雲のじゅうたん』

 昭和50年の朝ドラは、東阪とも現代劇で臨んだが、ここまで読んだ賢明な皆さんならお分かりになると思うが、そんなに簡単に視聴率が取れるほど、朝ドラは甘くない。案の定、どちらも視聴率は低迷した。

 そこで翌年、AKは女性の一代記の王道路線に回帰する。朝ドラ17作目『雲のじゅうたん』である。その辺りのAKの立ち直りの早さは、やはり一日の長の成せる技だろう。
 いや、それだけじゃない。同ドラマは、それまで培われた黄金法則を見事に踏襲したのである。

 朝ドラ『雲のじゅうたん』は最高視聴率48.7%と大ヒット。そして、同ドラマの成功により、以後12年間にわたり、東阪の間で競争意識が働き、朝ドラに安定の時代が訪れる。
 それをもたらしたのが、黄金法則「7つの大罪」だった。

7つの大罪

 そう、7つの大罪――いよいよ本コラムの本題である。
 既に、個々の要素はこれまでの朝ドラの歴史の中でもたびたび述べてきたが、それらは定着するようで、何度も一進一退を繰り返してきた。それがここへ至り、ようやく定着したのである。

 ここで、7つの大罪を『雲のじゅうたん』に当てはめて検証したいと思う。

① 「能天気なオープニング」
坂田晃一サン作曲のインストゥルメンタル。とにかく明るかった。

② 「無駄に前向き」
主人公は日本初の女性飛行家を目指す人物。文字通り“翔んでる”女性だった。

③ 「ぽっと出のヒロイン」
ヒロインを演じたのは当時25歳の新人・浅茅陽子。演技はまだ未熟だったが、とにかくひたむきだった。

④ 「ノスタルジー狂」
舞台は大正から昭和の戦後期まで。大正ロマンから昭和のモボ・モガ、そして戦争へ至る道とノスタルジー色満載だった。

⑤ 「夫殺し」
劇中、志垣太郎演ずる海軍航空隊のヒロインの恋人が、よもやの墜落死。お茶の間の涙を誘った。

⑥ 「故郷を捨てる」
ヒロインの生まれ故郷は秋田である。しかし、彼女は飛行家を目指して上京する。田舎と都会――そのギャップが物語をさらに面白くした。

⑦ 「大阪に丸投げ」
本作は東京(AK)の制作だが、「大阪(BK)に負けてなるものか」との思いが、お茶の間が求める朝ドラを作る原動力となった。よき競争である。

 ――いかがだろう。これが、世にいう朝ドラの黄金法則「7つの大罪」である。そして以降、12年間にわたり、朝ドラに安定時代をもたらすのである。

モンスタードラマ『おしん』の功罪

 1976年の『雲のじゅうたん』から、1988年の『純ちゃんの応援歌』までの12年間、朝ドラは安定の時代を謳歌する。それは先の「7つの大罪」が機能した結果、毎年一定のクオリティの作品が生み出されたからである。

 だが、そんな中に1作だけ、やけに視聴率が目立つ作品があった。いや、低いのではない。逆に高いのだ。1983年の朝ドラ、31作目の『おしん』である。制作はAK、脚本は橋田寿賀子だった。

 物語は、山形県の寒村出身のヒロインが明治から大正、昭和にかけての激動の時代を生き抜く、いわゆる女性の一代記である。途中、関東大震災や太平洋戦争に遭遇するも、希望を失わず、前向きに生きるヒロインの物語だ。
 平均視聴率52.6%、最高視聴率62.9%。その数字は朝ドラの歴代1位であるばかりか、日本のドラマ史においてもダントツの1位を誇る。後にも先にも、こんな怪物ドラマは他にない。

 だが、同ドラマの成功は、皮肉にも朝ドラに悲劇をもたらすことになる。
 実は、『おしん』は「7つの大罪」に必ずしも忠実な作品ではなかった。むしろ異端の作品だった。それが異例の高視聴率を生む一方、後々、朝ドラが低迷する一因も作ってしまったのだ。

『おしん』の何が異端だったのか

 一見すると、『おしん』はそれまで成功した朝ドラを踏襲した作品のように見える。一体、何が異端だったのか。

 1つは、NHKのテレビ放送30周年記念作品ということで、『鳩子の海』以来、実に9年ぶりの1年間の放送になったこと。それまで東京と大阪で、いい意味で競い合っていたのに、大阪が外されてしまった。結果、『おしん』はライバルがいない状態で始まった。まず、これが一点。

 2つ目は、異例の3人の女優によるリレー方式である。少女時代は子役の小林綾子が務め、物語の幹となる16歳から終戦を迎える40代までを名優・田中裕子が演じた。戦後、そのバトンはベテラン乙羽信子に引き継がれた。

 それ以前もヒロインの幼少期を子役が務めることはあったが、せいぜい1週間。それが『おしん』は6週間。もはや1人の女優である。
 そして、メインの田中裕子は時に28歳。既に主役を張る人気女優で、キャリア・実力とも申し分なかった。朝ドラの主役は新人女優というパターンから大きく逸脱したのである。

『おしん』は飛び切り美味しい“おかず”だった

 3つ目は、オープニング曲だ。朝ドラらしい能天気な曲調ではなく、一人の女性の波乱万丈な生涯を想起させる、深みのある楽曲だった。
 それは、こんな思いが込められている。「哀しくて辛い少女期に始まり、厳しい試練の日々の青年期。やがて不運を乗り越え成功を掴むが、雪深いふるさとへの思いを忘れない」――短い曲の中に、これだけの人生が凝縮されたのだ。

 かくして、『おしん』は磐石の体制で制作され、類い稀なる橋田寿賀子の脚本力と、小林綾子や田中裕子ら役者陣の名演技で、予想を超えるモンスター級の大ヒットとなった。
 もう、お分かりだろう。そう、『おしん』は飛び切り美味しい“おかず”として作られたのだ。それまで工業製品のように一定のクオリティを保ち、“ごはん”であり続けた朝ドラのチームワークを乱し、一人美味しい“おかず”を作ってしまったのだ。

 飛び切り美味しいのだから、視聴率は取れる。だが、この成功体験が、後々ボディーブローのように朝ドラを苦しめていくのである。

禁断の果実

 いわば、それは禁断の果実だった。
 問題は、『おしん』がモンスター級にヒットしたことではない。朝ドラの作り手が「面白いドラマを作ろう」と思い立ち、チームワークを乱して、“禁断の果実”に手を出してしまったことにある。その成功体験は朝ドラスタッフの脳裏に深く刻まれた。

 そして、時代は過ぎて昭和が終わり、平成が幕開ける。
 時に、民放の連ドラはフジテレビの月9ドラマを中心に、黄金時代を迎えようとしていた。
 その流れを見て、朝ドラにも野心が芽生える。かつて『おしん』で体験した「面白いドラマを作る」というマグマが、ふつふつとオモテに噴出したのである。

朝ドラから連ドラへ

 時に1992年、朝ドラは前期のBKが橋田壽賀子脚本の『おんなは度胸』で、後期のAKが内館牧子脚本の『ひらり』で臨んだ。共に視聴率もよく、評判も上々だった。翌93年は戸田菜穂をヒロインに、朝ドラ初の医療ドラマ『ええにょぼ』を制作。これもスマッシュヒットした。

 もう、お分かりだろう。これらは朝ドラというより、もはや「連ドラ」だった。『おんなは度胸』は、『渡る世間は鬼ばかり』でお馴染のベタベタな橋田ドラマである。『ひらり』も脚本家随一の角界通として知られる内館牧子による、相撲部屋が舞台の渾身の連ドラだった。しかも主題歌はドリカムである。それまでインストゥルメンタル一辺倒だった朝ドラの主題歌が、同ドラマ以降、歌入りとなるエポックメーキングな作品となった。
 戸田菜穂主演の『ええにょぼ』に至っては、今や連ドラではポピュラーな医療ドラマの先駆けだった。面白くないわけがない。

丁半ばくちの世界へ

 平成に入り、連ドラの黄金時代に触発され、「面白いドラマを作る」という“禁断の果実”に手を出してしまったNHK朝ドラ。
 出足はまずまずだった。朝ドラも民放の連ドラと同じように、いい脚本家といい題材さえ揃えれば、それなりにヒットを出せることを証明したのである。

 しかし、それが“暗黒の中世”へと至るシグナルだった。
 長年守り通した「習慣視聴」に頼るビジネスモデルから、一作毎にヒットを狙うビジネスモデルへの転換。守りから攻めのドラマ作りに転換したと言えば聞こえはいいが、要は丁半ばくちの世界に踏み出したのである。

朝ドラ「暗黒の中世」へ

 ここから先の話はあまり長くない。
 朝ドラは90年代から2009年にかけて、緩やかに視聴率を落としていった。出足こそ良かったものの、丁半ばくちに転じた朝ドラは、ひと度失敗すると、そのダメージが直に響いた。

 思い出してもらいたい。朝ドラは習慣視聴の番組である。大事なのは、枠の安定的運用である。それゆえ、視聴者に飽きられない「ごはん」の立ち位置が求められた。
 しかし、ひと度「まずい」と思われると、視聴者は“枠”自体から離れてしまう。そして二度と戻ってこない。単に1つの作品が嫌われただけでは済まない。これが繰り返され――朝ドラは徐々に数字を落としていったのだ。

 そして、09年の『ウェルかめ』に至り、遂に平均視聴率13.5%と、歴代最低記録を更新したのである。
 まさに、失われた20年――それは朝ドラにとって「暗黒の中世」だった。

朝ドラ・ルネッサンス

 しかし、明けない夜はない。
 2010年、朝ドラ82作目の『ゲゲゲの女房』で見事、同枠が復活したのは前編で紹介した通りである。
 まさに、朝ドラ・ルネッサンス。

 その最大の原動力となったのが、ご存知「7つの大罪」である。
 『ゲゲゲの女房』をはじめ、『カーネーション』、『あまちゃん』、『ごちそうさん』、『マッサン』、『あさが来た』、『とと姉ちゃん』、そして『ひよっこ』――評判になった朝ドラは、どれも「7つの大罪」に沿って作られたのである。

 え? それぞれ、どう当てはまるのか、個々に解説してほしい?
 いや、ここから先は一つ、あなた自身で考えてほしい。そして答え合わせを――あの本でやるといいだろう。
 そう、あの本でね。

(文:指南役 イラスト:高田真弓)

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