ー3カ月前、童貞を捨てた。思ったほど、世界は変わらなかったー
チェリーについて

vol.12 後編 「今泉かおり」さん 〜こんな人はどこにもいないとふと気づく〜

結婚に至るまでには色々あったのだが、1番忘れがたい出来事のひとつはラズの死だろう。

ラズベリー。妻の飼っていたウサギ。妻の卒業制作にも出演していたロップイヤーラビットだ。垂れた耳が特徴的なウサギ。大分時代から妻とともに過ごしていたラズはもう相当な高齢で、よだれなどを垂らしていたし、目も悪くて、それはそれは臭かった。私は幼少期のちょっとしたトラウマで、室内で生き物を飼う、みたいなことや、そういう生き物の「毛」がものすごく苦手だった。でも当時の妻は看護師として働き、実家に毎月10万の仕送りをしていた。そのためにはどうしても夜勤をしなければならなかった。だいぶ弱っていてもういつ死ぬかわからないラズの様子を見るために、いつからか私は彼女が夜勤の日は彼女の家に泊まるようになっていた。

2009年3月の頭。ついにその日がやって来た。真夜中だった。
変な声をあげるラズを両手に抱いて私はその名を呼び続けた。
「ラズ!ラズ!ラズ!」
しかしラズは私の両手のひらの中で息を引き取った。
その瞬間、ちょうど休憩中だった妻が私に電話をかけてきていた。彼女と話しながら、電話越しの彼女には聞こえなかったであろう、か細い声、最後の声をあげて、ラズは死んだ。生き物が死ぬと軽くなる、というが、本当に、ふっ、と軽くなったのをおぼえている。私は、泣いた。なんで、俺なんだよ、なんで、俺の手の中で死ぬんだよ。あいつがいる時に、あいつの目の前で、あいつの手の中で、死んでくれよ、と思った。悔しかったし、自分には荷が重すぎた。こういうの、本当に俺みたいな人間がしていいことじゃないと思った。でも、この部屋に誰もいない中でラズが死んでしまっていて、妻が帰ってきてその死を知らなくてよかったとも思った。数日後、妻はどこかの動物墓地みたいなところにラズを埋葬した。

2009年6月27日。
私は商業デビューとなる長編映画『たまの映画』のプレクランクインで、知久さんのライブを撮影していた。その日、知久さんは5月2日に亡くなった忌野清志郎さんの話をした。亡くなった情報を聞いた時、知久さんは海外にいて全然実感がなかったという。そして清志郎さんの『ヒッピーに捧ぐ』をカバーした。私は音楽に疎くて、初めて聴いた『ヒッピーに捧ぐ』が知久さんの歌う『ヒッピーに捧ぐ』だった。そのライブ中、私のポケットは何度も何度もブルブルと震えた。撮影だと伝えてあったのに妻からたくさんのメールと着信があった。妻の母の具合が悪かったのを知っていたので、なんとなく不幸な知らせだと思い、覚悟して電話を折り返すと、妻は、今日会えないかな、と言い、電話で話すことじゃないんだけど、と、妊娠しているらしいことを私に告げた。私はその旨をまだ知り合って間もない知久さんやそのマネージャーさん、映画のプロデューサーに伝えると、本当は懇親会的な打ち上げに参加予定だった私に知久さんが言った。
「もう3人なんだから。すぐ行ってあげな」
この方の、また、こういう優しさがある方々の映画を撮れることが本当に嬉しかった。
そして私たちは恥ずかしながら、できちゃった結婚をした。正直、相手が違ったとは思わないが、こんな不安定な生活をしている身としては、まだまだ結婚は先の話だと思っていた。でも、今思うと本当によかったと思う。妻がどう思っているのかはわからないが。

それから現在までにも色々あった。
公にすべきでないような多くの問題もあった。
妻側にも。私の側にも。

結婚後、一番深刻に私が妻に謝罪した出来事についてだけ書いておく。
結婚するくらいのタイミングで、妻はタバコをやめる、私はパチンコをやめる、という約束をしたのに、私はたまにパチンコをしていた。それこそ、結婚前に一時期、依存症のようになっていた時期があって、その時期は、家でぼうっとしている時間が15分でも30分でもあると、(ああ、この瞬間にも、お金が増える可能性があるのになんで今ここでぼうっと過ごしているんだろう)という感覚になって、自転車を飛ばしてパチンコ屋に通っていた。

そんな私は結婚後のある時期、またそういう状態になってしまって、「全体口座」と呼んでいるふたりの銀行口座(個人のものではなく家族全体の貯金口座みたいなもの)から、ちょろっとお金をおろしてはパチンコをして、増えたら増えた分だけ自分のポケットに入れて、おろした分を妻にバレないように口座に戻し、増えた分でまたパチンコをする。減ったら、まあ、次に取り返したものを補填的に口座に戻す、みたいなことを妻に内緒でしていたことがあった。しかし、そんなことを繰り返すうちに、20万か30万、そのくらいのマイナスになってしまい、もうこれは妻にバレて問い詰められる、だったらその前に正直に告白して謝罪しようとなった時があった。

子供が寝静まった夜。妻を起こして、真剣に言った。
「あの、ちょっと大事な話があるんだけど……」
その時の私はよほど深刻な顔をしていたのだろう。妻は察して言った。
「なに?女?お金?」
え?あまりに予想外な返答。でも、なんとなく「お金」より「女」の方が悪そうではないか。どこか心に余裕のできた私は、謝罪する気でいたのに、次の瞬間、
「どっちだと思う?」
と聞き返していた。アホである。それからきちんと事情を説明して、謝り、許してもらった。
それから少しして、3人目の子供を妻が妊娠した。

結婚してから8年が経過した。
私は同じ人と1年以上つきあったことがない。妻以外。
それこそ妻とだって別れそうになった。でもどういうわけか、妻とは続いている。子供の存在も大きいだろう。子供ができて妻がこどもにばかりかかりきりになって自分の相手をしてくれなくなるのが寂しい夫、みたいな話を聞いたことがあるが、すぐひとりになりたくなってしまう自分にとっては、妻がこどもの方を向いてくれて、ある種放置されることはとてもバランスがよかった。ひとつ具体をあげると、例えば、私はそれまで彼女と同棲をする、ということをしたことがなかったので、結婚当初、「今日は夜ご飯いる?」というメールをもらうのがめんどくさくて仕方なかった。知らねえよ、と。夜のことは夜に決めるし、あるならあるで食べるし、ないならないでいい。昼や夕方の時点で夜のこと聞かれても、まだわかんないよ、って思っちゃう人間だ、私は。でも、こどもが産まれてからは、いちいち聞かれなくなった。まさに、適当に用意しておく感じになってくれたし、いい感じにほっておいてくれるようになった。

そして時を経て、今。
妻は5歳になった長男に「そうちゃんは大きくなったらママと結婚するんだよね」と言ってはウザがられていたりする普通の母になった。しかし、冒頭で触れた通り、この家にはある意味では手のかかる子供が4人いるような状態で、本当にひとりで家庭を、家計を支えている。家賃やある程度の生活費はほぼすべて妻の収入で賄われ、私の収入が前出した全体口座への貯金となる。つまり私の年収がそのまま我が家の1年の貯金できる金額となるわけだ。しかし、私はカッパを演じている。ナカゴーの擁護をするわけではないが、私はギャラももらっている。でも、妻には遊びに見える。楽しんでみえる。自分だって映画をつくりたくて上京してきたのに、夫の映画づくりを支えるため、そして家族のために働いている。夫が家に帰ってきたら、新しく建てる家の話やローンの話、子供の転校や転入の手続きの話をしたいのに、「今日は誰々さんが見にきてくれた」とか「やっぱり鎌田さん、アホだ。すげえ面白い」とか「やっぱり演じることは、監督や演出するときの大きな経験になる」みたいな話を聞かされるのである。そして、いざ本題である家の話をしようとすると、夫は「よくわかんねえし」とか「別に俺はどんな家になってもいい」とか、全くもって興味を持ってくれない。さらには、舞台の稽古で長いこと家を空けていて、本当は夫の仕事である洗濯物たたみと夕食後の洗い物も全部自分でしているのに、「電球が切れているのをなんで放置しているの?」とか「床が汚い。掃除機いつからかけてないの?」とか「子供の爪が伸びている」とか言う。別に夫である私がすればいいことである。イライラが爆発した妻と私は約3日間、口を聞かなくなったりもした。

このvol.12を私は何日間もかけて書いていて、3日間、口をきかなかったのは、9月5日以降数日間のことだ。今ではまた普通に口を聞いているし、家の話も(相変わらず揉めながらではあるが)進展している。今は9月17日。私はとある現場のメイキング撮影の日々を過ごしている。妻から見て、これは仕事なのだろうか。会話のない日々も解消され、昨日は家族みんなで新しい家に使用する予定のアンティークのドアや洗面所用の新しいガラスタイルのサンプルなどを見に行った。

夫婦仲をよくする方法を私はひとつだけ知っている。私がひたすら稼ぐこと。なんとかして、もう少しだけ、稼げるようになりたい。そして、次にカッパを演じる時には妻にも気持ちよく送り出してもらいたい。

こうして全12回にわたって書いてきた連載もここで終了である。
小学生だった私は今36歳。私たちの結婚式の二次会には、映画館のバイト仲間として、vol.10「さ」さんとvol.11「お」さんが来ていて、その結婚式で私は妻宛にサプライズで手紙を書いて読んだ。その文面には、「今は好きだけど、これからのことはわからない。さっき披露宴の前に神父さんの前で誓った、健やかなる時も病める時も、一生愛を誓いますか?みたいなことは、綺麗事だ。正直、これからの自分の気持ちなんてわからない。でも、今は好きだ」という旨のことを二次会に集まった大勢の人々の前で話した。しかし、私たちは続いているし、いつか、きっといつか、妻がまた新しい映画をつくってくれる日が来ればいいなと思っている。そのためにはやはり、私が稼がなければいけないのだが。

本当に。最後に。
この文章を妻が読むことはないだろう。
私の妻はツイッターなどのSNSもしていないし、今でこそスマホを使っているが、それまでは長いことガラケーを使っていた。あるタイミングで自分のパソコンも処分してしまった。大分県出身で地元の大学を卒業後、大阪で看護師として勤務。そこで真利子哲也監督の自主映画と出会い、その映画に影響を受けて、私もつくりたいと思い、上京。映画学校に通い、今泉力哉と出会う。結婚して、3児の母。今は訪問介護をしている。遠い将来、この結婚を不幸だった、失敗だったと思わないでほしい。思わせないようにしなくては。

以上です。
おわりです。
連載を全部読んでくれた稀有な読者が幸せになりますように。

(文:今泉力哉)

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今回で、今泉力哉監督の連載『赤い実、告白、桃の花。』は終了となります。長らくのご愛顧、ありがとうございました。
現在“永遠のオトナ童貞のための文化系マガジン・チェリー”では、今泉監督による新シリーズを準備中!乞うご期待ください!

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