「ナンセンス」なんかじゃない!? “三木聡センス”の作り方を聞く
ドラマ『時効警察』シリーズや『転々』『インスタント沼』といった映画を手がける三木聡監督。20歳で放送作家としてのキャリアを開始し、約40年。古くはシティボーイズの舞台の脚本・演出をはじめ、『トリビアの泉』や、鈴木おさむ・宮藤官九郎らとともに木村拓哉主演の伝説の深夜番組『TV’s HIGH』を手がけるなど、舞台・テレビ・映画と様々なフィールドで、その才能を発揮し続けている。
亀梨和也を主演に迎えた『俺俺』以来、5年ぶりの監督作品となるのが映画『音量を上げろタコ!なに歌ってんのか全然わかんねぇんだよ!!』。
阿部サダヲが演じる“声帯ドーピング”によって“驚異の歌声”をもつロックスター・シンと、吉岡里帆が演じる“声が小さすぎる”ストリートミュージシャン・ふうかが出会うことによって起きるミラクルを描き、ファンの期待する三木聡ワールドでありながら、新たなステージに辿り着いていることが感じられる作品となっている。
“ナンセンスな”という形容をされがちな三木作品。だが、最近の三木作品はわかりやすいアジテーション(煽り)もあって心に響くし、仮にナンセンスなものだったとしても、ナンセンスを作るにはセンスがいるはず!
ということで“永遠のオトナ童貞のための文化系マガジン・チェリー”では、過去の作品にも触れながら、そのセンスの作り方を聞くことを試みた!
三木聡監督は「勉強にはならないですよ」と謙遜しながらも、「思想のフォッサマグナ」「受け取り方の機会均等」「ギャグはリベラル」といった独特の表現を使いながら、丁寧に答えてくれた……!
すべての表現をする人へ、いや、三木聡作品のような“喜劇としての人生”を送りたい人、必見の内容です!
みんなが“やらない理由”を見つけたがる
――最新作拝見して、阿部サダヲさん演じるシンが、吉岡里帆さん演じるふうかに「やらない理由見つけてんじゃねえよ!」と煽るセリフが刺さりました。
「“やらない理由”を見つけたがる人と接することがよくあるんですよね。監督や役者になるためのワークショップに来てるのに『いいテーマが見つかったら書こうと思います』みたいなことを言う人っているじゃないですか。ちょっと説教くさいかもしれませんが、『いやいや、まず書けばいいじゃん!』って思いません?(笑) テーマが見つかるのを待つよりも、とりあえず自分の感じたことを1回、最初から最後まで書く作業のほうが面白いと思うんですよね。
うちの娘も『勉強しなね』って言うと『8時になったらやる』って返すんです。それって『8時までやらない』ってことじゃないですか(笑)。他人の視線を理由にしたりして、みんな何かと“やらない理由”を見つけたがるんですよ」
――少し耳が痛いですが、たしかにそうですね(笑)。逆に言うと三木さんと一緒に仕事をしている人たちは、“やらない理由”ではなく“やる理由”を見つけられる人が多いということでしょうか?
「うちのスタッフは、それぞれが自分で“やる理由”を見つけてくれる人たちですね。だって、俺の作品なんて、ものすごい儲かるとか、ものすごい褒められる、とかじゃないですから。“やらない理由”を見つけられたら最後までいきませんよ(笑)」
――そんな三木さんの普段の生活の中で感じたことから生まれた「やらない理由見つけてんじゃねえよ!」という、ある種の煽りというか、アジテーションをシンに託したんですね。
「そうですね、あとはふうかの曲もアジテーションの役割を果たすんです。あいみょんがいい曲作ってくれたんですよね。ラストの曲につながるような形で、前半の喧騒とは対照的になる最後のシーンも意識して作っていきました」
三木聡・“9年ごとに煽りたくなる”の法則
――最後でアジテートするといえば監督の2つ前の映画『インスタント沼』のラストシーンでも、麻生久美子さんが言葉で煽っていきますよね。
「『インスタント沼』のときは、正直言うと、最後アジテーションで終わりたいっていう、70年代っぽい発想があったんです。昔は、右も左も含めて、街の中で何かわーわー文句言ってる奴がいたんだけど、最近はあんまりそういう感じがなくて、おとなしかったりするじゃないですか。一方で、大竹まことさんはじめ、シティボーイズの人たちは全共闘世代だからアジテート世代なんですよ。俺が演出した最後のシティボーイズの舞台が、野宮真貴さんが出てくれた『ウルトラシオシオハイミナール』っていう2000年の舞台で、そこでアジテートみたいなことをチラッとやったら、面白かったんですよ。それで映画でもやってみたくなって。だから、次が2009年の『インスタント沼』、その次が今回2018年の『音量を上げろタコ!』って感じで、俺の中では9年ごとにアジテートする歴史があるんです。まあ、特に数字に意味はないんですけど(笑)」
――意味はないんですね(笑)。
「強いて言うとすれば、飽きっぽいので、AやったらB、BやったらA…というように、逆に振る傾向はありますね。前回の『俺俺』が割とストイックな映画だったんで、今回はあんなふうになった、と(笑)。まあ、9年間マグマのようにアジテートしてない想いが溜まってて、今回噴き出したんでしょうね」
“反応を予想したものづくり”をしてしまう人たち
――ちなみに、70年代に街の中でアジテートしていたような人たちの怒りは、現代はどこにいってしまったのでしょうか?
「今はみんな、自分のメッセージをネットのどこかに書き込んだりしちゃうんじゃないでしょうかね。その顔の見えない感じも、俺のマグマを沸騰させていったのかもしれません」
――時代とともにアジテートの場所も変化してきているんですね。その変化って、作り手にも影響を及ぼしていたりするんでしょうか?
「ツイートひとつとっても、自分の作ったものの反応や結果を予想して、ものを作っちゃう人は増えているかもしれないですね。自分が発したものの受け取り方が、以前よりも見えてしまう分、そこを意識して例えば『叱られないようにしよう』みたいな発想になってしまう人はいる気がしますね」
――三木さん自身は、そういう時代の変化の影響を受けていたりするんでしょうか?
「面白がり方の基本構造みたいなものは変わりませんね。作り手としての俺自身は変わらないから、1回発したものをどう受け取ってもらってもいいし、批判がきても別に構わない、っていう部分はありますよね。『こう受け止めて欲しい』みたいな、テーマありきでものを作っているわけでもないですし」
怒られても、反応させたら勝ち
――三木さんのそのある種の“ブレない強さ”はどこからくるんですか?
「バブルのときに生きていたからですね(笑)。大抵のことでは死なない感覚があるというか。やっぱりイケイケのバブルの時代に育った自分たちと、経済が冷え込んでいる時代に育った人では、考え方に違いが生まれていると思うんです。思想のフォッサマグナがはしっているというか(笑)。今みたいに『日本はすごい!』みたいなことを主張する番組、以前はなかったですもんね」
――思想のフォッサマグナ(笑)。逆に、そんな時代に育ってしまった僕らに、三木さんたちのような強さを持つためのアドバイスをください!
「うーん、やっぱり皆さん、さっきのツイートの話じゃないですけど、ネガティブな反応に怯えるじゃないですか。でも、自分が発したことに、怒ったりつまらないっていう人がいたら、それは反応させたわけだからある種の勝ちだと思うんですよね。よくシティボーイズのきたろうさんが、お客さんがひいてるときに『ひかれたんじゃない、俺がひかせたんだ』って言ってたんですよ(笑)」
――その考え方は強いですね!
「俺も以前『熱海の捜査官』というドラマをやったときに、結末があまりのことだったので(笑)、新聞の投書欄に87歳のおじいさんから『ずっと見てきたのに、あの結末は許せない』っていう意見がきたことがあって。でも、それがすごく嬉しかったんです。DVDの特典で、俺がそのおじいさんにインタビューしにいくっていう企画を提案したくらい(笑)。やっぱりそれって、作り手としては喜ばしいことなんですよね。何にだってネガティブもあれば、ポジティブもある。むしろ、ポジティブな反応とネガティブな反応を同等に扱えるかが、喜劇のセンスだと思うんですよね。喜劇の感覚で生きていれば、どっちの反応にも、笑うことができるんです」
ギャグはリベラル、ギャグに貴賎なし
――そして三木さんの作品は特に、万人が同じ受け取り方をするものではないというか、どこを面白がるかが、人によって違う気がします。
「イタリアで『転々』を上映したときに、広田レオナさんが戦艦を書いている場面で大爆笑してる人がひとりだけいたんですよ。800人の会場で799人がポカーンとしてるのに、そいつだけ大爆笑(笑)。そういう状況って、俺としては面白くて。『多くの人が笑ったギャグがいいギャグなのだろうか?』と常日頃思っているので、それぞれ触発される部分は違っていい。ギャグはリベラルというか、ギャグに貴賤はないんです」
――なんで三木さんはそういう考え方や、作品の作り方になっていったんですかね?
「無意識に多動症気味に作っている部分はあると思うんですが(笑)。ひとりっ子だったので制限されることに抵抗感があるんですよね。『こう見なさい』『こう泣きなさい』『こう笑いなさい』って、指示されることに抵抗があって。だから俺の作品では、“受け取り方の機会均等”は保証したいんです。『こう受け止めて欲しい』よりも『みんなはどう受け取るんだろう?』っていう気持ちのほうが強くて。だから俺が発したものをメッセージと感じてくれる人がいてもいいし、ギャグだと思ってくれる人がいてもいいんです」
思考は映画から自由に出入りしていい
――映画を見る人それぞれが、違う感じ方をしていいんですね!
「ええ、さらに言うなら“無意識だけど自分の中にはあったこと”が、映画を見ながらポッと表に出てくるのが理想だと思っています。『自分が無意識にモヤモヤしていたものを映画の中で見せられて腹が立つ』とか『映画を見てて、何か別の連想がされて自分が面白いと思っていたことに気づく』とか。だから、ずっと映画の中にいてくれなくてもいいんです。思考が自由に映画から出入りしてくれていいんですよね」
――作るときもそういう作り方をされているんですか?
「そうですね、作っていく中で自分の無意識に出会えたときが、自分の中でも一番驚ける瞬間なんです。書いている最中に『自分はこんなことに怒っていたんだ!』と気づける瞬間。テーマありきで書き出していない分、書きながら“自分が無意識の中で何を考えているか”に出会いにいけるんですよね」
表現者は“自分の中の無意識”をあぶり出せ
――色々なジャンルの作り手にとって、めちゃめちゃ貴重な話を聞けている気がします。
「映画でも小説でも、表現の手段を取る人は、“自分の無意識下にあるものをどう表にあぶり出すか”ということと向き合わなければいけない気がしますね」
――何かその“無意識下にあるもの”を、あぶり出すためのトレーニングみたいなものってあったりしますかね?
「スマホにでもなんでもいいんですけど、1日1コでもいいから、思ったことをメモしていくといいと思います。恋愛のことでもなんでもいいので、1日1コの点をためていくと、なんとなく自分の興味の線みたいなものが見えてくるんですよね。自分が実は何に興味を持っているか、はそういう作業で発見できる気がします。今回も『声帯ドーピング』とか『声の小さいミュージシャン』みたいなものを集積していったら、なんとなく“今の俺の興味の線”が見えてきたんですよね」
コメディのセンスは“最初の感覚”に戻れるか
――受け取る側で解釈のズレが生じるのはよいことだという話の一方で、スタッフさんや役者さんに、三木さんの脳内をズレがないように伝えなきゃいけないわけですよね? 書籍版の『音量を上げろタコ!なに歌ってんのか全然わかんねぇんだよ!!』も読んだんですが、主人公の脳内の思考がふんだんに書かれていて、この細かい思考を伝えるのは大変だろうなあ、と感じました。
「たしかに、書籍はほとんど個人作業、会っても編集者だけですが、映画は数十人規模の人に伝えていかなければいけません。そこではもうズレを含めて自分の懐に取り込んでいけるかが監督力だと思っています。もちろん基本的には、ズレが比較的少ない人達がうちのスタッフとして来ているんですけどね」
――キャストに関しては、今回は吉岡里帆さん、前回は亀梨和也さんと、三木聡組とは割と遠い場所にいそうな方を連れてこられています。書籍に書かれているような主人公の脳内の思想を伝えたりするのでしょうか?
「その部分は伝えず『脚本を初めて読んだときの印象を覚えておいてね』とは言っています。その最初の感覚に立ち返れるかどうかが、コメディのセンスなんですよね。舞台なんかは稽古も含めて3~4カ月やることもあるわけで、飽きたり、鮮度が落ちてしまっては困るんです。ダレてくると“芝居が流れていく”というか、たとえば『今、その話は初めて聞いたんだよね? なんで反応しないの?』『そのドアは初めて触ったはずだよね?』みたいなことが起こってくるわけです。だから“最初の感覚”という戻るポイントをきちんと作れているかが重要です。それは『自分の頭で考えるな』ということではなく、最初の鮮度をキープした上で、そこに色々な自分なりの思考を重ねていってもらうというイメージですかね。そうすることで、その映画の主演になっていってもらうんです。そういう意味で、亀梨も吉岡くんもきちんと主演になってくれました」
基本方針は変えず、表現方法はチャレンジを
――あらためて、今回の『音量を上げろタコ!なに歌ってんのか全然わかんねぇんだよ!!』は、前半はきちんと三木聡テイストの作品でありながら、後半はまた違う雰囲気になっていて素晴らしい作品でした。テレビドラマ、映画、書籍という媒体によってもブレず、時代にもブレない三木さんかっこいいです!
「面白さの基本構造については俺のやり方に忠実にいた上で、その表現方法についてはチャレンジしていきたいですね。とはいえ、基本方針は変わらないですけどね。まあ、仕事始めて40年以上経って、今更変えてもねえってところはありますよね(笑)。逆に、映画はこう、テレビドラマはこう、って感じで変えることができたら、もうちょっとまともな監督になってたと思いますよ(笑)。なんだか、ずーっとゲリラ戦を戦っている感覚なんですよね。他の同世代の監督は、大ヒットを飛ばしたり、世界的な賞をとったりして、どんどん出世していってるので、ときどき、あれ……おかしいなあって思うこともありますけどね(笑)」
(取材・文:霜田明寛 写真:浅野まき 映像:長谷川リュウヤ)
映画『音量を上げろタコ!なに歌ってんのか全然わかんねぇんだよ!!』
10月12日(金)全国ロードショー
≪ストーリー≫
リミット迫る“声の争奪戦”が今、はじまる!!!爆音!爆上げ!ハイテンション・ロック・コメディ!!
驚異の歌声をもつ世界的ロックスター・シン(阿部サダヲ)と、声が小さすぎるストリートミュージシャン・ふうか(吉岡里帆)。正反対の2人は偶然出会い、ふうかはシンの歌声が“声帯ドーピング”によるものという秘密を知ってしまう! しかもシンの喉は“声帯ドーピング”のやりすぎで崩壊寸前!やがて、シンの最後の歌声をめぐって、2人は謎の組織から追われるはめに。リミット迫る“声の争奪戦”が今、はじまる!!!
出演:阿部サダヲ 吉岡里帆
千葉雄大 麻生久美子 小峠英二(バイきんぐ) 片山友希 中村優子 池津祥子 森下能幸 岩松了
ふせえり 田中哲司 松尾スズキ
監督・脚本:三木聡(『俺俺』、「時効警察」シリーズ)
©2018「音量を上げろタコ!」製作委員会
配給・制作:アスミック・エース
公式Twitter: @onryoagero #音タコ