皆さんの中に、好きになってはいけない人を好きになってしまった事のある人はいますか?現実世界で言うと「友達の彼氏」や「既婚男性」なんて好きになると何かと厄介でしょうね……。「そんな経験ないし、しない」という女子の皆さんも良かったら読んでください。
というのも、私は、女性の中には皆、様々な女の顔が潜んでいると考えているのです!!
ある時は少女のように無垢な素顔で、守ってあげたい!愛おしいと思わせたと思ったら、ある時は魔性の女のようなメイクや立ち振る舞いで男性を惑わす。そんな、魔法を通り越して魔力のような魅力を持つ女性からは、何かと学ぶものがあるのは事実。
魔法なら、ある程度はメイクという外側から手を加えることでできるものですが、魔力までもっていくには、顔つきや表情や振る舞いも込みで、その人の内側からでないと作ることができません。そんな外側を演出しながら内側の自分の感情も相手の感情も上手にあやつれる女性は、男性にとって、どうしようもなく惹き付けられる存在になる……。『美女と野獣』の実写版を観て改めて思いました。
魔力を持つ女性には「好きになってはいけない人を好きになって、なおかつ振り回す」という特徴があります。好きになってはいけない相手の究極「人間とは違った種類の存在」を相手に描かれているのは、ファンタジーの最高傑作にして、ラブ・ストーリーの金字塔でもある『美女と野獣』だと思います。
『美女と野獣』の映画の中で、心も姿も美しい美女、ベル役に扮したのは『アデル、ブルーは熱い色』で監督と共にパルム・ドール賞を受賞という快挙を成し遂げたフランスを代表する女優、レア・セドゥ。
『アデル、ブルーは熱い色』ではレア・セドゥのボーイッシュな魅力がたっぷりでしたが、『美女と野獣』では、女性的な魅力が存分に発揮されていました。
とくに、ベルのメイク!
幻想的な映像を作り出すために、衣装もヘアメイクも芸術的なまでに趣向を凝らしているのは一目瞭然ですが、メイクもシーンごとに計算されつくされており、ついつい吸い込まれそうになります。
全体的にベルのメイクはそのキャラクター通り、透明感ある白い肌にイノセントな雰囲気なのですが、シーンごとに、キャンバスにまるで絵の具を塗り替えるように様々な色あいと表情を見せています。
雪と茨に覆われた森を駆け抜けるシーンでは、真っ赤なドレスに深紅の薔薇のような口紅、深い海の底のようなブルーのドレスには、ディープオレンジのチーク、少女のようにレース素材のナイトドレスの時は、陶器のようなつるりとした肌にナチュラルなメイク……というように。
そして、息をのむような美しいシーンが数々あるものの、一番印象に残り、かつ胸が締め付けられたのは、ベルと野獣のダンスシーンです。
最初は、父の身代わりに死を覚悟して野獣の元へ来たベルが、共に時間をすごしていくうち、愛に飢え不器用に愛を求めている野獣の切なさと過去に触れはじめます。そして「愛せない相手」だったはずの男性への気持ちが「愛してはいけない相手」と変わっていくとき(つまり好きになりはじめているとき)ベルの顔は、無垢な少女のような瞳から、男を操りはじめる伏し目がちな大人の瞳に変わるのです。
好きになってはいけない相手と、どうしようもなく距離が縮んでしまう時があると、人は、超えては行けない感情と行動の狭間で大きく揺れるもの。このダンスシーンには、距離が縮む事への警戒と興味、相手を好きになりはじめる予感と反発、急に大人びた態度をして線を超えて来ようとする相手に堪えきれなくなって自分から求めてしまい、拒絶される悲しい瞬間……といった男女の緊張感溢れる感情が入り乱れています。
これらを、ダンスという表現に凝縮させてあるからこそ、とても切なく美しいシーンになったのだと思います。
女性には、メイクという外側から作り出せる美しさと、内側からでしか作り出せない美しさの両方があり、その両方がピタリとはまった時に、無垢な面と大胆で大人びた面を持つ、男性を惑わす魔力という強い魅力を作り出すのだと思わずにいられない映画でした。
そんな「イノセントメイクの魔力」を学べる『美女と野獣』は、全国映画館にて11月1日公開。
【STORY】バラを盗んだ代償に命をささげるよう言われた父親の代わりに、若く美しい娘ベル(レア・セドゥ)が野獣(ヴァンサン・カッセル)の住む城に連れていかれてしまう。彼女は命さえ投げ出す覚悟で城に出向いたものの、毎晩同じ時間に野獣と夕食を取る以外何の制約も受けなかった。自由に城内を移動する彼女は、恐ろしい外見の野獣の意外な過去に気付く。