劇団「ゴジゲン」所属の俳優であり、脚本家・善雄善雄さんによる連載第3回。
今回は、高校時代・演劇部に入った善雄さんの“居場所”を巡るお話です。
「広い海の中の魚たちにはいじめなんてないのに、せまい水槽に閉じこめると、なぜかいじめが始まる」と、魚のことに詳しいさかなクンが言っていました。僕は本気でさかなクンに憧れています。あれだけひとつのことに真摯に打ち込んでいらっしゃる方を、尊敬しないでいるほうが難しい。敬意を込めてさかなさんとお呼びしたいが、クンまでが名前である以上、叶わぬ夢とも知っている。
さて、ごくごく個人的な辛く苦しい高校の思い出をお届けしているこのコラムも、いよいよ3回目となりました。身近な人からは、すでにネタ切れを心配する声が相次いでいます。
心配してもらえるのは嬉しいが、まっすぐな心配はときに残酷。本日もネタがなくなることに怯えながら、しかし出し惜しみすることなく、打ち込んでいきたい所存です。
今回は、せまい水槽の魚みたいだった自分の話です。
高校入学前から、演劇部に入ることは決めていました。
なので「やめとけ」という周りの忠告も耳に入らず、仮入部にも行かず、入部届を書いてそのまま提出しました。
その年の入部希望者は、僕以外にはいませんでした。
先輩も、2年生はゼロ。3年に女性が二人のみでしたが秋になるころには引退されていき、
気付けば広い部室の中、僕はたった一人の演劇部員となっていました。
そうなると、なにしてたの? と思われるでしょうが、やることなんてあるわけがない。
活動と言えば、部室に置いてあった台本を申し訳程度に読むこと。顧問の先生に「さすがに辞めます」と言って「えぇ~?もぉ~ちょっとがんばろぉ~よぉ~~~」と長めの語尾で引き止められること。あとは帰宅部よりも素早く家に帰るのみでした。
しかしそんな活動態度であろうと、肩書はついて回ります。
演劇部ということが知れるたび、
「やっぱりお前も、ド派手なメイクして、フリルのある服着て、『おおロミオ!』って叫ぶのか?」といった感じのことを、微妙なニュアンスだけを変えて言われまくるようになりました。
一部の高校生にとっての演劇のイメージなんて、シェイクスピアやミュージカルや宝塚をごちゃ混ぜにした漠然としたもので、
そしてそれが嘲笑の対象になるのだと、僕はそれまで知りませんでした。
よく知らないイメージでなにかをバカにすべきではない。それにメイクする気もフリルの服を着る気もない。っていうかなんで俺がジュリエット役なんだそもそも!などとツッコミどころは多々あれど、それを言ったところで特に変わることはなく、だんだんと否定することにも疲れていき、もう好きなように思えばいいと、いつしかなにも言えなくなっていきました。
それでも高校に入りたてのころは、頑張っていました。
休み時間などは積極的にクラスの男子に話しかけたり、演劇部ということをネタにされてもちゃんとツッコミ返せるよう準備したり、少しでも馴染めるよう努力しました。
しかしながら、どうにも空回る。
しかも男子達の話題は基本的に野球やサッカー選手の話などで、運動神経が皆無の僕には興味が持てず、こちらから振る話題も食いつかれず、ある日クラスメイトがしていた「風呂場でウ○コを漏らした話」なんかはみんな爆笑しているけどそこまでおもしろいとも思えず、同時に爆笑をかっさらったウ○コ野郎に嫉妬したりなどして、妙な焦りだけが募っていきました。
そうして頑張っていたある夜、家で風呂に入っていたら、急に泣き出してしまったことがありました。
泣いたその日、なにか嫌なことがあったわけでもなかった。ただどうにもうまく立ち回れないことが重なり、そんな自分が悔しくて、同時に寂しくて、涙が止まらなくなったのでした。ここで涙ではなくウ○コを出してたら、僕にも爆笑がとれただろうか。
振り返ってみれば、その程度で泣かなくてもいいのにと思います。
しかし当時は馴染めないのも、演劇に変な偏見を持たれるのも自分の力不足だと思っていて、
一人風呂の中でうずくまり、ただ泣くよりほかありませんでした。
そんな感じのまま高1の1学期が終わり、特にやることもない夏休み。顧問から、「富山県の演劇部を一同に集めた合宿があるからいってみたらぁ~~?」と、またしても語尾長めに言われました。
そうして特に気乗りもせぬまま合宿に向かい、宿舎に入ったところ、そこにはバカしかいませんでした。
「昼飯が出ないと知らず、あんぱん一個しか持ってないんだがどうしたらいいんだ!」とこの世の終わりみたいに騒いだり、
「帽子を被ったがため髪の毛がぺしゃんこになり、恥ずかしくてもう二度と帽子がとれない!」と帽子を被り続けたり、
「夜に女子の部屋に遊びにいきたいので作戦を立てよう、自然な流れのやつ」という会議をし続け、そのまま朝を迎えたり、
そんな環境に突然放りこまれ、気付けば腹を抱えて笑っていました。
高校に友人はほぼいませんでしたが、この合宿で出会った友人とは、いまだに連絡を取り合います。
先日も合宿の話になり、
「風呂で暴れたりしたよな」
と、忘れていた恥ずかしい行為を思い出しました。
どうやらこの合宿の夜、宿舎の大浴場にて、壁一枚隔てた先が女湯であることに誰かが興奮し出し、全員全裸のまま「こんな壁があるからいかんのじゃあ!!」と騒ぎ立てては、壁にドロップキックをかましてそのまま湯船に落下することを繰り返していたそうです。
しかし、昔のあやまちの肩を持つようで恐縮ですが、もちろん本気で壁を壊せるとか、ましてや壊そうなんてことは微塵も思ってなくて、
ただ少しだけ、いつもより大きな風呂の中で、大げさなことをしてはしゃいでいたかったのだと思います。
そしてそれを許してくれるような空気感がそこにはあって、それがすごく、嬉しかったんじゃないかと思うのです。
そんな気乗りしていなかったくせに楽しみ尽くした2泊3日の合宿を終え、家に帰った日の夜。風呂に入ってたら、またしても泣いていました。僕は風呂場でよく泣く。
またしてもなにを泣くことがあろうかと今となっては思います。でもそれは、高校に馴染めなくて流したのとは全然別のもので、
合宿が楽しすぎて、なんだか久しぶりに息をしたような心地で、
それが有難くて泣くという、わりと幸せな涙でした。
高校のころ、父からはよく「お前いじめられてんじゃないか……?」と心配そうに言われました。
辛く苦しい学園ライフ、さぞかし暗い顔もしていたことでしょう。
しかし、生きづらくてたまらなかったけど、直接なにかをされたわけではない。実際、いじめと呼ばれるような行為は一切ありませんでいた。
ただ、苦しくはあった。でも水槽のほかの魚にやられたというより、一人でせまいところに閉じこもって息ができなくなっていた。合わない水の中でジタバタと溺れていた。それだけだったのだと思います。
せまい風呂の中で泣いてるくらいなら、温泉にでも行けばいい。
今ならばそう思えるのに、当時はそれすら気付けなかった。仮に気付けたとしても、きっとなんにもできなかった。
でもこの先は、もう似たようなことに苦しまないと決めています。
確固たる意志で、ぬるま湯に浸かり続けてやるのです。
(文:善雄善雄)