劇団「ゴジゲン」所属の俳優であり、自身でも劇団「ザ・プレイボーイズ」を主催し脚本・演出を手掛ける善雄善雄さんが、ごく個人的で、でも普遍的な“あの頃”を綴る連載第8回。高校の文化祭での上演を終えた善雄さんのその後のお話です。
文化祭で誰も見てない劇の上演を終えてから、気がつくと僕は、学校のベッドで横たわっていました。
ストレスなのかはわかりませんが、なんだかとても腹が痛くて、それとどうしても一人になりたくて、逃げ込むように保健室のドアを叩いたのでした。
布団に潜り込み、ズキズキと悲鳴を上げる内臓を抱えながら、もうなにもしたくない、これ以上はなにも起こらないでほしいと、ただひたすらに祈っていました。
その年の文化祭は2日間開催で、次の日にも、同じ劇を同じ舞台上でやらなくてはいけないことが決まっていました。
それは初日のように全校生徒が見るわけではなく、見たい人間だけが見に来るというシステムでしたが、
一度劇が大惨事になってしまったトラウマは強く、保健室の天井を見つめながら、僕はぼんやりと、“劇をやらなくてもいい理由”を探し続けていました。
そんな保健室での休息は、一瞬で終わりました。
ふいに、二、三人の女子(ギャル)がドアを開けて乱入してきたかと思うと、僕の寝ているベッドのカーテンを勢いよく開け、急なことに戸惑う僕を認識すると、
「ちょっと違うんだけどー!」
と叫びながらカーテンを閉め、ケラケラと笑い始めました。
どうやら、隣のベッドにそのギャルたちの友人が体調不良で寝ており、様子を伺いに来たようでした。
いやいや。ははは。マジかこいつら。
本当に、ほんのちょっとでいいから、デリカシーというものを覚えて欲しい。
あまりのことに少し笑ってしまいながらも、この学校の中にもう平和な場所などないと気付き、保健室の先生の「親に迎えに来てもらって早退したら?」という提案をすんなり受け入れました。
すぐに仕事を休んで来てくれた心配性の父の車に乗ると、そのまま病院に連れていかれました。
辿り着いた内科医で、あれやこれやと検査をしてもらいながら、
もしかしたら、このドランクドラゴンの塚地のような顔をした医者の先生が「明日の舞台はやめておいたほうがいい」と言ってくれるかもしれない。ドクターストップともなれば誰も僕を責めたりはしないだろう。そんな淡い期待を胸に、先生の言葉を待っていました。
そののち、検査を終えた先生は
「原因は、わからないです!」
と、元気よく言いました。
そうですか。元気よく言うことではないと思いますけど。まぁおそらくストレスだとも思いますけど。
そんな頭に浮かんだ一連の言葉はとりあえず飲み込み、
「明日文化祭で、演劇の舞台をやる予定なのですが…」
と、憔悴しきりながら、頼むから止めてくれと祈りを込めながら伝えると、
先生は、
「大丈夫!できますよ!」
と、とても力強く言いました。
なんで力強く言えるんだよ。あんた原因すらわかんないくせに。
その後、塚地はとてもいい笑顔でこちらを見ていました。
ああ、どいつもこいつも無責任に、僕の背中を押しやがる。
今立ってるのが、崖際なのかもしれないってのに。
次の日、どうにかして起き上がり、這うようにして学校へ行き、昨日と同じ舞台をやりました。
今回は、前日と違って希望者だけなので、見てもらえているという感覚はありましたが、
それでも、劇中に何度も前日のトラウマがフラッシュバックし、
やっぱりやってよかったなと思うには、至りませんでした。
片付けも終え、ただただ疲れた、また保健室にでも行って早退しちまおうかと考えていたところ、
学年主任の先生が、
「体調大丈夫?さっき舞台見た生徒がね、おもしろかったって言ってたよ」
と、話しかけてきました。
お前は見てねぇのかよ。とも思いましたが特にそこには触れず、ちゃんと見てくれてる人がいたことには少し救われました。
「昨日は、途中からわかんなかったらしいから」
ええまぁ、そうでしょうね。体育館中の生徒が喋ってましたからね。
「いやでも昨日ね、君の声がねー、聞こえづらかったんだよね」
…えっと?
いや、たしかにそうだったかもしれないけども。
昨日の惨事も見てるし、今の体調不良も知ってますよね?え、ここでダメ出しする必要あります?
その前にあんたさ、昨日一言でも、騒いでる生徒に「静かに見ろ」とか言ってくれたの?学年主任ってたまに聞くけどなんなの?なにを任されているというの?
…そんな一連は案の定言えず、適当に相づちをして受け流し、その場をあとにしました。
もう、この高校のすべてが、嫌いになりそうでした。
そうして文化祭も終わり、日常に戻って1ヶ月も経たないころ。
朝起きると、僕以外の家族はもう出かけており、
僕も学校へ行かなきゃと思ったのですが、
なんだか面倒になってきて、今日くらいいいか、という気分になりました。
そのまま学校に電話して休む旨を伝えればいいのですが、なんだかそれも面倒で、どうせいないことに気付いた教師がそのうち電話してくるしいいやとのんびりしていると、案の定担任の先生から家に着信がありました。
「どうしたの?」と電話口で聞く先生に対し、
「風邪です」などと、適当な嘘でも吐けばよかったのですが、
「いや、なんか面倒になっちゃって」
と、なぜか正直に答えてしまっていました。
当然ながら先生は、「今から来なさい」と言いました。
「いえ、ちょっと行けないです」
「なんでよ?」
「今日はちょっと…いいかなって」
「だって、病気じゃないんでしょう?」
「病気です病気です。…心の病気です」
これまで頭に浮かんだ大体の言葉は飲み込んできたのに、
気がつくと僕は、そんなことを口走っていました。
先生は、しばらく黙ったのち
「…明日は必ず来てね」
と言って、電話を切りました。
もうなにをやっているのか、自分でもわかりませんでした。
次の日、約束通り登校すると、先生から「放課後、生徒指導室に来るように」言われました。
これは怒られるやつだなあと思いながら、でももうどうでもいいやという感覚で、指導室のドアを開けました。
生徒と個別面談をすることを目的として作られたその狭い部屋は、中央にテーブルを挟み、向かい合わせでソファが二つ置いてあるだけの簡素な場所で、こんな部屋あったのか、文化祭のときにこのソファで寝れたらよかったのになぁなどと、僕はお門違いなことを考えていました。
促されるままにソファに対面で座り、さぁお説教をどうぞと覚悟を決めていると、
先生は神妙な面持ちで、
「今日呼んだのは、君のことが心配で…。クラスに、馴染めてないんじゃないのかなって…」
と、言いました。
てっきり昨日学校をさぼったことを怒られると思っていたので、突然の心配に拍子抜けし、「いまさらそんな当たり前のことを言われるなんて!」と思い、なんだか急に笑いがこみあげて、ソファに転がるような勢いで笑い出してしまいました。
そうだよ。その通りだよ、先生。
馴染めてないんだ。
そしてもう、どうしていいのかも、わからないんだ。
先生。先生。先生。
いろんな先生がいますね。
あなた方と年齢が近くなった今、この頃からたいして成長できたとも思えぬ今、あなた方がどれほど大変だったかようやくわかるようになりました。
先に生まれたからと言って、全員が立派になれるわけでも、若い人の気持ちがわかるわけでも、決してないのだと。
でも、そのことに気付く余裕なんて、当時はどこにもありませんでした。
同じように、このころの自分はおかしかった、ということにも。
生徒指導室の中で狂ったように笑い続ける僕を、先生は困ったような顔をして、何も言わずに見ていました。