こんにちは!善雄善雄です。
この連載もいよいよ14回目を数えますが、前回の更新から、驚くことに1年半以上もの時間が経っています。
言い訳を、させてください。
私事で恐縮ですが、さかのぼること約1年半前、子供が産まれました。
いかがでしょうか。こういっためでたいことを言い訳にされると、「なんか仕方ないか」という気持ちになりますよね。
そんなものは理由にならないと思われた方、人の心はお持ちですか? というのはもちろん冗談ですが、なかなか手一杯な時期も多くありまして…引き続き育児もがんばっておりますので、どうか寛大なお心で見ていただけたらと。
さぁさぁあらためましてご無沙汰しております。
「永遠のオトナ童貞のための文化系マガジン チェリー」にて、高校時代の暗い思い出を書き殴る連載、「卒業をさせておくれよ」です。
まだ幼い息子よ。きみが成長したとき、40歳近くなって20年以上前のトラウマを書き続ける父を、どんなふうに感じるのだろうか。
そして、更新が遅くなった原因はもう一つ。
私が主宰で作・演出を務める劇団の公演をがんばっていた、というのもあります。1年半もサボると言い訳ばかりになるものですね。
僕が大学2年のときに旗揚げし、なんだかんだと約18年が経つ僕の劇団の名前は、
「ザ・プレイボーイズ」
といいます。
本当に、なんでこんな名前をつけてしまったのか。約18年、文字列を見るたびに後悔しています。
ダサい、文字数が長い、「・」のせいで入力もめちゃくちゃ面倒くさいSNSとの相性も最悪。百害あって一利なし。
思えば昔から、なにかの名前を付けるとき、おかしなものにしたがる癖がありました。
僕が高校に入学した20年近く前は、携帯電話がスピード普及の真っ只中で、
僕と同年代の子達は、だいたい中学の卒業と同時に親に買ってもらう、というのがスタンダードでした。
インターネットもあんまり見れない、電話とメールぐらいしかできないガラケーオンリーの時代。
手に入れた携帯で最初の方にするのは、メールアドレスの設定でして、
名前のローマ字表記にしたり、ランダムの文字配列をそのまま使ったりの人が多い中、
僕の初めてのアドレスは、
「moukon@xxxxx.ne.jp」
というものでした。
もちろん、毛の根っこ、という意味の、「毛根」です。
まだ誰も使っていないアドレスを探し、いろいろ試した結果、最終的に「fukadume(深爪)」との二択になり、深爪は縁起が悪いのでは? と思って毛根にしました。縁起よりもっと大事なことがあるだろ。
当然、親にまで「なんだそれ」とバカにされましたが、当時の僕には作戦がありました。
それは、女子と連絡先を交換する際。
こういうおかしなアドレスにしておくことで、会話の糸口になる、というものでした。
この作戦は意外にも正しく、高校の中でアドレスを交換した女子などついぞいませんでしたが、
演劇部の横の繋がりで、他校の女子と交換する際には、
「アドレスおもしろいね!」
と、わりと好感触な食い付きがあり、「作戦通りだ…!」と思いながらも、
その後の流れは特に想定できてなかったため、
「え、あ、うん…」
と、照れに照れてなにも言えない始末。食い付いた方もびっくりです。最後まで面倒見れないくせに、餌だけは撒くなんて、1番やっちゃダメなやつ。
そうして毛根のまま僕は高校3年間を過ごし、大学に進学するタイミングでやっとアドレスを変えたのですが、
そのときも
「top-ni-nattyaru(トップになっちゃる)」、というものにしました。
これから東京に行って一旗あげてやる、という田舎者の、間違いだらけの気合いでした。
なぁ、昔の俺よ。
青春時代に「痛い」と呼ばれる行為で、お前が回避できたことは、なにか一個でもあるのかい?
まだまだ恥ずかしい話を続けます。
あれは、県内の演劇部が集まる真夏の合宿にて。
行き帰りは高校の制服着用が義務でしたが、合宿中はほとんどの生徒が、ジャージにTシャツなどで過ごしていました。
そんな場所でなんて、誰がどう考えても無難なものを着とけばいいものを、
2年のときも3年のときも、僕は背中に“文字”の書いてあるTシャツを選びました。
「おもしろTシャツ」、などという商品名の、ドンキとかで売ってる例のやつです。共感性羞恥をお持ちの方は、これ以上読まない方がいいかもしれません。
背中の文字はそれぞれ、2年時が「復讐」、3年時が「俺の人生 珍生やぁ」というもので、
2年の時にいたっては、自分で、白Tに黒マジックを使って手書きしたものでした。わざわざ印刷したフォントを透かしながら清書した、手作りの一品です。思い出すだけで震えが止まらない。タイムマシンがあったら、「今すぐ燃やせ!」と製作中の部屋に怒鳴り込んでやれるのに。
なぜこんな真似をしたかというと、少しでも目立ちたかったからです。そしてこういう微妙な小道具に頼る以外、当時の僕には思い浮かびませんでした。
あとおそらく、なにかを選んでダサいとバカにされるより、これはボケてるだけ、みたいな逃げ道を用意していたかったのだと思います。
それこそダサいことだと気付くには、だいぶ時間がかかりましたが。
そもそも、ちゃんと自分を客観的に見れてたら、演劇部には入っていなかったことでしょう。
高校に入学してすぐのころ、中3の夏期講習から通った塾の先生にたまたま会った際、
「部活決めた?」
と聞く先生に、
「演劇部にします」
と答えると、
「それはやめとけ。「どう見られるか」もちゃんと考えないと、モテないぞ」と言われました。
その言葉を、当時の僕は深く気にすることもありませんでしたが、あとから思えば本当にその通りだったなと思います。
演劇部に入ってみて感じたのは、思ったよりも演劇部というものに対する偏見が強いこと。
そして、それはどうやらバカにされるタイプのものであるということを、僕はなにも知りませんでしたし、
もしそういう目で見られても、ちゃんと説明すれば問題ない、などと思っていました。
しかし、丁寧に説明する力もなければ、向こうもそこまで興味がない。
それに、自分をカテゴライズしてバカにしてくるような人間になにかを説明するというのは、思っていた以上に疲れることでした。
卒業アルバムや生徒手帳を見返すと、時間を追うごとに、自分の見た目がどんどん汚くなっていくのがわかります。
特に高校3年の時なんて、基本的に髪の毛はボサボサで、写真は死んだ目をしてるか目をつぶっているかのどちらかでした。
それは、長すぎる前髪が目に入っていたせいかもしれませんが、きっと、レッテルやイメージとの戦いに疲れ切り、もうどうでもいい、どうとでも思えばいいと、見た目に気を遣うことをやめたのだと思います。
髪も髭も伸ばしっぱなし。私服は文字の書かれた痛いやつで、演劇部に入ってる、メールアドレスもやべぇやつ。
それが、高校時代後半の僕でした。
演劇部のイメージ悪くしてるのお前じゃねぇのかと、タイムマシンで伝えにいっても、あのころの僕にはきっと、届かないだろうと思います。
ただ、合宿で変な服を着ていても、変なアドレスを設定していても、高校や大学で出会った演劇の仲間たちからは、不思議なほどバカにされたりはしませんでした。
むしろ、少しでもなにかおもしろいことをしてやろうという行為を、彼らはいつでも称賛してくれた。
それはきっとみんなが、演劇を選んで傷ついてきたせいもあるのでしょう。
あのころ、演劇に関わることで受け取った優しさは、いまだに僕がこの業界や、変な名前を背負うことを続けてしまう原因でもあると思ってます。
勝手なイメージで、なにかを決めつけてはいけない。
そんな単純だけど難しいことを、気付けば先日の公演でも描いていましたし、きっとこれからも「ザ・プレイボーイズ」や「善雄善雄」として、描いていくのだろうと思います。
ちなみにですが、昨年産まれた子供の名前は、なるべく簡単で読みやすくて、まったく珍しくない、普通の名前を選びました。
いつかうちの子も、変な名前をつけたり、名乗りたがったりする日が来るのだろうか。
決して個人の判断は否定しないけど、そのことによるメリットとデメリットをちゃんと説明できる言葉を、
たくさん失敗した父は、ちゃんと持っていたいなって、思うよ。