「あんたの見てる未来ね、それ全部過去よ」
実際にありそうな日常風景を描きながらも、おそらくは日常では出会えないような言葉を投げかけてくれる登場人物たち。
岸田國士戯曲賞・向田邦子賞も受賞した劇作家・前田司郎の映画監督としての第2作となる『ふきげんな過去』。前作『ジ、エクストリーム、スキヤキ』とともに、観た人が、自分の過去をそっと重ねたくなるような作品となっている。
いなくなったはずの誰かがやってきて、退屈な日常が少し彩り始め、過去の捉え方が変わっていく……。今回は、二階堂ふみが演じる女子高生・果子(カコ)のもとに、叔母である、小泉今日子演じる未来子(ミキコ)がやってくるという設定だ。
青春という過去をひきずりながら現在の日常生活を送っている、“永遠のオトナ童貞のための文化系マガジン・チェリー”としてはドンピシャだったこの作品。そこで、チェリーは前田司郎監督に独占インタビュー。
作品やキャストの話はもちろん、未来と過去の捉え方、社会性がなくてもモテる人、普通の運命に生まれてきてしまった人の創作についてなど……を伺った。
想像する未来が過去でできていた
――前作『ジ、エクストリーム、スキヤキ』も『ふきげんな過去』も登場人物の過去の捉え方が変わっていく物語であるという印象を受けました。前田さんの中で、過去というのは重要な概念なのでしょうか?
「自分ってなんだろうな、って思ったときに、自分っていうものは過去でできてるな、と思い至ったんです。今の体の肉も皮膚も過去に食べたものでできているし、記憶も性格も、ほぼ全てが過去のもので自分が構成されている。自分って、今で構成されている部分よりも、断然、過去で構成されている部分のほうが多いな、って思ったんです。
で、そのあと未来はどうなんだろう、と思って。そうしたら、未来も過去でできている、って思ったんです」
――それはどういうことなんでしょうか?
「ちょっと考えたんですよ。例えば、今みたいに仕事をしていったとして、この先、売れたとしてもそこそこだろうな……とか。だいたいこれくらいの収入で、このぐらいの生活をしていくんだろうな……とか。
でもその“このぐらいの生活”も、結局今までの自分の経験とか、人から聞いた話での推測になるじゃないですか。過去に得た経験や情報で未来を推測している。つまり、想像する未来が全部過去でできていたんです」
果子が感じる“未来”感
――なんだかちょっと絶望的な話に聞こえます。
「でも、本当の未来は過去じゃできていない……ですよね? 明日世界が滅びちゃうかもしれないし、そこには誰も知らない明日がある。そのズレに気づいたときに、ちょっとラクになったというか、嬉しかったというか。
特に若い頃って『俺はずっとこのままだ……』って思いがちじゃないですか」
――『俺はこのままモテないまま終わる』とか。
「そうそう、『俺はずっと童貞のままだ……』なんてリアルに思えてきて、絶望……まではいかなくても、希望を失ったりするじゃないですか。でもそれは、ただの過去からの推測でしかないから、すごく浅はかで……。実は、未来はもうちょっと、予想できないことが起こる。そんなことを、今回、主人公の果子も感じるのかな、と思うんですよね」
“破天荒”と小泉今日子と窪塚洋介
――そんな果子に、予想できない未来を見せていく役を、小泉今日子さんが演じられています。前作『ジ、エクストリーム、スキヤキ』では窪塚洋介さんも起用されていましたが、破天荒な役を演じるとハマる役者さんというか、枠におさまらないようなタイプの方とご一緒される傾向があるんですかね?
「そういう人のほうが好き……なんですかね(笑)。いや、でも破天荒な人なんていないんじゃないかな。破天荒な部分を取り上げてニュースに流すと破天荒に見えるけど。窪塚さんは特にそうで、僕もマスコミを通したイメージだとちょっと怖かったんですよ(笑)。でも、実際に会うとめちゃめちゃ真面目で。
しかも、真面目であることを肯定していない。実は自分が真面目なのが嫌なんだけど、でも真面目な人なんです。その真面目さが純粋すぎて、逆に破天荒に見えるんですよ。それが魅力的でした。もちろん2人を同列には並べられないですけど、小泉さんにもそういうところがあるんだと思います」
社会性がなくてもモテる人、モテたら魅力がない人
――他のキャストの方でいうと、板尾創路さんの役が、異様に女性にモテる役で羨ましかったです。
「社会的な能力は低いんだけど、すごいモテる人っているじゃないですか……。自分も憧れがあったのかもしれません(笑)」
――『ジ、エクストリーム、スキヤキ』にも主人公たち二人が、顔はかっこいい自分たちがモテないのを、社会性のなさのせいにする会話がありますよね。
「社会性がなくてもモテる人はいて、勝手な想像ですけど、板尾さん自身もお笑い芸人やってなかったらそうなってたと思うんですよ(笑)。でも、板尾さんはかっこいいけど、高良健吾くんのかっこよさとも違うと思っていて。意外と板尾さんのほうがモテる気がするんです……」
――も、もう少し詳しくご解説願えますでしょうか?
「高良くんは、モテちゃったら、あんまり魅力がないと思うんですよ。あれだけ人もいいですから、その上、女性へのあたりも良くて……みたいになっちゃうと、たぶんつまんないイケメンになっちゃうと思うんです。どちらかと言うと、高良くんは男にモテるタイプですよね。顔もめちゃめちゃかっこいいんだけど、女性としては、好きだけど付き合いたいとは思わないタイプだと思うんです(笑)」
「ここじゃない世界」といえる羨ましさ
――この高良健吾論を聞くと、映画の中での二階堂ふみさん演じる果子と、高良さんが演じる男・康則とのセリフのやりとりが、ジワッと染みてきます。冒頭から『ここじゃない世界』に行きたいと言っている果子が、いざそれを彼に誘われると拒絶しますよね。
「果子は頭のいい女の子だと思うんですよ。18歳の女の子で、背伸びもしてるけど、でもやっぱり幼いところがある。『ここじゃない世界』って、よく使われる言葉だけど、大人になると恥ずかしくて言えなくなる。でも、それが言えちゃうところが羨ましくもありますよね。ただ、康則に誘われる『ここじゃない世界』は、言葉は一緒だけど、概念が違ったんでしょうね」
――そして果子は「あなた、運命は数奇だけど、中身からっぽじゃない!」というセリフを男につきつけます。数奇な運命の人こそが創作する、みたいなイメージもある中で、素晴らしいセリフだったと思います。
「数奇な運命を売りにすることがそんなにかっこいいことだと思っていなくて」
――それは、前田さんが東京のそれなりに裕福な家庭に育った、すなわち数奇ではない運命のもとに生まれたからなんですかね。
「うーん、確かに、割と恵まれた生活をしてきたんですけど、そういう数奇な運命の人たちに、コンプレックスがあったかというとそうでもないんです」
衣食住足りてるからこそ、考えられることがある
――数奇な運命ではないけど、日常をきちんと過ごしているからこそ、表現できるものがあるということでしょうか?
「前にワークショップで大学生や高校生と話していたときに『自分たちは戦争も経験していないし、割と安定した日本という国に住んでいるから、何を書いていいかわからない』って言われたんですよ」
――確かにそう感じてしまう気持ちはわかる気がします。
「でも、社会的な圧力とかがない分、内面のことで人間は悩みを見つけるじゃないですか。衣食住足りてても、人は不満を抱える。むしろ、衣食住に不満があると、どうしても社会に対しての思いみたいなものを作品に書かなきゃいけなくなる。でも僕たちはそうじゃない不満の部分を掘っていける。『人間ってどういうことだろう』とか、暇で裕福な人しか考えられないことを考えることができるんじゃないか、と思うんですよね」
――それは前田さんの中で、売れた今も昔も変わらないスタンスなんですか?
「いや、まあ、今も売れてないですけど……そういうことを考えることはできました。実家だったんで、食えない時期から、食えてたんですよね(笑)」
(取材・文:霜田明寛)
6月25日(土)テアトル新宿他全国ロードショー小泉今日子 二階堂ふみ
高良健吾 山田望叶 兵藤公美 山田裕貴 / 大竹まこと きたろう 斉木しげる / 黒川芽以 梅沢昌代 板尾創路
監督・脚本:前田司郎
製作:「ふきげんな過去」製作委員会
©2016「ふきげんな過去」製作委員会