キャラ、カースト、スペック……etc.数値化できない印象による“枠”に押し込められて息苦しい現代に生きる私たち。
しかし映画『海月姫』の中のキャラクターを観ていると、そんな世の中でも本当に好きになれる自分に出会えるかもしれないと思えてくる。
そんな東村アキコの原作マンガを映像化した映画『海月姫』が、公開から1カ月以上経つにも関わらず、勢い衰えることなくヒット中だ。 主人公、月海(能年玲奈)を含むオタク女子たちが共同生活を営むのは“天水館”という一軒家。男子禁制のこの場所で、全員が定職に就かず、仕送りで生活をしながら趣味に没頭している。
そこに月海のピンチを救ったことがきっかけで“美人すぎる女装男子”で“キラキラしたコミュ二ティに所属する”男子・蔵之介(菅田 将暉)がこのユートピアへ入り浸るようになる。
デリカシーがなく、人のトラウマにも土足で踏み込む彼と、迎合する気のない保守派の彼女たち。そんな不思議な生活が続くある日、天水館を取り壊すという話が持ち上がり、蔵之介と彼女たちは地上げ屋に対し共闘することになっていく……。
そんなオタク×リア充の交わるはずのなかった世界の人間同士が出会い、お互いにとって居心地のよい場所が作られていく。この物語には“自分らしく生きる”ヒントが多く散りばめてあった。 その中から、特に“❝オタク女子❞はオシャレ人間になぜ、勝てるようになるのか”“イケてる人の居場所は本当にリア充コミュニティなのか”の2点について考えさせられたので取り上げていきたい。
■❝オタク女子❞がオシャレ人間に勝てる理由
以前ほどは“地味”や“暗い”といった印象ではなくなった“オタク”というポジション。 しかし自分に自信がない人(本来の顔立ちに関わらず)にとっていまだにポジティブな肩書ではない。
まさに本作に出てくるオタク女子たちもそうであろう。 しかし彼女たちの独自性ある専門知識は武器だ。淘汰されてきた存在だからこそ、彼女と同じ視点を持った人間は少ない。
劇中、月海がクラゲをモチーフにしたドレスをデザインできたのも、千絵子(馬場園梓)が着物に傾倒していたがゆえに複雑な縫い方でドレスをしたためたこともそうだ。 彼女たちが専門性ある己の道で生きてきたからこそ世に出せた、新しい価値あるものなのだ。
世の中の多くの人々は、常識ある社会生活を営むという側面も含め、はみ出さないように気をつけて服や言葉を選ぶようになる。外見だけではなく、話し方から趣味に至るまで、中身も調整する。他人から見られた時に違和感を持たれる歪なものを消そうとする。
そんな“常識的”な彼らに対し大衆に背を向けざるを得なかった彼女たち。その人が、誰になんといわれようと大切に抱いてきたものは、周りが“大人”になった瞬間、宝ものになる。
型破りと呼ばれるアイデアやセンスの斬新さは、彼女たちがずっと育てていたものだ。
花開いたいま、“常識人”ごときが摘むことも、簡単に真似ることはできない勲章がこの映画の中では何度も輝いていた。 不遇の青春を送ってきた人にこそ観て頂きたい作品だ。
■イケてる人の居場所は本当にリア充コミュニティ?
蔵之介は大学でもキラキラ女子たちに囲まれ、“リア充コミュニティ”に所属している。しかし彼は天水館に入り浸れるようになると、そのコミュニティには一切顔を出さなくなってしまう。
彼が本当にやりがいを感じることは、周囲から求められるテンプレートなリア充な自分のままで、キラキラしたコミュニティで青春を謳歌することではなかった。
女の子を綺麗に変身させることや、本当に大切に思える仲間たちとオリジナルのドレスを作ることだったのだ。 そんな彼の“どのコミュニティも渡り歩けるコミュニケーション能力”は天水館を取り壊そうとする業者に住人の気持ちを代弁することに役立つ。
彼の“オタク達にとって型破りな助言”が結果的に彼女たちの外の世界にも通用する自信と魅力を引き出すこととなった。
自分は本当にまわりが思っているような人間なのか。自分にとって今いる場所が一番合っているのか、自身の容姿やコミュニケーションのスキルとは一見合わないけれど、自分を生かせる意外な居場所があるのかもしれない。
(文:小峰克彦)
『海月姫』公開中 (C)2014『海月姫』製作委員会 (C)東村アキコ/講談社