「浅田真央、現役復帰――」
ニュース番組で、本人から“復帰”という言葉がハッキリ口にされた時、思わず目がウルッとしてしまいました……。
1ファンとして、やっぱり「試合での、アスリートとしての浅田選手がまた見たい!」
実はそう願っていた自分に気づかされたのです。
浅田真央が求め続けた「達成感」とは?これまでの軌跡を一挙振り返り
復帰の理由のひとつとして、「試合で良い演技ができた時の達成感を味わいたい」と語った彼女。思えばシニアデビューの15歳からこれまでずっと、何よりも「やり遂げること」にこだわっていたように思います。そこで、彼女が歩んできた挑戦の道のりを、マルっとダイジェストで振り返ってみたいと思います!
15歳 天才少女シニアデビュー!そして衝撃のGPF優勝(2005-2006)
スケート界では小学生の頃から「天才少女」と言われていた彼女の存在が、一躍全国区になったのはシニアデビューしたこの年。
当時の世界女王イリーナ・スルツカヤ(ロシア)を破って優勝した、衝撃のグランプリファイナル。演技が終わった後の「やったああ」という、ピュアなドヤ顔を覚えている人も多いのでは?
16歳 「パーフェクト」にこだわり、涙も見せたシーズン(2006-2007)
このシーズンから拠点をアメリカへ移し、さらなるステップアップを試みました。
この時期はしきりに「パーフェクトな演技を」と口にしており、「ああ、この子が戦っているのは、勝ち負けよりも、自分自身なんだな」と、まだあどけなさが残る少女の中のアスリート魂に感激しました。
17歳 表現力の飛躍、そして初めての世界女王へ(2007-2008)
一気に身長が伸びたこともあり、少女から女性のイメージと変化を遂げたのがこのシーズンです。
ショートプログラム『ヴァイオリンと管弦楽のためのファンタジア』は、ファンの中でも屈指の人気ナンバーです。後半の情熱的でドラマチックなステップは、それまでジャンプばかりが注目されがちだった彼女が、実はステップや表現力でも世界トップクラスであるということを世に知らしめました。
世界選手権のフリープログラムでは、トリプルアクセルのジャンプ前に大きく転倒するというアクシデントに見舞われながらも、高難度のコンビネーションジャンプなどを決めて初優勝。その瞬間をテレビで見ながら、わたしも涙したのを覚えています。
18歳 今までみたことのない浅田真央(2008-2009)
このシーズン、フリープログラムで滑った『仮面舞踏会』について、当初メディアや解説者は「彼女に合わない」「選曲ミスだ」などと評価していました。
確かに、それまで軽やかで柔らかいイメージが強かった彼女にしては、とても重厚でダイナミックなこの曲。
しかし、二度のトリプルアクセルを取り入れるという、曲のスケールに負けない“鬼構成”で、毒を盛られ苦しむ貴婦人を熱演。シーズン最後には彼女の代表プログラムと言われるほどに、自分のものにしていました。
19歳 苦しみ抜いて辿りついた夢のオリンピック(2009-2010)
日本国民の期待を一身に受けて臨んだバンクーバーオリンピックシーズン。しかしまさかの、出場があやぶまれるほどの不振に陥り、苦しそうな表情を見ることが多かったように思います。
それでも「一試合で3度のトリプルアクセル」にこだわり続ける姿は、ある意味とても頑固。「百発百中を目指す」と練習し続けるその姿が報道されるたび、「どこまでもアスリート」だと感じました。
そしてついにバンクーバーオリンピックでその目標を成し遂げ、銀メダルを獲得。小さなミスに「納得していない」と涙しましたが、それでも鬼気迫るような演技には、多くの人が感動しました。
20歳 1からのリスタート アスリートとしての信念(2010-2011)
4年後のソチオリンピックを目指して、全ジャンプの矯正を開始。これは20歳を迎える女性にとって、身体的な問題もあってとても困難なことなのだそうです。
なかなかすぐには形にならず、それでも試合から逃げない彼女は、やはり“男前”だと思います。
ショートプログラムで演じた『タンゴ』は、最後までパーフェクトな演技は見られませんでしたが、とても素敵なプログラムだったので、また見たいと思うプログラムの1つです。
21歳 スケートを辞めようとさえ思った、苦悩のシーズン(2011-2012)
ジャンプの矯正が少しずつ結果に出始めるも、代名詞のトリプルアクセルはまだ不安定な状態。シーズン途中には最愛のお母様を亡くされ、世界選手権では自身ワーストとなる2年連続の6位。
「これまで何をやっていたのかな……」と失意の表情を見せた時には、「神様はこんなにひたむきな子に、なんて試練を与えるんだろう」と、矛先のわからない憤りを感じたものです。
22歳 笑顔と貫禄が備わった、充実のシーズン(2012-2013)
シーズンが始まる前、「もうこのまま、彼女の演技が見られなかったらどうしよう」とすら思っていました。
ところがこの年、彼女はとびっきりの笑顔で戻ってきてくれました。
振付師のローリー・ニコルが「真央が練習に来るのが楽しくなるように」という思いで選曲したという、ショートプログラムの『アイ・ガット・リズム』や、エキシビションの『メリーポピンズメドレー』は、シニアデビュー当時を彷彿とさせるような天真爛漫な演技。
一方、フリープログラムの『白鳥の湖』では、王道のクラシックバレエ曲を円熟した大人の演技で魅せました。
これまでの彼女の全ての努力が結果にもつながった、充実のシーズンだったと思います。
23歳 すべてを捧げた集大成の演技(2013-2014)
そして、まだ記憶に新しいソチオリンピック。
自身のこれまでのスケート人生の集大成として臨みながら、まさかのショートプログラム16位発進。彼女のキャリアの中で、経験したことのないような順位だったはずです。
この時もまた、わたしはいつかのように思いました。「神様どうして……」と。
しかし翌日、彼女が見せてくれたフリープログラムの演技は、まさに集大成の演技でした。「自分のスケート人生」を表現したというこのプログラムは、技術的にも、表現的にも、やれることすべてを余すことなく詰め込んだ、まさに「浅田真央以外に誰も滑れる人はいない」というくらいの濃すぎる内容。
ラフマニノフの美しい旋律に乗せて疾走するラストのステップでは、わたしはもう涙腺が崩壊して、画面が滲んでしまっていました (今でも思い出しただけでウルウルしてしまいます……) 。
「これで引退かもしれない」と言われたソチ直後の世界選手権では、まさに花の雨のように、スタンドからリンクへ観客からの感謝の花が降り注ぎました。
100%楽しみすぎる!浅田真央のこれからの挑戦
こうしてザッと振り返っただけでも、自分にずっと挑戦し続けてきた浅田選手。
フィギュアスケート女子シングルの選手の多くは、肉体的ピークが10代のうちに来ると言われています。しかしスケーティング技術や、表現力に円熟味が増すのは20代以降。
ですから浅田選手のように、ジュニア時代から今までずっとトップクラスで活躍するということ自体が、ものすごいことなのです。
会見で「100%復帰するつもりでやっている」という言葉で、これからも挑戦し続けることを宣言した彼女。逃げ道を作ったり、言い訳をしたりしない彼女らしい表現だなと思いました。
一体、どんな演技を見せてくれるんだろう?
それを考えると、まだ夏もこれからだというのに、冬の到来が待ち遠しくなってしまいます。
(文:佐藤由紀奈)