ー3カ月前、童貞を捨てた。思ったほど、世界は変わらなかったー
チェリーについて

「佐村河内守の純愛映画として撮っています」森達也が語る『FAKE』

一番、取材したくない人を取材することになってしまった。いや、ある意味では、一番取材したかった人だ。どちらか、ではない。その両方だ。
直接会って話を聞きたい気持ちも大きかったが、会ったら、まだまだ自分の存在の浅はかさを見透かされてしまいそうで怖くもある。

森達也さん。オウム真理教の内部を撮ったドキュメンタリー『A』『A2』で注目を集め、現在公開中の映画『FAKE』が15年ぶりの単独監督による長編映画となる。こちらは、2014年にゴーストライター騒動で注目を浴びた佐村河内守氏を撮ったドキュメンタリー映画だ。

そして僕は大学時代、森さんの授業を受けていた。多くのことを教えてもらい、その教えは8年経った今も僕の思考の中枢をなしている。人は多面的であること、人は集団の中で麻痺し、集団は暴走すること、カメラを向ける行為自体が加害であること、どんな映像にも文章にも個人の視点が存在することetc……。

『FAKE』の公開にあわせ、配給会社の東風さんから、『森さんを取材しませんか?』とのお誘いを受けた。森さんへのインタビュー。もちろん、公開が前提だ。そして、公開されているものが、今皆さんが目にしているコレだ。

今回はインタビューを2パートにわけた。
ひとつのパートは音声で収録。それを、ほぼそのままアップした。冒頭に音声をつけた以外は、編集はしていない。僕が恩師を前に、しどろもどろになっている様子もそのままだ。

先日、『久米宏ラジオなんですけど』に森さんが出演したときも発していた「質問の意味がよくわからないんですけど」が自分に発せられて焦った。公開するのが恥ずかしいくらい、下手な質問をしてしまっているが、しょうがない。

もうひとつのパートが以下のインタビュー原稿。音声部分とは別に話してもらった内容を文章化している。とはいえ、書き起こしたもののそのままではない。このインタビュー記事は、編集されている。そこには僕の視点が介在する。僕がしどろもどろになっている様子は、削られている……かもしれない。

前置きが長くなった。『FAKE』の話、メディアの話、多面的な視点を持つために僕たちがすべきこと……。森さんの言葉をお届けする。

映像のまどろっこしさが懐かしくなった

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――15年ぶりの映画ですね。いちファンとしても、待ちに待っていました!

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「ドキュメンタリーは人を傷つけるから、1本とるとHP(ヒットポイント)がゼロになる。『A2』でも、いっぱい人を傷つけているし、『A』『A2』と続けて2本撮ったから、もうゼロというか、マイナスになっていて。しばらくドキュメンタリーは撮りたくない、っていう状況になっていた。まあ『311』があったけれど、あれは共同監督だから、あまりHPは減らなかった。徐々にHPが上がってきたときに、佐村河内さんに出会えたっていうのが実感です」

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――やはり、ドキュメンタリーで人を傷つけるということに対して、ふと煩悶することもあるのですか?

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「ふと、じゃなくて、常に、です。常に思ってます」

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――この15年間の間、書籍をはじめとした文章の発表は多くありましたよね。違いはありますか?

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「文章は直接話法で、映像は間接話法。間接話法、つまりメタファーで伝えたほうが、もし届いた場合、より強く届くんです。まどろっこしいけどね。直接話法の文章がいいなと思っていた時期もあったんだけど、そろそろ映像のまどろっこしさが、懐かしくなったという感じかな」

聞こえるか、聞こえないかは「どうでもいい」

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――そんな、そろそろ映像が懐かしくなった時期に、佐村河内守さんと出会います。最初はどんな印象でしたか?

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「まあ……いちばん最初はやっぱり、この人、絵になるな、と思いましたよね」

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――そういう見方なんですね(笑)。

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「最初は、本の企画として会いに行ったんだけど、話しながら、これは本じゃなくて映像だな、と思って」

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――映像だからこそ、やはり多くの人は『佐村河内守さんの耳は聞こえるのか?聞こえないのか?』と緊張感をもって見てしまうところがあると思います。

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「彼の症状は感音性難聴なんです。つまり、音によって聞こえたり、聞こえなかったりする。例えば、机を叩く音は聞こえても、人の声は聞き取りづらかったり。さらに言えば、口話といって相手の口の形を見て、言葉を読み取ることはできるけど、それも完全じゃない。口話も、初対面の人のものはほとんど読み取れなくて、何度も会っている人のほうがわかりやすい。これは全部グラデーションでしょ?」

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――そうですね。聞こえるか、聞こえないか、といった単純な分け方はできなそうです。

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「それをメディアは、かつては『全聾の作曲家』と表現して、騒動後は『実は聞こえていた』と表現する。白か黒。でも、今言ったようにグラデーションだから、グレイの領域がたくさんある。そんな簡単な問題ではない

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――メディアはそのグラデーションを、わかりやすく表現してしまうんですね。

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四捨五入して整理整頓してしまう。そうしたほうが、わかりやすいから。わかりやすくするのは、それが商品だからです。でもその結果、グレイの領域にある大事なもの、吐息とかつぶやきとか呻きとかが、どんどんと消えていってしまう

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――今回の森さんの『FAKE』は、佐村河内さんが聞こえるのか、聞こえないのかという問題に対しては、答えを出そうとしていない印象すら受けました。

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「少なくとも、簡単にわかるものではない、という意識をもって接するようにしていました。ただ、もっと言ってしまえば、僕としては、それはどうでもいい。だって、感覚は他者には絶対に共有できないから。だから、そのあたりは見た人が決めてくれればいい、っていう感じです」

メディアが進化するほど世界は矮小化してしまう

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――話題になっているラストのシーンもそういう感じですよね。ただそこに至るまでの過程を見ていて、聞こえるか聞こえないか、という話ではなく、今までのメディアを通して見ていた佐村河内さんの印象が変わりました。正直、佐村河内さんと対立している新垣隆さんと、新垣さんと絡んでいる人たち全てが、浅はかな、考えなしで動いている人たちに見えました。

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「そのひとりが森達也でもあるわけです。あっち側から見ればね。新垣さんや神山さんの側から見れば、森は佐村河内に騙されてるとか、取材が足りないとか、共犯だとか思われるかもしれない。視点は個人で違います。とにかくゼロかイチかになることが嫌なんです。……嫌というか、それは正しくない。そして貧しい」

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――どっち側から見るか、で見え方は違いますよね。

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「ここにあるコップだって、下から見たら、丸だけど、正面から見たら長方形です。実際の現象はもっともっと複雑です。どこから見るかでまったく変わる。ひとつの視点から世界を規定してしまうことはとても不幸なことだし、何よりももったいない

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――確かに、そういう一面での見方しかできない人はいますよね。

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「せっかく、この地球に生まれて、70年、80年と生きるんだったら色々なものを色々な角度から見たいし、色々なことを知りたい。僕はそう思う。
ところが、メディアが進化すればするほど、世界はどんどん矮小化されてしまう。もちろん、だからといってメディアを否定するわけではないけれど、メディアに対してもうちょっと、僕らは賢くならなきゃいけないと思います」

世界を多面的に見るために

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――今まで一面しか見てこなかった人が、急に別方向から見る思考になるのって難しくはないのですか?

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「でも一旦見ちゃうと、『そうか、こっちから見たらこのように見えるのか!』という発見があります。お金や体力を使うわけでもない。視点をちょっとずらすだけです。一旦見えたなら、芋ヅル式にどんどん見えてくる」

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――その練習として、森さんの作品を見ていただいて(笑)。

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「僕の映画や本を、みんなが見たり読んだりしてくれるのが一番いいんだけどね」

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――森さんの『A』を初めて見たときの、ある意味でのオウムの人たちの“普通さ”の衝撃は10年以上残っています。

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「今でいえば、イスラム国も、北朝鮮もそうだと思います。2年前に北朝鮮に行ったけど、一人ひとりはみんな普通です。当たり前でしょう? でもメディア的には、色んなレッテルを貼られてしまう」

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――そういったレッテルを信じて見てしまう人が、そうならないようにできる練習ってありますかね?

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「一番いいのはいろんなメディアを見ること。同じことを、産経新聞はどう伝えているのか、それを朝日新聞はどう伝えているのかを見る。そして『なんでこんなに違うんだろう』と考える。
まあ、でもそれは時間もお金もかかるし、現実的には難しいかもしれない。なかなか時間もない。では、どうすればいいのか、ってことなんだけど……」

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――ぜひ、教えてください!

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「記事だったら、誰かが必ず書いている。あるいは映像だったら誰かが撮っている。その人の視点で書いたり撮ったりしているわけですよね。ならば映像の場合、そのフレームは誰が決めているのか。カメラマンです。さらに、それを編集したり、場合によってはナレーションを入れたり、音楽入れたりしている。ということは、そのディレクターの思いや主観がそこに入っているわけです。
 
……といったことをまず意識におくことが大事なんです。そうすれば、ひとつの情報に接していても『この人はこう書いているけど、違うところからみたら違うものが見えるんだろうな……』といった意識を持つことができる。
だから、実際に、多面体の面全てに触れるのは難しくても、その多面的なものを想像するという意識さえ持てば、変わっていくんじゃないかな」

左遷を処刑と表現するメディア

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――想像力の欠如という話でいうと、森さんの中で、最近気になった例はありますか?

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「数日前に北朝鮮で党大会がありました。バルコニーの金正恩の隣で、軍服姿で立っている人がいた。でもその人は、かつて処刑された、ってメディアが伝えた人なんです。
 
つまり、単なる左遷とか降格でも、今の日本のメディアは処刑とか粛清などと表現してしまう。なぜかというと、そのほうが、みんなが喜ぶから。つまり視聴率や部数が上がるから。こうして北朝鮮や金正恩の異常性が強調される。まあ、確かに、とんでもない国だと僕も思うけれど、でも『とんでもない』が『あんな国とまともに話し合いができるわけがない』とエスカレートしていって、最後どこに行き着くかといえば、「やられる前にやれ」になってしまう。つまり自衛意識の高揚です。戦争はこうして起きる。
 
メディアによって危機を煽られる。その帰結として、仮想敵に先制攻撃をしかける。その失敗はこれまで何度も繰り返してきているはずなのに、また同じようなことをやっているな、とは思うけど」

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――喜んでしまうみんなとは、メディアを見ている側の人たち、ということですよね。

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「そうです。だから僕たちはそういう情報に触れたときに、『処刑って書いてあるけど本当に処刑なのか?』『単なる左遷じゃないのか?』『誰も死体は見ていないぞ……』といった意識を持ったほうがいい。つまり批判性です。そういう意識をちょっと持つだけでも、情報の取り方は変わると思う。そして、僕らがそういう意識を持てば、メディアは変わるんです。今のメディアの姿形は、今の僕らが造形しているんです」

メディアはもっと摩擦を持たないと……

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――もちろん、メディアが、見ている僕らのうつし鏡になっている一方で、メディアの内部にも、変化はあると思います。かつてに比べて、森さんが最近のメディアに対して感じることはありますか?

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「なんでこんなに摩擦が消えちゃったかなとは思うけれど」

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――摩擦ですか。

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「フジテレビも朝日新聞も共同通信も講談社も、NPOではなく、利益を求める営利企業です。彼らにとっての営利を表す指標が、視聴率だったり部数だったりする。
それを求めるなというのは無理な話です。企業だから、そこを最優先にするのは仕方がないと言えば仕方がないんだけど……。でもその流れの中で、やっぱり本来あるべきものが、削られたり、摩耗しちゃったりするのがね……。もっと摩擦を持たなきゃいけないのに、とは思いますね」

純愛映画の『FAKE』

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――今回、あらためてお話を伺って、『FAKE』はもちろん、森さんの『A』『A2』も、多くの人が見る必要があると再確認できました。

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「ありがとう。『A』が青春映画で、『A2』は群像爆笑コメディ。そして『FAKE』は恋愛映画かな」

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――『FAKE』が恋愛映画というのはもちろん、佐村河内守さんと奥さんとの関係をさしてですよね。作品を見ていて、途中から、奥さんのほうにも目が離せなくなりました。

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「佐村河内さんを語る上で、奥さんは切り離せません。最初からそう思ってはいたけど、撮っていく過程でその実感は強くなっていきました。たぶんあの奥さんは、世界を敵に回しても、佐村河内さんを信じるわけでしょ。色んな見方があるだろうけれど、僕は純愛映画のつもりで撮っています。さっき佐村河内さんに関してベタな話をしたけれど、それはもうどうでもいいや(笑)。これは、純愛映画です」

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この記事も、編集されている

佐村河内守のドキュメンタリー、オウムのドキュメンタリー……と表現すると構えてしまうが、確かに森さんの言うとおり、『A』を青春映画、『FAKE』を純愛映画として見ることもできる。それこそ、多面的な見方だ。もちろん、その見方だけではない。当然ことながらメディア論としてこの2つの作品を語る人もいるだろう。

この取材は、僕と後輩の小峰とでおこなった。当たり前のことだが、森さんは教え子だった僕には、敬語は使わない。初対面の小峰には敬語だ。だから、このインタビューは文体がバラバラだ。
でも、小峰を登場させると、読者の人にわかりづらくなると思って、チェリーマークで代用してある。これが編集のひとつ。

ちなみに、そもそもだが、僕はあまりインタビュアーの個が出すぎる記事は美しくない、とも思っている。というか、そういう意識で書いている人は多いはずだ。
でも、今回は、相手は森さん。やはり、この記事も誰かが書いていることを強く意識してもらわないと、内容と矛盾する。

以下にリンクされている、音声版でも語っているが、森さんの主張がブレずにいることは、この国が変わっていないことの裏返しでもある。いや、変わっていないどころか、どんどんとマズくなっている。
「ぜひ見て欲しい」が安易な締めであることはわかっている。過去の記事を振り返ってもらえばわかるが、ほぼ使っていないはずだ。でも、今回はあえて使う。
世界を多面的に見つめる第一歩として、『FAKE』、そして再上映される『A2』をぜひ見て欲しい。

取材:霜田明寛・小峰克彦
文:霜田明寛
写真:浅野まき

【関連情報】
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映画『FAKE』
6月4日(土)より、ユーロスペースにてロードショー、ほか全国順次公開
監督・撮影:森 達也 プロデューサー:橋本佳子 配給:東風

(C)2016「Fake」製作委員会

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・映画『A2 完全版』
6/18(土)~24(金) 連日21:00~
7/9(土)~15(金) 連日21:00~
ユーロスペースにてレイトショー
監督 : 森達也
(C)「A」製作委員会

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