衝撃の告白——。8月21日深夜、ナインティナインが20年半続けた『ナインティナインのオールナイトニッポン』(ニッポン放送、毎週木曜深夜25時〜)を9月限りで終了すると発表しました。
ナイナイが東京進出を果たした94年4月から開始し、04年には『オールナイトニッポン』の歴代最長記録を更新。今年4月に丸20年を迎えた番組は、なぜ終焉を迎えることになったのでしょうか。
理由は、28日深夜の番組内で語られる予定になっています。
局側の判断なのか、ナイナイ側の申し出なのか、今の段階ではわかりません。
いずれにしても、ナイナイにとって、ラジオ番組とは“息抜きの時間”で、唯一本音を語れる場だったはずです。だからこそ、多忙を極めるにもかかわらず、テレビと比べれば圧倒的に予算の少ないラジオ番組を20年半も続けてきたのでしょう。芸能人にとって、ラジオにはお金では割り切れない何かがあるのです。
関係者の話によれば、ナイナイから終了の申し出があったという情報もあります。
その説を前提として、今回は『ナイナイのオールナイトニッポン』が終了に至った理由を検証したいと思います。
岡村隆史、矢部浩之ともに40歳を超え、深夜の生放送を続けることが難しくなったなど、終了にはさまざまな原因があるでしょう。
そのなかで、私は、もっとも大きな理由をこう推論します。
『ネットニュースがナイナイのラジオを終了に追い込んだ』――。
近年、番組で岡村が何かを話すと、瞬く間に文字に起こされ、安易に記事化されることが激増しました。ニュースの体を取った“記事”はアクセスランキングで必ずと言っていいほど上位に位置し、毎週のように岡村の発言は記事化されていきました。日本最大級のポータルサイトであるヤフーのニューストピックスに採用されることもあります。
現在ヤフトピは計り知れないほどの影響力を持っており、高視聴率テレビ番組と同程度、あるいはそれ以上に見られている可能性があります。
これは、ナイナイやリスナーにとって、大打撃なのです。
なぜなら、ラジオの最大の魅力である“内輪性”が崩壊してしまうからです。
リスナーからすれば、ラジオには、パーソナリティーと友だち感覚を味わえるという良さがあります。パーソナリティーがテレビでは決して出さない素顔や本音、裏話をさらけ出す。すると、リスナーはパーソナリティーにものすごく親近感を覚えます。そして、ハガキやメールを送ることで、両者の間には、テレビにはない双方向性が生まれます。
“内輪性”の高い番組ほど、リスナーを逃しません。ナイナイのオールナイトは、1回聞いただけでは理解できない単語やギャグが飛び交っています。初めて聞いた人は、番組内におけるジャネット・ジャクソンの立ち位置を意味不明に感じるでしょうし、知念里奈の『DO-DO FOR ME』がやけにプッシュされることにも違和感を持つはずです。
テレビ番組では好ましくない特徴になりますが、ラジオではその分かりにくさが“内輪性”を高め、リスナーとパーソナリティーの絆を深めます。ナイナイのラジオが20年も続いた理由は、“内輪性”の高さにもあったのです。だから、2人は“息抜き”ができたわけです。
しかし、ネットニュースが単に文字起こししただけの愛情のない記事を載せることで、意図しないところで、注目度が上がってしまった。以前は“内輪話”で済んだのに、今では“公”にさらされることになった。
言い換えれば、親友にしゃべったナイショ話が盗み聞きされ、世間に広まってしまう。そして、なぜかその発言が叩かれる。
ナイナイにとって、ラジオは“息抜きの場”から“息苦しさを感じる場”に変貌してしまったのです。
これまで、ラジオは際どいことを言っても許される場であり、芸能人にとっては唯一といっていいほど本音を語れるメディアでした。
ラジオを楽しみにしているファンは多いのです。それにもかかわらず、特定の人しか見ない雑誌ではなく、誰にでも簡単に見られるネットで、文字起こししただけの安易な記事が量産され続ければ、ナイナイに限らず、他の芸能人も話す内容を吟味し始めます。
そうすると、本来ラジオの持つ面白さがなくなっていくのです。
言い換えれば、ラジオに愛情のない人間が、ラジオをつまらなくさせているのです。
ラジオに関するネット記事のすべてが浅いわけではありません。でも、ほとんどが愛情のない“単純すぎる文字起こし記事”です。
『ナイナイのオールナイトニッポン』終了と文字起こしだけのネットニュースに、本当に関係があるのかは本人たちにしかわかりません。
しかし、いずれにしても、ネットにおける“単純すぎる文字起こし記事”の増加は、ラジオ界に多大な影響を与えている。その象徴が、『ナイナイのオールナイトニッポン』終了だと思います。