7月15日(土)に長編2作目となる映画『ハローグッバイ』が公開になる、菊地健雄監督。実は2015年の監督デビューまで、助監督経験を10年以上にわたって積んできた監督でもある。
助監督として、黒沢清、瀬々敬久、万田敏邦、タナダユキ、横浜聡子……といったゼロ年代の日本映画を支えてきた名だたる監督の現場を真横で見てきた菊地監督。なんと、助監督としてついた監督は30人以上、作品数にして50作以上……。では、その経験はどう自分の監督作品にいかされているのか……!?
ゼロ年代の日本映画の懐かしい空気をきちんとまといつつも、萩原みのりさん、久保田紗友さんという主演の二人を中心とした瑞々しさや、現代の女子高生の抱える問題も描き、確実に2017年の今、見るべき映画になっている『ハローグッバイ』。現場でのエピソードや制作の過程とともに、“映画は学べるのか”菊地監督に聞いた。
泣くポイントが同じだと気持ち悪い
――『ディアーディアー』でも『ハローグッバイ』でも、見ながら涙を流してしまったんですが、菊地さんの映画には不思議と“泣かされている”感じがしなくて、見ている僕らが“自発的に泣いている”感じがするんです。
「僕の中で、みんなが泣くポイントが一緒すぎると、ちょっと気持ち悪いという感覚があるんですよね。『ここで泣けます!』というのがあまり、目立ち過ぎちゃうのもどうかな、と思っていて。わかりやすくいいセリフがあったり、悲しいシチュエーションの中で誰かの泣き顔を見せたり……いち観客として見るときは僕も泣いてしまうんですが(笑)、そういうものは自分が作るときは避けがちなんです」
――でも、一概に、観客が泣くことを避けているのではなく、それぞれにはグッときて欲しいわけですよね。
「ええ、生きていると、なんでもない、ふとした瞬間にグッときたりするじゃないですか。そういうものを映画の中に埋め込んでおきたいんです。もちろん、そういう感情を多くの人に伝えたいんですが、多くの人に伝えようとしすぎると、類型的な表現になってしまう。そのさじ加減が、なかなか難しいところですよね」
――かなりの高等テクニックに感じます(笑)。
「難しい分、そこは相当に考えますね。ただ一方で、劇中の登場人物の感情の動き方にハマってくれれば、そこから想像できるもので観客の感情も動くのではないか、と思っています。よく、役者さんに『芝居っていうのはキャッチボールだから、そこで化学反応が起きて……』みたいな言い方をしますが、それなら、映画と観客の間にそういうことが起きてもいいですよね。だから、感情を誘導するのではなく、そんな化学反応が自然に起こる映画がいい映画だな、と思えるんです」
瑞々しい2人の切り取り方
――そんな自然な化学反応が起きた、すなわち登場人物の感情にのれたのは、役者さんたち、特に主役の2人の演技の素晴らしさもあると思います。どうやって演出されていったのでしょうか?
「やっぱり、決めつけで“僕らの年の大人から見える彼女たち”にならないように、同じ目線になるようには心がけました。その点、企画の最初の段階から、2人に関わってもらって、台本がまだ途中の段階からディスカッションできたのはありがたかったですね。コミュニケーションを取れたので、そこから普段の彼女たちのただずまいや、気になっていることなどを、うまく転化して映画のキャラクターに取り入れていきました」
――2人へのアプローチの仕方は変えたりしたんでしょうか?
「やっぱり2人に同じことを言ってもしょうがないというか、そこは、あえて変えていきました。共演ではあるものの、ふたりともそれぞれキャリアを積んできた女優さんなので、いい形で競い合って欲しかったんですよね。お互いが意識するように、こちらも若干意識して接したところはありますね」
――そういえば、久保田さんが放って置かれた、とおっしゃってました(笑)。
「たぶん、彼女は『あっ、なんか萩原さんのほうにばっかりいってる……』って感じてたと思うんですけど(笑)。あえて、その役でいてもらうことの助けになるように、そうしました。そのせいか、2人とも、後半は、無理矢理に役をつくる、という感じではなくなっていました。だからこそ、ひとこと声をかけるだけでガラッと変わるというか、感じた感情を素直に出せるような状態になっていましたね。萩原みのりでもあるけれど、はづきでもある、久保田紗友でもあるけれど葵でもある、という役と本人の間に位置する誰かがいる感じで。だからこそ2人の想像も超えるものができたんじゃないかと思います」
現代の女子高生の抱える大変さ
――彼女たちの演技に、現代の女子高生のディテールを切り取った脚本がうまく重なって、本当に今しか見られないものになっていたと思います。
「ディテールに関しては、2人の意見をもらったのはもちろんのこと、現役の女子高生に取材しにいったんですよね。今回の現場の助監督の中で一番年下の女のコが19歳だったこともあって、彼女に紹介してもらいながら。取材しながらセリフも変えていきました」
――じゃないと「それな」みたいなセリフはでないですよね(笑)。現代の高校生ならではの大変さみたいなものは感じましたか?
「もちろん、いつの世も、人間関係の大変さというのはあると思うんです。僕らの頃はケータイなんてなかったので、親が出るんじゃないかとドキドキしながら、彼女の家に電話をかけたりしていました(笑)。そういう感じはもうないんだろうし、逆に、会わなくても、時間や場所も関係なく、コミュニケーションできてしまうということは大変だろうなと思いました。もちろん便利だし、ないと困るけど、あればあったで、既読スルーひとつで悩んでしまうし困る……という板挟みはあるみたいで。でもそういったツールを使うことからは、学校での居場所にも関わってくるから逃れられない。そうやって彼女たちに重荷になっていることは感じて、今回の作品に色々と取り入れました」
『ハローグッバイ』のために研究した映画
――現状の日本映画で、LINEの煩わしさを最もリアリティをもって描いた映画だと感じましたよ! さて、菊地さんというと、多くの監督の下での助監督経験もあり、色々と過去の映画を研究しているイメージがあるのですが。
「『ディアーディアー』のときは、もうこれでもか、というくらいやりました(笑)。今回は、それに比べると、少なめではありますが、僕の中で記憶に残っている、若い子を撮った映画を、断片的に見直したりしましたね」
――例えばどんなものでしょうか?
「相米慎二監督の『セーラー服と機関銃』や『台風クラブ』。あとは角川映画で澤井信一郎監督の『Wの悲劇』あたりですね。世代的には、岩井俊二監督の『リリイ・シュシュのすべて』や『花とアリス』、さらには僕が映画美学校を出ていることもあって、塩田明彦監督の『害虫』も見ましたね(※)」
(※『月光の囁き』『黄泉がえり』『カナリア』などで知られる塩田明彦監督は映画美学校の講師を務めており、講義を採録した書籍『映画術 その演出はなぜ心をつかむのか』なども出版している)
――外国のものも見たりするんでしょうか?
「今年たまたまリバイバル上映されていましたが、台湾のエドワード・ヤン監督の『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』のレーザーディスク版をたまたま持っていたので、見返していたんです。ただ、途中で見るのをやめたんです。見続けると、影響を受けすぎてしまうと思って(笑)」
映画の作り方は真似できるのか
――やはり、参考にしつつも、影響を受けすぎないように、という意識は働くんですね。
「色々な監督の助監督を経験してきて思うことなんですが、究極的なことを言うと、監督の演出、もっと言えば映画の作り方って、それぞれの人間性と直結しているので真似ができないものなんです。もちろん、ある部分の断片的な方法論や撮り方みたいなものを踏襲することはできます。例えば、俳優にどんな言葉をかけるか、といった引き出しは助監督をやって、増やせたもののひとつです」
――本質的には真似ができないからこそ、影響は受けすぎないようにする。
「僕は、師匠である瀬々敬久監督の仕事を傍らで見続けてきました。もちろん、憧れているし『瀬々監督のような映画を作りたいか』と問われれば、作りたいですよね。でも、僕にはできる部分とできない部分がある。それを見極めずに、瀬々さん的なことばかり露骨にやってしまうと、縮小再生産にしかならないのでは、という危機感もあるんです」
――菊地さんは、菊地さんにしかできないことを探す、ということなんですね。
「やっぱり、映画というもの自体が、色んなものがやり尽くされてきているジャンルだと思うんですよね。だからこそ、僕は、みんながやっていないことはないか、という隙間産業的な発想になるんです。そのために、かつての作品ではどんなことがやられてきたか、を思索する。その上で、自分にしかできないこと、その時代でしか撮れないことを考え続けている、という感じですね。今回の『ハローグッバイ』は、あの2人の今を撮れるのはこの瞬間しかない、ということで、悩みながらもできあがった作品です」
(取材・文:霜田明寛)
■関連情報
映画『ハローグッバイ』
7月15日(土) ユーロスペースほか全国順次公開!
キャスト:萩原みのり 久保田紗友
もたいまさこ ほか
監督:菊地健雄