ー3カ月前、童貞を捨てた。思ったほど、世界は変わらなかったー
チェリーについて

東出昌大「普通に生きる」難しさ

「今が一番危ないんです」

俳優・東出昌大。事務所から独立してもうすぐ1年、映画出演が続く彼が“永遠のオトナ童貞のための文化系WEBマガジン・チェリー”に初登場。

ヒース・レジャーらを例に役者として生き抜くことが不幸に繋がる――という話をされているとき、「東出さんはいつが危なかったですか?」と聞くと「今が一番危ないんです」という答えが返ってきた。そして哀しさを含んだ目で「日本の芸能界の中にいては“普通に生きる”が危険思想なんです」と言葉を重ねた。山で暮らし、日本の芸能界と少し距離をおいた今の東出昌大にこの国で“普通に生きる”難しさについて聞いた。

事務所を独立して変わったこと、変わらないこと

『天上の花』『とべない風船』と、この年末年始に公開作が続く東出昌大。事務所独立後に撮影された『福田村事件(仮)』など、芸能事務所を離れた後も役者としての仕事を続けているが、作品の選び方に大きな変化はないという。

「今も以前も、頂いた台本を読んで出演するかどうか決める、という点では変わりません。森達也監督の『福田村事件(仮)』は、もともと森達也さんの作品が好きだった上に『天上の花』のチームと重なっていたので出たいな、なんて話をしていたらオファーを頂けました。変化があるとしたらスケジュールですかね。以前はひとつクランクアップしたら次の日に新しい作品のクランクイン、なんてこともありました。今はいい塩梅に期間が空くので、いいペースで仕事ができているように思います」

スケジュール的には余裕ができたという話を受けて、それではだいぶ仕事に追いやられることも少なくなったんですかね、と軽口を叩いてしまったが、そうではないということを優しく教えてくれた。

役者というお仕事自体が、やっぱり怪物になりかねないお仕事だと思うんです。ニーチェの『怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ』という言葉があるのですが、役者もその深淵に近づきがちなんですよね。フィリップ・シーモア・ホフマンとかヒース・レジャーみたいな不幸もありますし。正直、わからないではないので、まあ生きながらこの仕事ができればいいなとは思います(笑)」

オーバードーズで死んだとされる名優2人の名前があがり、理解もできるという東出。「生きながら」と笑って語る雰囲気につられ、そんな危険な時期はいつだったのかを聞くと、少し考える間があいてこう返ってきた。

「人間性的な危なさで言うと、今が一番危ないです。若くて上り調子だった頃は、見え方・見られ方をすごく気にしなければいけませんでした。でも、歳を重ねた今は、いい服を着たい・いい車に乗りたいという欲求や、こう見られたいといった承認欲求が極端に薄れているんです。代わりに『普通に生きるって何だろう』と模索してる過渡期なんです」

あまりに明るく、そして優しい語り口調に、つい忘れてしまっていたが、この人はまだ危険な渦中にいるのだ――。

“普通に生きる”という危険思想

普通に生きようとするのは、いいお芝居をするため、なのだという。

「どこかで、お芝居のために普通に生きたいと思っているんです。僕は、普通の人物を演じるわけだから。いい芝居をするために普通って何だろうって考え続けています。ただ『普通に生きる』を追究すればするほど、ブランディングを考えなきゃいけない芸能人という仕事からは遠ざかってしまうんですよね。この日本の芸能界においては『普通に生きる』なんて危険思想なんです」

普通を追究することは役者として生きるためには必要だが、芸能界で生きるためには危険―― “芸能事務所から離れて役者を続ける”という現在の東出の立ち位置が必然だったようにも思えるこの言葉。人々が芸能界を含むこの社会に求めるのを、今年2月に東出が主演を務めた舞台を作・演出した劇団東京夜光の川名幸宏が『漂白の時代』と表現していたとしてこう続けた。

「今の時代は、すごく綺麗で安心安全なものを求めますよね。でも、山で生活したり、狩猟をしたりしていると、綺麗なものもあるけれど汚いものもあるのが本来の世界の姿だよなって思うんです。やっぱり、動物を捌いて内蔵をぶちまけたりする行為は残酷です。でも、この目を覆いたくなるような残酷なものを無かったことのようにして、臭いものに蓋をし続けた結果、みんなが生きづらくなっているようにも感じます。情報化社会の中だけで生きていると、相対的な評価の中でしか自分の価値を見いだせなくなっていく。それって人間の精神としてはすごい不健康だと思うんです。『芸能人』って括られてしまうと、やっぱりブランディングや相対的な評価を気にしなければいけなくなってくる。もちろん、ブランディングとして狩猟の話を出しちゃだめといった指示は、芸能人として生きる上ではわからなくもないんです。でも、それは僕の幸せとは違うなと思って。最近はありのままに生きていこうと思っていますし、狩猟免許はとって4~5年になりますが、隠さずにいこう、と」

そう言って「僕の思考はアナーキーなんです」と笑う姿は、瀬々敬久監督の『菊とギロチン』で東出が演じた無政府主義者・中濱鐵を思い出してしまう。

「あそこまでイデオロギーはないですけどね(笑)。ただ、支配されることや縛られることには不自由さを感じます。だから、守られた集団の中にいるよりも、危ない山の中に個としていることに心地よさを感じてしまうんです。ただ、山の中にいながら、地球のヤバさは感じます。東京にも四季はなくなってしまったし、夏の暑さたるや人を殺しにかかっている(笑)。SDGsみたいに耳ざわりのいい言葉はたくさんあるけれど、人々が本当にモノを買わないとか、着れる服は着続けるとかそういう価値観の変革がないと、いよいよヤバいだろうなと思っています」

“愛とは何か”探していない

最新作『天上の花』では、詩人・三好達治を演じる。師でもある萩原朔太郎の妹を16年思い続けた末に結婚するも、暴力をふるってしまうという役だ。脚本は荒井晴彦と五藤さや香の共作だ。東出は荒井との衝撃的な初対面を振り返る。

「荒井さんと初めて会ったときに開口一番『お前、女を殴ったことあるか?』って聞かれたんですよ。『いや、ないです』って答えたら『そっか、女を殴るっていうのはな……』って実体験をもとにお話をしてくださって。ご本人も愛とは何なのかついぞわからないけど書いているという台本、面白かったですね。作中の三好達治に関しても、彼は妻を殴りながらも愛してないとも言い切れないと僕は思うんです。だから『愛って何だ』って考えながら、この凄惨な映画を見るのが面白いのかな、と」

愛とは何かの答えは今も探し中ですかと聞くとこう返ってきた。

「もう探すこともしていないですね。というのも、無償の愛というものが僕の中にもあると思うんです。もともと生まれ持ったものもあると思いますし、老若男女問わず、新たな人と出逢ってその人に好意を抱けば、無償の愛は生まれるし」

詩人・萩原朔太郎の孫であり、文筆活動をしている萩原朔美とも愛についての話をしたという。

「萩原朔美さんは『詩人が人を愛すなんてことはありえないよ』とおっしゃっていて。理由を聞くと『自分たち散文家は言葉を手段にしている。でも詩人は言葉が目的になっている』と教えてくれたんです。詩人にとっては自分が生きていく意味がもう詩なんですよね」

その詩人は役者にも置き換えられるのか聞くと、笑いながら、あると答えてくれた。

「あると思います。業が深いという一言で片付けていいのかはわかりませんが……どうしたって役に入り込むと、狂いそうになってしまうときはありますよね。狂いそうになっているのか、もう狂ってしまった結果、今の僕がこんな生活をしているのか――それはわからんです(笑)」

踏み込んでいいのか躊躇していた内容にも、こちらを慮ってか、自ら進んでしてくれるサービス精神。その自嘲しているのになぜかあたたかい笑い方に、この人が少しでも“普通に生きていける”社会であって欲しいと願う。最後に今後のことを聞いた。

「正直、一流の役者になりたい、といった野望があるわけではないんです。役者の仕事ってオファーがないとできるものではないので、将来的な展望も一切なくて。ご一緒できる人たちと、いい仕事ができればなと。仕事がバーっとなくなる経験もしたけれど、なくてもどうにか生きてはいける。だから、なくても生きていける強い人になりたいなと思っています」

(取材・文:霜田明寛 写真:中場敏博)

作品情報
『天上の花』


原作:萩原葉子『天上の花ー三好達治抄ー』
監督:片嶋一貴 脚本:五藤さや香、荒井晴彦
出演:東出昌大 入山法子 有森也実 吹越満 ほか
配給宣伝:太秦
©︎2022「天上の花」製作運動体
12月9日(金)より新宿武蔵野館、ユーロスペース、池袋シネマ・ロサ、アップリンク吉祥寺他順次公開

www.tenjyonohana.com
Twitter:@tenjyonohana

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