今年3月まで31年半もの長きにわたり、『笑っていいとも!』(フジテレビ系)の司会を務めたタモリが、10月から半年ぶりにフジテレビでレギュラーを持つことになりました。
番組名は『ヨルタモリ』。
バーのような「夜の店」を舞台に、ゲストとトークを繰り広げます。女優・宮沢りえも、店の“ママ”という設定で出演。『新堂本兄弟』の後釜となる日曜23時台の放送になると言われています。
タモリは『いいとも』終了後も、『ミュージックステーション』(テレビ朝日系、金曜20時〜20時54分)、『タモリ倶楽部』(テレビ朝日系、金曜24時20分〜24時50分)という2つのレギュラー番組を持っています。
しかし、世間は『ヨルタモリ』の開始をタモリの“復帰第一弾”と見ています。
タモリほどの大物と話題性を持ってすれば、間違いなくゴールデン帯でのオファーもあったでしょう。そのなかで、なぜ、敢えて深夜帯を選んだのでしょうか?
過去に、長寿番組を辞めた大物の復帰第一弾を思い出すと、ヒントが隠されています。
1.久米宏『ニュースステーション』終了後、『A』で復帰も…
タモリのように帯で毎日出演し、局の顔となっていた人物と言えば、久米宏が挙げられます。
『ザ・ベストテン』などの司会者として脂の乗っていた久米は、85年春限りですべてのレギュラー番組を降板します。そして、10月から『ニュースステーション』(テレビ朝日系)のキャスターを務め、04年3月まで19年間もテレ朝の22時台を守りました。『ニュースステーション』は「ニュースの歴史を変えた」とまで言われる革命的な番組で、視聴率20%超えを果たすこともあったほどです。
“視聴率男”の異名を持った久米のテレビ復帰は、当然ながら注目されました。待つこと1年。満を持して、05年4月から日本テレビの日曜20時台『A』で復活を果たします。トップアイドル・松浦亜弥をもう一人の司会に置き、レギュラー陣も土田晃之、山口智充、若槻千夏、オセロ(中島知子、松嶋尚美)と当時の売れっ子を揃えたことからも、日テレの本気度がうかがえます。
しかし、視聴率は1ケタに落ち込み、わずか2ヶ月ほどで番組は終了してしまいます。
現在、20%超えもある『世界の果てまでイッテQ』と同じ枠で、この数字では打ち切りも仕方ありません。
その後、久米は『久米宏のテレビってヤツは!?』『クメピポ! 絶対あいたい1001人』(ともにTBS系)のレギュラーを務めますが、どちらも視聴率的には伸びませんでした。
2.“お笑いビッグ3”の座を、さんまに明け渡した欽ちゃん
長らくお笑い界の頂点に君臨した欽ちゃんこと萩本欽一の例も、参考になります。
80年代前半、自身の持つ冠番組『欽ドン!』(フジ系)『欽ちゃんのどこまでやるの!?』(テレ朝系)『欽ちゃんの週刊欽曜日』(TBS系)などの1週間の合計を足し、“視聴率100%男”と呼ばれた欽ちゃんは、85年春限りですべてのレギュラー番組を降板すると発表しました。最盛期の30%台は保てていなかったものの、その時期でも25%前後をマークしており、局側としても慰留しましたが、萩本の意思は固く、休養に入ります。
半年間の充電を経て、萩本は復帰を果たします。しかし、以前のような視聴率は獲れなくなります。この頃を境に、“お笑いビッグ3”も『萩本欽一、タモリ、ビートたけし』から『タモリ、ビートたけし、明石家さんま』の時代に突入します。
萩本はたびたび番組リニューアルし、打開を図りますが、一度離した流れは帰ってきませんでした。85年は、バラエティ界の時代の急変を感じさせる年でもありました。
久米と萩本の2人に共通するのは、復帰後、ゴールデン帯のレギュラー番組で司会を務めた点です。
『ゴールデン帯の司会=もっとも視聴率を問われる立場』です。いくら過去に高視聴率番組を担当していても、その番組が振るわなければ、すぐに打ち切りになる。
もちろん、萩本欽一や久米宏の偉大さは今も変わりません。
しかし、逆に言えば、欽ちゃんや久米さんほどのテレビ史に名を残す人物でも、視聴率が獲れなくなれば、簡単に切られてしまいます。
それほど、テレビはシビアな世界なのです。
そのなかで、タモリはフジ復帰第一弾に、深夜帯を選択した。これは、かなり賢い判断と言えます。
深夜は時間帯的に、視聴率のハードルは低く、2ケタを獲れば万々歳です。2ケタを獲らなければ打ち切りの可能性が高まるゴールデン帯とは、まるで立場が異なります。
もちろん、それだけ全体的な視聴者の数が少なくなるからですが、関係者のプレッシャーの掛かり具合は明らかに違います。
果たして、『ヨルタモリ』の視聴率はどうなるのでしょうか。
番組開始前に、きちんと論拠を示しながら、予想したいと思います。