©ENVIE DE TEMPETE PRODUCTIONS2013
多くの日本の童貞たちを勇気づけた、2005年の『電車男』、2010年の『モテキ』。それぞれの主人公はドラマ版で23歳と29歳。2015年の今、彼らが生きているとしたら33~34歳になっているハズだ。
30代になって減っていく、童貞をひきずる仲間たち
当時20代だった僕は、自分と同じように、恋も仕事もうまくいかない、童貞をひきずった男たちがいるのだと、彼らを見て安心することができた。
だがこの2作品以来、そんな仲間に出会えていなかった。当然かもしれない。20代の頃はまだしも、30代になって、そんな仲間の固体数はどんどんと減少をたどる一方だ。
しかし、そんな仲間は、フランスはパリのはずれ、メニルモンタンにいた。
映画『メニルモンタン 2つの秋と3つの冬』。
開始10秒、33歳の青年は僕らの仲間だとわかる
男は33歳 まだ“青年”と言える
という言葉とともに、この映画は始まる。
映し出されるのは、長髪で髭をはやした、うだつのあがらなそうな、でも優しそうな目をした男。次はこう続く。
“33歳の“青年”だ パリ在住独身 仕事は重要じゃない 僕らは他人の職業にこだわりすぎる”
この、冒頭のものの10秒足らずの間に、映画は僕らのような、アラサーにもなってまだ青春を生きようとしている、童貞や無職にも寄り添ってくれる仲間だということがわかる。
主人公のアルマンはこう独白する。
“そろそろ何か起きないといけない”
そして、その“何か”が始まっていく。
パリに現れた『モテキ』×『電車男』
アルマンは、自転車を漕ぎながら音楽を聴き、友人と、なぜ同じ映画に感動できるのかを熱く語り合う。そして、アルマンが一目惚れするヒロインは、会話が雑なDJの男とつきあっている。
まさに『モテキ』のような設定だ。
そして『電車男』のような事件が起きて、2人の距離は急接近する。
そこで入るモノローグ。
“その魅力に僕が屈した女性は、僕を英雄とみなし付き添ってくれた”
美しいモノローグの連鎖
そう、本作は、このようなとても美しい言葉のモノローグの連鎖によって構成されていく。
例えば、かつての彼女が子持ちになって歩いている姿を、アルマンが街中で発見するシーン。
彼は「5年間付き合った」ではなく「人生の5年間を共にした」と表現する。
さらに、「他人の子を乳母車に乗せ 僕の前を歩いていた」という表現ひとつで、かつての彼女への未練と嫌悪感を同時に浮かび上がらせる。
そのモノローグは、スーパーでレジを選ぶ、という日常的な行動でさえも文学的に見せる。
そして、モノローグの主体になるのはアルマンだけではない。
主要な登場人物たちによるモノローグの連鎖は、表面上発する言葉や行動と、実際に考えていることの違いを明らかにし、より物語を立体的に見せることに成功している。
青春の終わりも描いた青春映画
だが、2部構成の物語は、第2部の開始と共に、アルマンの言葉でこう語らせる。
“青年だった僕”と。
ヒロインとの同棲が始まったことで、青春は終わりを告げたことが明らかにされる。だが、アルマンは青年でなくなっても、なお繊細で、優しくい続ける。
そして、第2部では、「童貞が好きな人をゲットできた瞬間の幸福感は永続的ではない」ことを示す。日本の童貞系の映画では、なかなか示されることのなかった、森山未來と長澤まさみがキスをした後もなお続く“ちと不安定”な物語。
そうこれは、大人のための童貞映画なのだ。
元・童貞たちが30歳を過ぎ、青春だとは言いづらくなってきた後にどうなっていくのか。
10年前の『電車男』、5年前の『モテキ』の主人公たちのその後を、アルマンは生きてくれている。
2015年を生きる日本の“青年”たちは、童貞の心を捨てない大人へと脱皮するため、アルマンに会っておくといいかもしれない。
(文:霜田明寛)
■関連リンク
・メニルモンタン 2つの秋と3つの冬 公式サイト