古屋兎丸の人気漫画が原作の映画『ライチ☆光クラブ』が2月13日(土)から公開となり、27日には拡大公開される。
監督は2009年に実際に起きた事件を元に、『先生を流産させる会』を制作した内藤瑛亮。
『先生を流産させる会』は、カナザワ映画祭やゆうばり国際ファンタスティック映画祭で上映され、過激ながらも思春期の少女の本質をついたこの作品は映画ファン以外にも話題を呼んだ。
『ライチ☆光クラブ』でも “14歳の残酷な中学生たち”を撮った監督にインタビューを敢行。本作の核心に迫る撮影時の裏話などを伺った。
14歳の閉鎖コミュニティを描いた
『先生を流産させる会』と『ライチ☆光クラブ』
――内藤監督の代表作の一つである『先生を流産させる会』に続き、本作『ライチ☆光クラブ』も14歳の中学生を主人公にした映画でした。前者ではキャストの年齢も登場人物たちと同じ年代の子を起用されていましたが、『ライチ☆光クラブ』では20代の役者さんに14歳の役を演じさせていますね。
「『先生を流産させる会』に関しては“10代の生々しさ”が作品に必要だなと思ったので、あえて素人の中学生くらいの子たちをキャスティングしました。演技においても、技術力よりリアリティが重要だったのです。
一方『ライチ☆光クラブ』の場合は、作品の舞台がフィクション性の高い虚構の世界ということもあって、演者には高い技術が求められました。そこで、20代で活躍している役者さんにお願いすることになったのです。
また、実際は成長してしまった20代の役者が“大人になりたくない”14歳を演じることで生まれる異物感や異形感も狙いました」
――カノンを演じる中条あやみさんのみ、他の男性キャストより比較的若いですね。
「カノンは、“光クラブ”のメンバーが美の象徴として崇めた存在なので、彼らより年齢が低く、実年齢に近い方がハマるはずだと思い、中条さんをキャスティングしました」
支配者になる人の中身は空洞!?
――『先生を流産させる会』でも『ライチ☆光クラブ』でも、1人のカリスマが居て、その子に周囲の仲間たちが従っていく姿が印象的です。
「『先生を流産させる会』を観た、自分より上の世代の方から『あの女の子たちはリーダーとの喧嘩に負けたから、支配関係が生まれるんじゃないの?』って意見があったんですけど、僕はカリスマ性を持った人が突如現れた時に、争いも無く、周囲の人があまり考えず、すーっと下についてしまうのが、現代の若者のリアルだと思っています」
――監督は“支配欲のあるカリスマ”はどのような人間だと想定していますか?
「上に立つ人ほど中身が空洞で虚無的な人間だと思っています。『自分は○○をしたいんだ』と口では言っているけど、本質的に何を求めているのか分からない人です。
ゼラも『この街を支配するんだ』と口にはするものの、結局彼の言う“支配”とはどういう状態で、支配することによって何を得たいのかは不明瞭です。『自分は○○をしたいんだ』って強烈な欲望はあるんだけど、中身はからっぽなのではないかな、と。
政治家や宗教家でも、美しいロジックを語ってはいるけど、結局、何をやりたいのか分からないと感じることがよくあります。リーダーとして上に立つ人は、ある種のサイコパスなのではないかと思うこともあります」
――サイコパスですか……! 監督も、カリスマ性のあるリーダーに従ってしまったことがあるのですか?
「ある劇団に所属していたことがあって。主宰者は周囲からカリスマと崇められていたんです。『あの人は凄い』『天才だ』と、誰もが口にしていました。僕もそう思っていました。
しかしカリスマとされていた主宰者は『役者がダメだからいい本が書けない』と言って脚本を書くのがとても遅い人でした。劇団員たちは皆『俺たちがダメ過ぎるから、主宰者に迷惑をかけてしまっている。申し訳ない』と思っていました。
でも徐々に退団していく人が現れたんです。『脚本が書けないのを役者の責任にするのっておかしくないか』『どこがダメか教えてくれないし、改善点を言えないってことは、教える能力がないんじゃ…』『実は天才じゃないのかも……ていうか、何も考えてなかったりして』みたいな声が出てきたんです。
でも退団するとなると、自分で考えて、行動しなきゃいけない。それって大変だから、違和感を覚えつつも、従っちゃう。
その時に“従う側に居ると、思考が停止できて楽”と実感しました。
その後、遊びでつくった自主映画を友達に誉められて、それが自信になって、劇団を抜けました」
――なるほど……仮に自分も“光クラブ”に居たら、ゼラに従ってしまう気がします。
本作を“思考を停止している人たち”に対して警鐘を鳴らしているとも受け取ったのですが、内藤監督は集団の中で思考を停止させないために、どのような方法が有効だと思われますか?
「所属する組織のルールで正解とされている行動が、個人の価値観に当てはめてみても正しいのか、自問自答することですね。組織にとって正しい行動でも、自分が正しくないと考える行動をしてしまっていいのか、後悔しないのか、と。
自身の頭で考えないと、自分が望まない行動を起こしてしまうことがあると思うんです。
この映画で言えば友達を見殺しにする行為になると思います。異常な“光クラブ”ではその行為は正しいとされていますが、タミヤ(野村周平)の価値観には反します」
――タミヤの行動規範が集団から自分主体になる瞬間ですよね……。
「タミヤは “自分の正解”を理解しているのに、行動できない人間です。
しかし、カノンとライチという支配関係を超えた絆で結びついている2人を目撃したことで、彼は行動を起こすことができるようになります。
タミヤにとっても、支配関係を超えて繋がっているダフ(柾木玲弥)とカネダ(藤原季節)という2人の親友がいます。タミヤを含めた3人で海へ行くシーンは、権力関係から解き放たれた、3人の少年の純粋な絆を映しています」
『ライチ☆光クラブ』唯一の爽やかな青春
タミヤ、ダフ、カネダの海の撮影について聞いた
(上段右から3番目:タミヤ・野村周平、下段左から2番目:ダフ・柾木玲弥、下段左:カネダ・藤原季節)
――タミヤ、ダフ、カネダの3人が海に行くシーンがとても美しくて、感動しました。
海のシーンの撮影時のことを教えてください。
「海の場面は撮影初日だったので、思い出深いです。まず彼ら3人に『このシーンは“3人の絆の基盤となる場面です”』という話をしました。
また、前日に現場に来てもらって、3人と一緒に夜の工場地帯を歩きながら『この町で君たちは生まれ育ってきて、ずっと一緒だったんだよ』とも伝え、3人のつながりを体感してもらいましたね。
映画全体の撮影が進むにつれて、たくさんのシーンが繋がってくると、記憶が薄れてしまうと思ったので、ダフとカネダが死んでしまう場面を撮る際には『海に行った時のことを思い出してほしい』と話しながら演出しました」
――海のシーンが唯一、普遍的な青春の美しさを描いているシーンだと感じました。
「『ライチ☆光クラブ』は閉塞感がある密室劇なので、海のような開けた場所に行くと一気に解放感がでますよね。
でもあの海の場面、実は画面の上部に暗い雲がかかっているんですよ。もともと天気も曇りだったのですが、グレーディングで少し暗さを強調しています。
加えて、シーンの終わりの音楽にノイズを入れることで、一見爽やかで解放感はあるけど、この後起こる不穏なことを予感させる演出にしています」
――内藤監督にとって“青春”は不穏なイメージなのですか?
「岩井俊二監督の『リリイ・シュシュのすべて』が好きなので、青春は痛くて残酷なものというイメージがあります。高校生の時に観たのですが、田園の中にぽつんと人がいる画が印象的でした。僕も田舎の高校生だったので、通学路に田園が多かったんですよね。
普通に電車で通える学校だったんですけど、みんなと少しでも一緒に居たくないので一時間くらいかけて自転車で通っていたのです。その頃、ナイン・インチ・ネイルズが『ザ・フラジャイル』を丁度出した頃でした。ナイン・インチ・ネイルズを聞きながら田園の中を自転車で走っているのが僕の青春時代でしたね。『世界が消え去った日(The Day The World Went Away)』ってタイトルの曲があるんですけど、そんな日が訪れたら最高だなって夢想するような、中二病全開の学生生活でした。
風景の美しさに反して、自分の内側に渦巻いている毒みたいなものがあったのを覚えています」
“コミュニティ内で君臨するカリスマ”は学校にも職場にも必ずいる。空虚な人物に自分の人生を狂わされないためにも、内藤監督は“自分の中の正解”をしっかりと知っておかなくてはならないと教えてくれた。
次回は内藤監督に映画における“残酷描写の役割”や“血の表現”について伺う。
(取材:小峰克彦・霜田明寛 文:小峰克彦 写真:浅野まき)
【作品情報】
主演:野村周平、古川雄輝、中条あやみ、間宮祥太朗、池田純矢、松田凌、戸塚純貴、柾木玲弥、藤原季節、岡山天音
監督:内藤瑛亮
脚本:冨永圭祐、内藤瑛亮
原作:古屋兎丸『ライチ☆光クラブ』(太田出版)
配給・宣伝:日活 制作:マーブルフィルム
©2016『ライチ☆光クラブ』製作委員会
公式HP:http://litchi-movie.com/