ー3カ月前、童貞を捨てた。思ったほど、世界は変わらなかったー
チェリーについて

『友罪』瀬々敬久「2018年という“その後”を生きる僕たちへ」

もし、自分の友人があの“少年A”だったら――
1997年に起きた神戸連続児童殺傷事件から着想を得た薬丸岳の小説『友罪』が、生田斗真・瑛太・夏帆・山本美月・佐藤浩市…といった豪華キャストで映画化される。

監督を務めたのは瀬々敬久。
80年代から映画を撮り続け、2016年以降の3年間に絞っても『8年越しの花嫁 奇跡の実話』など商業的なヒットも飛ばす傍ら、『64-ロクヨン- 前編/後編』といった重厚な作品や、紗倉まなさんの自伝的小説を映画化した『最低。』など、作品の規模やジャンルを越境し、多くの作品を監督している。
また2010年に公開された、『ヘヴンズ ストーリー』は第61回ベルリン国際映画祭で国際批評家連盟賞を受賞。家族を殺された者たちの加害者への心情を描き、当時“わかりやすいニュース”を伝え続けていた古舘伊知郎氏にも煩悶を与え、「何十回も見た」と言わしめる作品に。

そんな時代とジャンルを超越する瀬々監督に、“永遠のオトナ童貞のための文化系マガジン・チェリー”は初めてのインタビュー。
『友罪』で描かれたのは“その後”であると語る瀬々監督。果たしてそれは、何に対する“その後”なのか? 瀬々監督が感じている90年代以降の時代の変化や、僕たちが失ってしまったかも知れない、“生きること”への感覚、そして生田斗真さんや、瑛太さん、奥野瑛太さんといったキャストの話から、現在のインディーズ及びメジャー映画界に感じることまで、幅広く語ってもらった。

“新たな時代への芽の息吹”でもある“その後”

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――『友罪』のモチーフとなった事件が起きたのは90年代ですが、映されるのは30代の彼らであり、2018年の現代の中に90年代が放り込まれたような感覚を覚えました。

瀬々「この映画って“その後”を描いているんだと思うんです。事件そのものではなく、事件が起きた後。その事件が起きたあとに、人間はどう生きていけばいいのか。これまでの僕の映画では事件そのものを描いてきましたが、今回のような“その後”を描く場合は、殺人事件や殺りくのシーンそのものを描くわけではありません。その中で、どうやって人が生きていくのか、ということを描きました。というのも、どうしても “人間は生き続けなければいけない”というイメージが僕の中にあるんですよね。」

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――“その後”というのは、現代があの90年代後半と地続きであるという意識からなのでしょうか。

瀬々「それは90年代後半の“その後”でもいいですし、東日本大震災の“その後”でもいいのかもしれません。僕には今が、何か大きな出来事があった後の“その後”を生きている感じがするんです。でも“その後”の感覚は決して、今が終焉であるという意味ではありません。もしかしたら今は、新しい世紀の準備をしているのかもしれないですよね。 “その後”の中では、次の時代に繋がる芽が息吹いているかもしれない。そういう、次の時代への前段階という意味も“その後”の感覚にはあるんです」

“罪に大小はない”感覚で生きる

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――確かに、彼らにとって“生き続けなければいけない”“その後”を僕らが見つめるというだけで、この映画の意義を感じました。その上で、“少年A”である鈴木に寄り添いすぎるでもない距離感、断罪するでもない描き方が絶妙でした。

瀬々「ええ、現実の生活では次々に新しい事件が起きていく中で、ニュースはどんどん消費されていくし、書き換えられていきます。たとえば鈴木の犯した事件に一人の人間が、ずっと考え続けるということはなかなか出来ない。でも生田斗真くん演じる益田は鈴木との付き合いの中で自分自身をも問題としていくんですね。その感覚は大事だな、と思いました」

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――それはどのような部分でしょうか?

瀬々「鈴木は過去に人を殺していて、一方で益田は、過去に自分がいじめに加担してしまって、友人を死なせてしまったことを、今もひきずって生きています。益田の場合は死なせてしまっていますが、死に至らせなかったとしても『自分の言動が、ひょっとしたら人を傷つけたかもしれない』という感覚は多くの人が持っているものですよね。その感覚を持っているということはすごく重要なことだと思うんです」

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――加害の意識を持つ、ということでしょうか。

瀬々「益田は、自分の犯した小さな罪と、鈴木の犯した大きな罪を、同じような深刻さで捉えているんですよね。罪に大小はない、という感覚で生きている。それがすごく彼の人として素晴らしい部分ですし、僕たちが物事を考えていく上でも大事な感覚だと思うんです。
自分を安全な場所において、犯罪者との間に線をひいて切り離すわけではない。『同じ世界に生きている以上、どこかで自分も罪を犯してしまっているのではないか?』と感じる、自分と犯罪者の間に仕切りの線を引かない感覚が、益田にはあるんですよね」

「人間はどうして生きるのか」を探求していた90年代

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――そういう感覚を持っていられるからこそ、益田は悩み続けます。その長い悩みは映画でも丁寧に描写されていますね。

瀬々「ああやって『人間はどうして生きるんだろうか』っていうことを探求するような精神性が90年代は充満していたように思います。90年代は、80年代のバブルの時期を経て景気が悪くなったけれど、政治の世界では、社民党が政権をとったりしてすごく変わろうとした時期でもありますよね。よく “失われた10年”なんて言いますけど、僕はあの時代が全部ダメだったとは思わないんです。そういう『人間はどうして生きるのか』を探求することの大切さもあったはずで、2000年代、新世紀になってから、それらが全てフワーっとしてしまって、なかったことのようになってしまっているのは、僕の中でもどこか腹立たしい部分があるんです。そういう時代への憤りが、映画を作る動機のちょっとした部分を支えていることはありますね」

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――今回の『友罪』に、そういった時代への憤りが出た部分はありますか?

瀬々「ええ、一例ですが、夏帆さん演じる女性がネットの書き込みで、居場所を特定されますよね。今は、SNSでみんな自由に発言しているように見えるけれど、実は自由そうに見えて、自由がなくなってきているように感じるんです。どこかで炎上を恐れてしまっていたり、自分が所属するグループの意見の方向にあわせるだけの意見を発してしまったりね。そういう自由さの一方で不自由さが生まれてきているような時代感は反映されたかなと思っています」

生田斗真と瑛太は“逆でもよかった”

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――キャストの方の話も伺えればと思うのですが、今回、益田を演じた生田斗真さん、鈴木を演じた瑛太さんの名演が光りましたね。

瀬々「ふたりとも素晴らしかったですね。その上でいいますが、僕は二人の役柄を入れ替えても成立したと思っています。もちろん、少し違った映画になるとは思いますが」

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――それは生田斗真さんの中に、破壊性のような、キラキラのアイドルではないイメージを感じたということでしょうか?

瀬々「もう少しフィクションの度合いは高いけど、実際、『脳男』のような役もやっていますしね。ただ、僕が生田さんと初めて会ったときは、すごく普通の人だな、と感じました。もちろん、カメラを通すと、オーラは出てくるんですけどね。その差に、今まで僕が会ってきた俳優さんとは、また少し違ったものを感じました。親しみやすいですし、偉ぶらないですしね。とはいえ、今回は色々な想いを受けなきゃいけない役なのでしんどそうにはしていましたけどね」

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――たしかに、どちらかというと瑛太さんが発するほうで、それを生田さんが受ける構図でしたよね。両方、かなり難しそうです。

瀬々「瑛太さんは、観ている人が“わからない”部分があってもいいというような気持ちで演じていました。突如笑ったり、大きな声を出したり、もしくは表情を見ても感情が読み取れないような佇まいをしたり。多少、僕とも話はしましたが、もともと彼の中で、かなりできあがっていたとは思います」

何かを“突き破りたい”若者たち

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――そして、その二人と寮生活をともにする、奥野瑛太さん、飯田芳さんの2人も、決して裕福ではない中、必死に生きる現代の若者を演じきっていらっしゃいました。

瀬々「俳優としての2人の位置が、寮にいる役の彼らの位置と近いような気がしたんですよね。彼らは俳優として、当然、もっと上にいきたいと思っている。そして、役の2人も、うだつのあがらない自分たちの日常を何か打破したいと思っている。そういうパワーが重なって、作品に出た部分はあると思います。彼らに限らず、何かを突き破りたくて『面白い役なら自主映画でも商業映画でも何でもいい。メジャーとかマイナーとかの垣根を取り払って、とにかく何かやりたい』という精神を持った若い俳優さんは多いですよね。その中でも奥野くんと飯田くんはいいものを持っていると思います」

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――そういうパワーの溢れた方が映画界に増えている感覚を持たれているんですね。

瀬々「ええ、今は昔に比べてカメラの性能もよくなったし、パソコンで編集もできるから、いわゆる自主映画的なものが、予算の大小でなく良いものを作ろうと思えばできるようになったわけですよね。そういう意味では敷居は低くなっていますから、若い人たちが自由に映画を作れる環境ではありますよね」

メジャーとインディーズの間で

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――それは、とてもいいことに聞こえます。

瀬々「ただ、みんなが自由に作れる時代ではありますが、メジャーとインディーズ映画の間には、状況的には差が如実にあるわけです。そこには歴然とした格差社会がある。その差の中でもがいている、若い俳優やスタッフたちは多いと思います。先ほどお話した“自由に見えて、不自由さも生まれた”SNSの話にも通じますが、そこにも今の時代の息苦しさが、形を変えて出てきている気がします。もちろん、そういう若い人たちのパワーというのは確実に存在すると思うのでそこには加担していきたいですけどね」

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――瀬々監督自身も、かつてはピンク映画やインディーズ映画を撮られていたわけですが、今回の『友罪』はメジャー公開です。ただ、昔から瀬々監督が大切にされてきている魂の部分はブレていない気がしました。

瀬々「主役の二人も人気者ですし、もちろんメジャー公開であることを意識して作っている部分はあります。ただ、芯の部分で、誰かに媚びたりして作った気持ちはありません。こういう重いテーマの作品が、この大きな公開規模で上映されていくことは、個人的にも嬉しいことですし、これからの日本映画の未来の時代に繋がっていくような芽にできればなと思っています」


(取材・文:霜田明寛 写真:浅野まき)

映画『友罪』5月25日(金)よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー
監督・脚本:瀬々敬久
キャスト:生田斗真 瑛太
夏帆 山本美月 富田靖子 奥野瑛太
飯田芳/佐藤浩市

©薬丸 岳/集英社 ©2018映画「友罪」製作委員会

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