マイナスイメージからの脱出!“ぼっち”に変化が起きている
大学の食堂。大きなテーブルでは空席が目立つが、「ぼっち席」と呼ばれる1人用の席はすでに満席だ。そこに座る学生たちは携帯を触ったり、本を読んだり、それぞれの時間を楽しんでいる。人の目を気にしている様子はない。
周囲では三年程前から“ぼっち”という言葉が浸透し始めた。当時は「ぼっち=寂しい」という印象。一人で授業を受ける学生を“ぼっち”と呼んだり、常に「ひとりぼっち」が連想された。しかし現在はその意味も変わってきている。少なくとも“ぼっち”はマイナスイメージだけではない。徐々にポジティブな意味に近づく“ぼっち”にはどんな変化があったのか?周囲の大学生の行動を追いながら、二つの理由を考えてみた。
【オンラインとオフライン、二つの世界を生きるには“ぼっち”が必要】
いま大学に通う学生たちはSNSがちょうど浸透してきた世代。離れていてもインターネットを通して友人たちとすぐにコンタクトを取れることが普通になった。いつも誰かと繋がっているのは安心感がある。しかし24時間ずっと、誰かと一緒にいる感覚があるのは疲れてしまう。せめてオフライン上では1人の時間がほしい、と考えるのだ。
そこで学生たちは意識的に自分の時間を作るようになった。例えば、休み時間は前述した「ぼっち席」と呼ばれる1人用の席を利用するなど、誰かといる時間と自分だけで過ごす時間のバランスをうまく調節している。大学生の友人は『教室に行けば友人がいる。休み時間くらいは一人でいたい』と話す。オンライン(インターネット)とオフライン(日常生活)のバランスを保つためには“ぼっち”の時間が必要なのだ。
【気軽に“ぼっち”を使い続けたことで、ほんとに気軽に!?】
「ぼっちは寂しい」。これが数年前の常識だったとすれば、現在は「ぼっちでも楽しい」と考える人がぐっと増えたように思う。そこには“ぼっち”の言葉の使用範囲が関係している。
浸透し始めた数年前に比べ、“ぼっち”という言葉は生活の中で頻繁に使われるようになった。すると徐々に「ひとりぼっち」という語源を離れ、“ぼっち”という言葉として独立していった。例えば「ぼっちで映画見てくる!」というように会話の中でも頻繁に使用され、寂しい時だけでなく、様々な場面で気軽に使われる言葉になったのだ。さらに「ぼっちでも充実している」の略で「ぼっち充」という言葉も生まれ、ますますポジティブな意味に変化しはじめた。『“ぼっち”と開き直って言うことで恥ずかしさもなくなる』と話す友人もいるように、“ぼっち”という言葉を使用することで一人に抵抗がなくなってきている。
もう、“ぼっち”は悲しくない
学食の一人席をはじめ、「ひとりカラオケ」「ひとり映画」「ひとり焼き肉」などが流行しそれを深刻な問題だという人がいる。しかし、若者の立場からすると、これはわたしたちがバランスを取るために必要で、けっして悲しい現状ではない。むしろ多くの友人たちと接し続けた結果、“ぼっち”の時間をつくることになったのだ。SNSのある生活の中ではそれぞれが一人の時間を楽しむことでバランスを保っている。仲間と一緒に過ごす時間も大切にしながら、一人だけで何かをする時間も大切にするのが今の若者の姿なのである。